秋田・消えた村の記録'99年秋 その2 秋田県大館市合津,鹿角市上新田



合津の冬季分校跡の前にて。




10/12/1999 大館市合津,鹿角市上新田

# 2-11
折戸からは,R.103で鹿角市を横切り,大館市の南東のはずれにある合津(Kattsu)という廃村を目指しました。秋田の方言では奥地のことを「カッチ」というそうで,合津は名前の上では山の奥地の集落です(わりあい里に近い場所なのですが・・・)。
合津の戦後最盛時の戸数は12戸,移転年は1977年(昭和52年)とのこと。
ここにはかつて成章小学校合津冬季分校があり(1971年閉校),学校跡が今も残っているということで,これに興味を持ちました。
冬季分校とは,11月頃から翌年3月頃まで雪の深い地域で開校される分校で,先生は宿泊して勤められることもあったそうです。

# 2-12
JR花輪線の駅のある十二所(Juunisho)でR.103から地方道に入り,岩崎さんから温泉があると聞いた別所の集落を過ぎると,合津に向かう道(別所林道)が分かれていました。林道は分岐点からすぐに砂利道になり,2kmほど行くと家が見えてきました。
家は農作業などに利用されているらしく,周りには刈入れを終えたばかりの田んぼがあることもあって,寂しい雰囲気はありません。
集落跡の奥のほうには,川を横切る橋があり,橋のたもとには黄色い花(オオハンゴンソウ)が咲いていました。橋を越えた丘の上からの風景は,昔ながらのものが残っている様子です。うす曇ながら,山間のわりに広い空があり,とても良い気持ちです。


# 2-13
家屋は7戸ほどあるのですが,分校跡がわかりません。橋より少し下流のほうに農作業のおじさんが居たので,分校跡のことを尋ねてみると,すぐそこにあるということ。教えていただいた家屋はほとんど普通の民家跡でした。
中に入ると,教室の跡,便所の跡,宿直室らしきものの跡があり,確かに分校跡でした。しかし,運動場の跡(広場)はありませんでした。
「消えた村」の「移転者ひとこと」のコラムでは,冬は「天気のよい日を選んで月に二,三度町に出て・・・」とあるので,分岐から2kmほどの距離が冬には大きな壁になったことなのでしょう。しかし,10月現在の様子では,その壁の想像はできませんでした。

# 2-14
おじさんと「んだんだ」(秋田弁で「そうですね」の意)と言いながら話していると,のどかで楽しいのですが,夕暮れも近づいてきて,おじさんを迎えるクルマも来たので,合津にほど近い上新田(Kami-Shinden)という廃村に向かうことにしました。
上新田の戦後最盛時の戸数は8戸,移転年は1988年(昭和63年)とのことで,まだ無人になってそれほど経たない廃村です。
下流には下新田,中新田という集落があり,下新田は地方道沿い,中新田は枝道に入って少しのところにあります。道沿いの花がたくさん植えられている中新田から1kmほどで,対照的に寂しい上新田です。道は上新田まで舗装されていました。


# 2-15
まず目に入ったのが,「これより立入禁止」という鉱山会社の看板。上新田のある鹿角市尾去沢(Osarizawa)地区には大きな銅山があって,上新田にも田郡(Tagoori)という銅山があったそうです。上新田は鉱山集落ではないものの,鉱山との係わりが深かったようです。
家の角にあった「こりと痛みにキングパス」という小さな古い広告板がいくらか気分を和らげてくれたのですが,夕闇がしのびこんできたこともあって,私としては珍しくちょっと恐い感じがしました。
どうも,廃村も10年目くらいだとまだ枯れた感じが少なくて,なまめかしくなるようです。

# 2-16
10月の日暮れは早く,別所まで戻ったときには,すっかり暗くなっていました。道を歩いている方に声をかけて探した別所温泉は,地元のコミュニティーセンターという感じで,入湯料は100円でした。
練馬ナンバーのバイクでやってきた若い衆は,地元のおじさん・おばさんの興味を引いたようで,「どこから来ただ」,「埼玉からです」,「それは遠いとこからだな」と,のどかな会話をしていると,確かにとても遠いところに来た気分になりました。
この夜の老沢「ゆきの小舎」の宿泊は女性一人と私のふたりだけで,郁男さん,由紀子さんとものんびりお話ができました。




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