秋田・消えた村の記録'99年秋 その5 秋田県鳥海町袖川,栩山



袖川の分校跡の前にて。




10/15/1999 鳥海町袖川,栩山

# 2-29
佐藤さんと寒風山で別れてからの予定は白紙だったのですが,とりあえず男鹿半島の先の入道崎に行って,北山崎(岩手県)からの北緯40度の旅を極めようとなりました。途中,戸賀(Toga)の入江で綺麗な夕陽を見ることができました。
この日は飛込みで戸賀の民宿に泊まり,ひとり静かにお刺身などを食べました。
翌日(秋田5日目)の朝はくもり空。宿泊予定は,岩手県北上の夏油温泉ということで,4泊5日の秋田の旅もこの日が終わりです。
いろいろ考えた結果,森林鉄道跡の色合いが強く残る,山形県も近い県南の鳥海町の袖川(Sodegawa)に行こうとなりました。

# 2-30
男鹿半島から海岸沿いに秋田市,本荘市経由で,鳥海(Choukai)町の下直根(Shimo-Hitane)までの道程は約130km,たっぷり4時間でした。
下直根(岡田代)から袖川までの4kmほどの砂利道は,そのまま森林鉄道の跡だそうで,途中に長さが600mを越えるトンネルがあります。
このトンネルは,14万分の1のツーリングマップにも記載されていて,道が行止まりで袖川という集落名は載っていないので,存在に気がついてしまうと「ここには何があるんだろう」ととても興味を引く存在になります。
くぐってみると「消えた村」に書かれているように「さながら坑道」です。真ん中にはクルマがすれ違うためのふくらみがありました。


# 2-31
トンネルを越えると視界は開けて,ほどなく袖川の集落跡に到着しました。小さいながら耕されている田畑があります。
袖川の戦後最盛時の戸数は6戸,移転年は1973年(昭和48年),小さい集落ながら子吉川に沿って水力発電所があって,発電所員の家もあったことからか,一年を通しての分校があったそうです(1968年閉校)。
母屋の跡は3軒ほど見当たり,先に進んで行くと子吉川を渡る橋があり,1971年に自動化された発電所がありました。
あいにく小雨がぱらついて来たので,発電所の軒を借りて,川景色を見ながらコンビニのおにぎりで昼食です。

.. ..


# 2-32
道を戻ると,農作業をしているおばさんがいたので,学校跡のことなど伺ってみると,発電所寄りの建物がそれだということ。
合津と同じく,「ほんとうにこんなところが学校だったのか」という感じです。おばさんに「消えた村」をお見せすると,「作蔵じいさんの家は,あんたがバイクを止めてるところにあったのよ」のような会話をすることができました。
「消えた村」には,鳥海町では袖川を含めて七つの廃村が紹介されているのですが,鳥海町から夏油温泉までの距離も140kmもあることから,いちばん簡単に行ける栩山(Tochiyama)という廃村に行くことになりました。


# 2-33
栩山は中直根から2kmほど山を上がった台地状の場所にあり,わりあい町の匂いにも近いといえます。
戦後最盛時の戸数は2戸,移転年は1973年(昭和48年)とのこと。
昭和30年代にはスキー場があったそうですが,これも今,東京圏から出かけるようなスキー場からは想像できないものだと思われます。
「消えた村」に載っているそのままの廃屋がありましたが,道は舗装で,村としての広がりがなさそうだったことから,栩山は早々と引き上げました。味わいの深い廃村には,ある程度の規模と不便さが必要なようです。

# 2-34
栩山からは峠を三つ越えて羽後町西馬音内(Nishimonai)に入り,横手市からR.107で岩手県に入り,約3時間半で夏油温泉に着きました。
前から「一度行きたい」と思っていた夏油温泉では,自炊棟に泊まることができて,露天風呂にも入れたので満足だったのですが,時間があったらもっとのんびりと廃村巡りをしたかったところです(仕事を休んで4泊5日も過ごせば十分と言われそうですが・・・)。
佐藤さんに廃村調査の横のつながりを伺ったところでは,山形県に人文地理学会の人がいるということでした。
廃村探索を続けるにあたっては,横のつながりを大切にして,多くの方に出会いたいと思います。




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