信濃路の旅籠町の廃村へ行く

信濃路の旅籠町の廃村へ行く 長野県飯田市大平


旅籠町の廃村 大平の公民館前に建つ集団移住記念碑です。



2004/8/11〜12 飯田市大平

# 29-1
「廃村と過疎の風景(2)」を雪の岐阜県根尾村黒津から始めたのは,平成13年2月。以来3年半経ち,個人的にふたり暮らしから2年半のひとり暮らしを経て,再びふたり暮らしに戻ったということで,改めて「代表的な廃村は一通り巡っておきたい」という気持ちになりました。
平成16年のお盆休みは,keikoさんと一緒に浦和から岸和田と堺まで,約1週間のツーリングを行うことになりました。計画を立てるうちに「訪ねよう!」と浮かび上がったのが往路の長野県飯田市の大平(Oodaira)と復路の三重県飯南町の峠(Touge)で,ともに旅籠町の廃村です。
うち大平は,山中の旅籠町として栄えた頃の町並みがそのまま保存されていて,往時の旅籠に泊まることができることで有名な廃村です。

# 29-2
大平は木曽谷の妻籠と伊那谷の飯田のほぼ真ん中,標高1,150mの山中にあります。大平が開拓されたのは江戸時代中期(1750年頃),妻籠と大平・飯田は大平街道という中山道の脇街道で結ばれており,隣りの集落からは10km以上離れた大平は,農林業とともに,旅籠町として栄えました。「大平宿」の全盛期は,木曽谷に鉄道が通じて,伊那谷には通じていなかった大正期とのこと。
昭和期に入り,伊那谷にも鉄道が通じ,徒歩交通が過去のものになるにしたがって大平は寂れていきました(昭和35年の規模は最盛期の約半分の38戸,176名)。そして高度成長期の昭和45年,部落民の総意として集団移住が決定され,11月末をもって廃村となりました。

# 29-3
大平の興味深いところは,廃村から3年後(昭和48年),観光地開発の計画への反発をきっかけに,旅籠町の町並みの保護,自然の保護などを目的とした市民団体が立ち上がったところです。その後「大平宿をのこす会」となったこの団体は,積極的に行政への要望活動を続け,専門家やジャーナリストなどとも連携し,質の高い保存運動を展開しました。
「いろりの里 大平宿」として往時の町並みがそのまま残され,旅籠にも泊まれるという現況は,廃村の活用例として成功を修めていると思います。大平宿は,初夏から秋を中心にクラブの合宿,自然教室,登山や釣りの基地,家族旅行などで利用されている様子です。

# 29-4
旅にあたっては,8月上旬に「大平宿をのこす会」事務局に電話連絡を取り,江戸時代に建てられたと「大蔵屋」という旅籠を予約しました。会のシステムでは宿の鍵を飯田市街にある事務局に取りに行かねばならず,木曽谷側からのアプローチをめざす旅程には不便です。あと,いろりに火を点けて,自炊をすることには時間的な不安がありましたが,「何とかなるさ」と気楽に考えることにしました。
大阪ツーリングの出発は8月10日火曜日。初日の旅程は浦和から碓氷峠経由軽井沢まで,中山道沿いを中心とした135km。軽井沢の宿泊は健保の宿。もともと「中山道に沿って浦和から京都までツーリングする」という計画だったため,浦和から大平までは高速道路はなしです。

# 29-5
明けて11日水曜日,旅2日目の旅程は軽井沢から和田峠,木曽谷,妻籠経由,大平まで,中山道沿いを主体とした200km。有名な宿場町 妻籠は,観光客でごった返しており,小休止だけで素通り。R.265から大平街道に入った途端,空気は山の匂いとなり,木曽峠を越えて4時40分頃,古びた無人の宿が目に入り,大平に到着しました。
「いろりの里 大平宿」の看板近くの駐車場にバイクを止め,荷物をおいて鍵の受取りと食事の買出しに単独で飯田市街に下ろうかとなり,荷物を置けるところを探していると,煙が上がる整った佇まいの宿の前には「宿泊 承ります」との看板がありました。

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# 29-6
「いろりの里 大平宿」の案内に記された宿は全部で18軒。「丸三荘」というこの宿は案内には記されておらず,「大平宿をのこす会」とは別の運営ということはすぐにわかりました。宿の方とご挨拶ができたのでお話をすると,食事・風呂付きで宿泊できるとのこと。不便なことは承知の上で来た大平ですが,自炊が目的ではないライダーが食事・風呂付きの宿に泊まりたくなるのは人情です。
急きょ「丸三荘」宿泊に変更となったものの,江戸時代からの旅籠は魅力的であり,予定通り単独で飯田市街に向かいました。飯田峠寄りの「橋本屋」では地域の方が土産物店を営まれており,当初の大平のイメージとの違いに驚くことしきりとなりました。

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# 29-7
「大平宿をのこす会」事務局のアルススポーツに到着したのは6時少し前。事務局の羽場崎さんは,急きょの予定変更という旅人を快く迎えてくれました。「いろりの里 大平宿」の案内には,利用にあたっては「不便である点はむしろ喜びとして,進んで古き良さを活かした生活をすること」と書かれており,「10人泊まられたら3人の方に満足してもらえればよい」という羽場崎さんの言葉が印象的でした。
アルススポーツから大平までは完全な一本道。道路標識にも「南木曽 大平宿」と大きく書かれており,飯田市民の間では,大平はなじみ深い場所であることがわかります。ちなみに大平への道(県道)は冬季は積雪のため通行止めとなります。

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# 29-8
飯田峠を越えて大平に戻ったのは夜の帳も降りた7時15分頃。少々遅くなり,keikoさんには心配をかけました。まずは風呂に入って一服。
この夜の「丸三荘」の宿泊は私たち夫婦と釣りの方の3人。食事をしながら宿のご夫婦にお話を伺うと,ご主人の加藤三人さんは昭和34年まで大平で過ごされたそうで,今は愛知県で建設業を営まれているとのこと。「あの頃は山から降りたら良い仕事はいくらでもあった」という加藤さんの言葉は印象的です。宿は明治期の建物だそうで,宿泊を受けるようになったのはまだ最近のことらしいです。
外に出ると驚くほどの満天の星で,私もkeikoさんも感激。また,いろりに当たりながら飲んだ熊笹割りの焼酎はとても美味でした。

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# 29-9
翌日(12日木曜日)の起床は午前4時頃。廃村 大平の探索は未明の午前5時頃から,少し肌寒いくらいの涼しさの中,単独で開始しました。
まず足を運んだ木曽峠寄りには「中村屋」「三浦屋」「大原屋」「さかえや」の4軒の旅籠。下に馬をつなぐため二階が出っ張った家の造り(セガイ造り),ホーロー看板,古い民具は,賑やかな黄色い花(オオハンゴンソウ)とともに,見る目を楽しませてくれます。
道を戻って「丸三荘」の南隣りには,公民館跡と小学校跡。小学校(丸山小学校大平分校)も昭和45年11月閉校で,閉校直前は先生が3名に児童は9名。小学校跡は校舎も校庭も整っており,また,炊飯場があり,自然教室などで使われている様子がわかります。

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# 29-10
県道から外れて車止めがある地道に入ると,目に入るのが公衆電話のある「からまつや」,いちばんの大きさを誇る民家資料館「紙屋」,「つつみ荘」と「大平宿をのこす会」の看板がある「満寿屋」の4軒。「満寿屋」の前には荷運び用のリヤカーがありました。また,「満寿屋」の隣には,まき小屋や古びた庚申塚の石碑,斎藤茂吉の歌碑などがあって,大平が大切に保存されている様子がよくわかります。
庚申塚の石碑からは,数軒の宿を素通りして,集落の外れの諏訪神社へ。阿吽の狛犬が迎えてくれた境内には,大正期のお蚕さんを奉った石碑がありました。加藤さんに伺ったお話では,神社は祭礼の時にもほとんど人が集まらないので,廃社を検討しているとのこと。


# 29-11
道を戻って,集落の下手にある旅籠は,「八丁屋」「藤屋」「・大蔵屋」「おおくら屋」「大坂屋」「大蔵屋」の6軒。うち江戸時代からの宿は,宿泊予定だった「大蔵屋」を含めて4軒。鍵を開けて「大蔵屋」に入ると,黒光りする床に古びたいろりがありました。風呂は意外に新しく,タイル造りでした。気になっていた電気ですが,裸電球が灯りました。
後でkeikoさんと一緒に足を運んで感想を聞いたところ「バンガローのようなものやね」とのこと。クルマでの移動で,時間に余裕があり,自炊や宿泊(シュラフ)などの用意がしっかりできていれば,泊まってもいいかもしれません。

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# 29-12
「大蔵屋」と「紙屋」の間の「下紙屋」「深見荘」「前沢荘」は,平成12年に火事で全焼してしまいました。大平宿の保存には大きな痛手だったはずですが,現在,跡地には行政のバックアップにより往時の建物を模倣した新しい「下紙屋」「深見荘」が建てられています。
新しい旅籠はまわりの風景に溶け込んでおり,何よりも泊まるとなると快適なことは間違いなさそうです。この日,宿泊者がいたのは「下紙屋」「深見荘」と,飯田峠寄りの「水道屋」の3軒でした。加藤さんに伺ったお話でも,「新しい宿は人気があって,なかなか泊まることができない」とのことでした。この火事は「災い転じて福」の様子です。

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# 29-13
最後に回ったのは飯田峠寄りの「水道屋」「三河屋」そして土産物がある「橋本屋」の3軒。大平一周は,1時間半ほどの行程でした。
このような形の廃村探索は初めてのことでした。強いていえば山口県徳地町の「重源の郷」が似ていますが,これほど大規模に,往時の建物が手入れされてそのまま残されている例は他に思い当たりません。手入れをして残すことのたいへんさ,大切さを強く感じました。
「丸三荘」は集落関係の方,観光の方など,人の出入りが多く,現在の大平の中心になっている様子です。のんびり朝食を食べた後,朝9時頃からkeikoさんとふたりで再度集落の探索を行いました。再度の探索では「紙屋」の屋根に重石が積まれていたのが印象的でした。

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# 29-14
旅3日目の旅程は,大平から馬籠経由で中津川に出て,岸和田まで高速道路を中心とした310km。「どうなることやら」と心配した大平でしたが,快適でかつ実りの多い探索となりました。この月発売の雑誌「旅の手帖」に大平宿が取り上げられていたのも妙な偶然です。
加藤さんの奥さんに見送られて「丸三荘」を出発したのは朝10時半頃。木曽谷に戻って訪ねた馬籠は,大平の静けさが嘘のような賑わいです。馬籠のように観光客向けに整備された宿場町も,大平と比較するとまた深い味わいがあります。
新茶屋で岐阜県に入り,中津川ICからは中央道。お昼を食べた恵那峡SAから阪和道 岸和田和泉ICまでは,255kmを4時間弱で走りました。



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