雪に閉ざされた冬季無人集落を訪ねる

雪に閉ざされた冬季無人集落を訪ねる 岐阜県根尾村黒津


雪に閉ざされた冬季無人集落 黒津の小中学校跡です。サクラの木の脇が入口です。



2001/2/25 根尾村黒津

# 1-1
平成13年の1〜2月は,全国的に雪が多く降りました。私が住む埼玉県浦和でも三度も雪が積もりました。
雪の時期といえば,岐阜の山村でかれこれ6回足を運んだ根尾(Neo)村の黒津(Kurodu),越波(Oppa)といった冬季無人集落はどんな様子になるのか,ずっと気になっていました。前年(平成12年)の5月に聞いた話では,カンジキを履いてなら行けるとのことでした。
R.157は,根尾村能郷(Nougou)から大野市の真名川ダムまでの間で12月中旬から4月末まで通行止めとなり,黒津,越波は能郷のゲートの先に位置します。いろいろ考えた結果,日も長くなってきた2月下旬,根尾村1泊で雪の冬季無人集落を目指すことになりました。

# 1-2
下調べに不可欠だったのは,樽見から能郷までのバスの便の情報と,能郷から黒津,越波までの地形図です。
根尾村役場に尋ねたところ,自主運行バスの運行は平日と土曜は1日6便,日曜は3便ということで,問題ありませんでした。
また,手元の5万分の1地形図を調べたところ,能郷−黒津間は7km,黒津−越波間は6km,標高は能郷が240m,黒津が325m,越波が415mということで,越波まで(往復26km)はちょっと無理そうですが,黒津まで(往復14km)なら何とかなりそうです。
ただし,能郷−黒津間は渓谷(倉見渓谷)になっていて,前年5月も工事(土砂崩れ)のための通行止めで通れなかったかなり癖のある道です。


# 1-3
クロスカントリーのスキー,もしくはスノーシューの入手も考えたのですが,カンジキを現地調達するのが良かろうとなり,服装は多少防寒に備える程度の普段着で臨みました。
2月23日(金曜日)は仕事が終わって新幹線で名古屋に向かい,名古屋の友人(健太さん)宅で一泊。24日(土曜日)の名古屋発は10時少し過ぎ。
大垣乗換えの樽見鉄道(第三セクターの鉄道)のレールバスは目にはなじんでいるものの,根尾村訪問7回目にして初めての乗車です。乗車率はまずまずで,大垣−樽見間は約1時間,830円でした。

# 1-4
この日はカンジキを履いての雪道歩きの予行演習です。まず,樽見では旅館「山田屋」に向かい,宿主さんにカンジキについて尋ねたところ,ひょっとすると金物屋さんであるかも知れないとのお返事。
心配しながら金物屋さんに足を運ぶと,ビニールひもの実用的な雰囲気のカンジキがありました。何でも郡上八幡の方が手作りで作っているとのこと。5800円と値は張りましたが,これは当然購入です。
ただし,履き方が今一つはっきりしません。樽見での生活には,猟や釣りにでも行かない限りカンジキは無縁の代物のようです。

# 1-5
雪の薄墨ザクラを見て,アマゴ定食を食べた後,樽見発午後3時頃のバスで能郷を目指しました。このバスに乗るのも今回が初めてです。運転手さん(堀島さん)はタクシー会社の委託の方で,旅の話がお好きらしく話が弾み,バイク旅行とは違う趣があります。
春夏秋と見慣れた能郷のゲートは確かに閉ざされており,ゲートの向こう側はいきなり雪に埋もれています。
スニーカーにカンジキを着けて少々歩いて気が付いたことは,このままでは足がずぶぬれになるということです。気温が高めのこともあってか,幸い冷えはしませんでしたが,この湿った道を歩くには長靴が必要です。


....


# 1-6
2時間近く散策をして驚いたのは,雪で電柱が折れていたことです。当然電線が垂れている箇所も多くあります。倒木も数多くあり,雪の季節は道が荒れることがよくわかります。またクルマの轍はないものの足跡はいくつかあり,通る人が居ることもわかりました。
午後6時頃に樽見に戻るとすぐに金物屋に行って,長靴を買いました。ビニールテープは持参していたので,これで用意は完了しました。
夜7時過ぎの樽見にはコンビニもなく,ほとんどの店が閉まってしまいます。その風情は昭和40年代にタイムスリップしたようです。
宿にこもっていても仕方ないので,風呂に入った後は,昨年も行ったスナック風居酒屋「包容」に足を運ぶことになりました。

# 1-7
「包容」のお母さんは,二度目の客の旅人を覚えてくれていて,ほっと一息の乾杯です。
お店にカンジキを持っていったのは正解で,心配していたカンジキの付け方を,お客の中部電力の方(山本さん)に教えていただきました。
山本さんによると,2月は大雪のおかげで2か月分働いたとのこと。雪と電線のメンテナンスは,切っても切れない関係のようです。
「カンジキを履いて雪の黒津を目指す」だけでは単に物好きの兄ちゃんなわけですが,「廃村と過疎の風景」の冊子を紹介することで見る目が優しくなった感じがしました。山本さんからはフリーライターという称号をいただき,気持ち良くお酒を飲むことができました。

# 1-8
明けて2月25日(日曜日),いよいよ実行です。行きのバスの能郷到着は8時40分頃,帰りのバスの能郷発は夕方4時40分頃ということで,およそ8時間。黒津までの7kmの道をどのくらいの時間で歩けるかが勝負です。天気は晴れときどき曇りまたは雪という感じです。
幸い山本さんに,「電気関係の仕事で若い者が入っているので,黒津までは問題ない」の言葉をいただいています。ただ,「ゲートが閉まっているということは本来立入禁止ということで,足を運ぶには土木事務所に連絡すべきであるから,事故だけは起こすな」とのこと。
まずは安全が第一。行く手に危険な箇所があったらあっさりあきらめることが大切です。


# 1-9
黒津までの道程は,橋があったりシェルター(雪除け)があったり,日当たりの良いところでは雪が消えていたり,サコと呼ばれる山から落ちる雪の通り道では斜めにどっさり雪が積もっていたりで,強烈なメリハリです。ただ,一歩誤れば谷底へまっさかさまという険しい道もあって,所々で出会うお地蔵様には,出会うたびに「無事に黒津にたどり着きますように」と手を合わせました。
ようやく黒津が視界に入ったのは,能郷を出てから2時間45分後のことで,鳥肌が立つほど感激しました。その間,すれ違ったのは釣りの方ひとりだけでした。私は「おお,縄ひものカンジキを履いている!」と足元に目が行き,会話をすることはありませんでした。


# 1-10
黒津の建物の多くは往時のもので,およそ20戸ほど。これまでは奥の越波や大河原(Ookawara)に向かう途中なのでゆっくりしたことはなかったのですが,今回はこれより奥は完全に無理で,「目的地に到着した」という安堵感とともにゆっくり探索しました。
雪の深さは平均で50cmほど。黒津の集落内の雪道には足跡ひとつなく,気分は爽快です。ただ,道を無視して雪の中を行くと,時折ズボッと落ち込む深みがあり,あまり気を緩めてはいけません。
集落のいちばん奥にある学校跡は,岐阜市内在住の猟を趣味とする方が管理しているとのことでしたが,建物には誰も居ませんでした。

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# 1-11
雪に閉ざされた黒津で印象深かった風景は,雪にかじられたように壊れた廃屋です。雪が厳しい山間部において廃屋が壊れる原因の多くは大雪なんだと実感しました。使っている家屋でも,倒木の直撃を受けているものがありました。
また,外に動いている時計を置いてある家があって,「これからも住み続けるぞ!」という住民の方の意気込みが感じられました。
計算で割り出した黒津での滞在可能時間は2時間。立ち止まると寒いので,食休み以外は,細長くて起伏のある集落の中をずっとウロウロしていました。帰り道は下りになるので楽かと思えば,雪が強くなってきて,顔を真っ赤にしてヨレヨレになりながらの道程となりました。

# 1-12
堀島さんによると,昭和30年代頃までは黒津の住民は自給自足の生活をしていたので,冬場は越せるだけの食料を溜め込んで,病気など,よほどのことがなければ里に下りてくることはなかったとのこと。その後,クルマが走る道が整備されて,炭焼き,マキ作り,養蚕,紙すきといった山の仕事は廃れて,昭和46年に学校が廃校となり,その頃より冬は全員里に下りる生活が始まったようです。
山から人が居なくなるというのは,どういうことなのでしょう。ひとつはっきりしているのは,山が荒れるということです。山本さんによると,この大雪での倒木などの被害は,雪の規模だとはるかに大きかった三八豪雪(昭和38年)よりも大きいかもしれないとのことです。

# 1-13
今も春から秋(4月から11月)には,黒津の家を別荘のようにして生活される方がいますが,その多くは,昔は通年で暮らされていたおじいさんやおばあさん達です。生まれ育った故郷は,おじいさん,おばあさん達には,なくてはならない存在なのでしょう。
そんなことを考えると,黒津は「冬季無人集落」であって,廃村とはいえません。隣接する旧徳山村や福井県旧西谷村が,完全に無人(廃村)になるほどの雪深い地域で,よく頑張っていると思います。
雪の根尾村とのお別れはちょうど日暮れ頃(午後6時少し前)。大垣行きレールバスの乗客は,途中本巣まで私ひとりでした。



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