改めて500か所超えをめざす日向の廃村 宮崎県西都市吐合,樅木尾,古仏所,
________________________________西米良村尾股,小林市田代八重

廃村 尾股(おまた)には,へき地5級の小中学校跡校舎が残る



2013/8/18 西都市吐合,樅木尾,古仏所,__________________________
__________________________西米良村尾股,小林市(旧須木村)田代八重

# 6-1
平成25年8月,宮崎県西都市片内(Katauchi)で「廃村全県踏破への道」の旅が結実した時点で,「廃村千選」の累計訪問数は373か所。「廃村千選」の宮崎県のポイントは関西以西では最大数の25か所。私が住む埼玉県からは遠くであり,もう少し数を稼ぎたいところだ。
九州の旅,行程を調整した結果,4日目はむっちーさん(鹿児島県在住)のクルマに便乗して,鹿児島県霧島市(旧隼人町)日当山温泉の温泉宿へ向かうことになった。そして,午前中は西都市の廃校廃村の中から選んだ吐合(Hakiai),樅木尾(Momigio),古仏所(Kobutsukuro)をめぐり,午後は西都市からR.219,R.265を通って小林市に抜ける道の途中,西米良村尾股(Omata)と旧須木村田代八重(Tashirobae)を訪ねることとなった。


片内の農家民宿「かたすみ」にて,佐藤さん夫妻と私


# 6-2
8月18日(日,旅4日目)は朝6時起床。天気は快晴。単独で片内小学校跡まで出かけた後,ほどよい気候だったので,農家民宿「かたすみ」の朝食では,皆で青空の下にお膳を持ち出した。宿のご主人(佐藤さん)によると,お盆を過ぎると,朝晩はすいぶん涼しくなるとのこと。
陸路で和歌山まで戻られる村影さんを見送った後,かもしかさん(大分県在住)のクルマに便乗して,「かたすみ」を出発したのは午前9時15分頃。吐合,樅木尾,古仏所は,片内から見ると一ツ瀬川の向こう側にあった東米良村(昭和37年,三財村とともに大部分が西都市に編入)に属していた。旧東米良村の廃校廃村への道は,様子がわかるむっちーさんのクルマの先導で走った。

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吐合・尾八重川キャンプ場の施設として使われた岩井谷小学校跡の校舎       最終年度(昭和61年度)の卒業制作の手形が残っていた      .

# 6-3
最初の目的地 吐合(Hakiai)は尾八重川沿いの谷間にある。学校の名称は岩井谷小学校。岩井谷(Iwaidani)は東側の谷を流れる川の名前で,上流には岩井谷集落がある。岩井谷小学校は,へき地等級1級,児童数152名(S.34)。明治11年岩井谷で開校し,大正15年小八重(Kobae)に,昭和21年吐合に移転。昭和62年閉校。学校跡は尾八重川キャンプ場の施設として使われたが,平成20年に閉ざされて,校舎は柵で囲まれていた。
学校跡北側の住宅のほうのも足を運んだ。旧東米良村の集落の多くは,山の中腹に形成されており,川沿いの吐合にはもともと教員住宅など,少数戸しかなかったようだ。「かたすみ」の佐藤さんによると,吐合の現住戸数は1戸,町から来られた方が使われているだけとのこと。

吐合の現住戸数は1戸のみ


# 6-4
樅木尾へ向かう途中,尾八重川上流の集落 尾八重(Ohae)までは,両側に山がそびえる川沿いの狭い道を走ったが,途中すれ違うクルマは1台もなかった。尾八重は,日当たりのよい山の中腹にある明るい感じがする集落で,尾八重神楽は,県指定無形民俗文化財に指定されている。
尾八重小学校は,へき地等級3級,児童数75名(S.34),明治8年開校,昭和57年閉校。広い校庭は整っていて,平屋建て木造校舎を覗くと神楽の関係で使われている様子だった。書籍「ここに学校があった」には,尾八重には「神楽を通して村の伝統文化を後世に伝承したい」という地域の方の意志があるとのこと。毎年11月に神楽が奉納される尾八重神社は,学校跡の北東隣に位置する。

# 6-5
集落の中ほどにある,ギャラリーとなった尾八重郵便局跡(平成17年頃閉局)を訪ねると,前日寒川(Sabukawa),吹山(Fukiyama),片内を同行しためいこさんの名前がノートに見当たった。尾八重の探索はおよそ1時間,数匹のネコを見かけたが,地域の方には誰にも出会わなかった。
2番目の目的地 樅木尾は,県指定天然記念物 樅木尾有楽椿(わが国最大級の椿)がある集落で,道には「有楽椿の里」を案内する標示板が出ている。事前にこの情報を知らなかった私は,かもしかさんと「椿の里って何なのでしょう」と話しながらいたが,むっちーさんのクルマの動きに従って,椿の里に向かう三差路は何となく通り過ぎた。三差路を過ぎて間もなく,道路沿い左手に学校跡の建物が見えてきた。

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樅木尾・道路沿い左手に何となくある小椎葉小学校跡の校舎                校舎は,コウモリの棲み家になっていた      .

# 6-6
小椎葉小学校は,へき地等級2級,児童数73名(S.34),明治11年開校,昭和55年閉校。学校跡は樅木尾と小椎葉(Koshiiba)という2つの集落の中間地点にあるが,「廃村千選」では樅木尾を所在地名としている。五万地形図(尾鈴山,S.44)の文マークは破線の道の西側にあって,隣りには鳥居マークが記されている。今の学校跡は道の東側にあり,神社は見当たらないので,今の道ができて様子が変わったのかもしれない。
「お邪魔します」とご挨拶をして校舎に入ると,数匹のコウモリが羽を広げて迎えてくれた。また,校舎南側の運動場跡の一角には「西都市立小椎葉小学校跡」と刻まれた閉校記念碑が見当たった。寒川から西都市内の廃校を6つ回ったが,6つとも学校跡の碑があるというのは特筆すべきことだ。

# 6-7
小椎葉集落付近からは北に向かって山腹を下り,打越(Uchikoshi)集落付近からは南に向かって打越川沿いの谷間の道を下ります。地図で見るとMの字を描くようだ。打越川沿いの道とR.219の交点,M字の左下側にあたる場所には,瓢丹淵(Hyoutanbuchi)という集落がある。
瓢丹淵はかつての東米良村役場所在地で,今も西都市役場東米良支所が置かれている。しかし,まとまった平地がなく,戸数は4戸(H.23),郵便局はありますが,昔から学校は所在しなかった。平成17年頃まであったJAの支所は上流の銀鏡(Shiromi)に統合,診療所は中尾地内 一ツ瀬ダム湖(米良湖)のほとりに移転した。旧東米良村の人口は,昭和10年の4,407名が平成23年には392名(木城町に編入された中之又を除く)に急減している。

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       瓢丹淵・JAの支所,診療所は移転していた              一ツ瀬ダムの湖畔で見かけた子供達の像

# 6-8
瓢丹淵でJAの支所跡,診療所跡をちらりと見て,一ツ瀬ダムの湖畔で飲み物を買って,3番目の目的地 一ツ瀬小学校跡がある古仏所を目指した。
古仏所の戸数は事務所のような家屋を含めて3戸(H.23)。宮崎交通のバス停名は「こぶつくろ」,R.219の地名のローマ字表記は「こぶところ」と,微妙に異なる。読み方が2通りあると,どちらを使うと迷うが,「廃村千選」では「こぶつくろ」としている。
中尾小学校は,へき地等級1級,児童数109名(S.34),明治9年開校,昭和37年に八重小学校と合併し新たに一ツ瀬小学校が開校(一ツ瀬ダムは昭和38年に竣工し,中尾小学校跡は水没),昭和57年閉校。学校跡はダム湖を見下ろす高台にあるので,私達は門柱のそばの木陰で昼食休みをとった。

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古仏所・ダム湖を見下ろす高台にある一ツ瀬小学校跡の校舎                校舎の中には校区を示す地図があった       .

# 6-9
学校跡を探索すると,整った校庭はシカ除けと思われる電柵が施されており,鉄骨造2階建ての校舎は床がはがされていた。むっちーさんによると,校舎の西隣にあった体育館は,台風の被害で取り壊されたばかりとのこと。その他,プールの跡や閉校記念碑などが見当たった。
西都市の「廃村千選」のポイント全8か所のうち,この旅で6か所訪ねることができた。今度訪ねることがあったら,吹山林業集落跡や,樅木尾椿の里,小椎葉,残る2か所のポイント 久野(Kuno),猪原(Inoharu)にも足を運びたいところだ。
一ツ瀬小学校跡は,この日の行程のちょうど中間点。私はかもしかさんのクルマからむっちーさんのクルマへと,荷物とともに乗り換えた。

# 6-10
大分へ帰られるかもしかさんを見送って,古仏所を出発したのは午後1時10分。西米良村役場所在地の村所(Murasho)は,前日 佐土原を出発して以来,いちばん大きな集落だが,ガソリンスタンドは2軒とも休みだった。
村所と小林市街を結ぶR.265(約63km)は,狭い道で延々と山の中を走る区間として名を馳せている。しかし,そもそも廃村めぐりの道は,前日の寒川への道のように狭くて荒れていて,帰りは来た道を戻らなければならない道が多いので,通り抜けることさえできれば心配は不要といえそうだ。
尾股峠に登り着くと,「清水産業(株)尾股山林」という看板が立っていた。尾股のような民間企業の営林事業集落は,全国的にもあまりない。

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  尾股・R.265沿いには閉ざされた古びた社宅があった             昭和の匂いがする社名入りの看板

# 6-11
4番目の目的地 尾股では,まず社宅が数戸残る場所を探索した。R.265沿いの古びた社宅は閉ざされて久しい雰囲気だった。小高い場所には「清水産業(株)尾股駐勤所」という看板がある建物が見えたが,人の気配はなかった。「駐勤」ということは,勤務で駐在する建物なのだろうか。
その他,「昭和17年創業」との旨が記された創業記念碑,「火の用心 野鳥を愛しましょう」という社名入りの看板が見当たった。
次に,社宅から1kmほど南側にある学校跡を訪ねた。R.265にクルマを停めて橋を渡ると,個性的なオブジェと門柱があって,その奥には落ち着いた感じの平屋建て木造校舎が建っていた。

尾股小学校は,比較的訪ねやすいへき地5級校と言える

# 6-12
村所小学校尾股分校は,へき地等級5級,児童数63名(S.34),昭和17年開校,昭和36年 尾股小学校として独立,昭和53年閉校。山の奥深くではあるが,R.265沿いのわかりやすい場所にあるので,比較的訪ねやすいへき地5級校と言える。道中,尾股ほど深い山の中でもFMラジオが綺麗に聞こえることをむっちーさんに尋ねたところ,「FM宮崎は,1000mを超える山上に送信所があるから入りがよい」とのことだった。
尾股を後にして小林市(旧須木村)に入ると,ほどなく綾北川のダム湖を渡る橋があり,左手に田代八重ダムの堤体が見えたので,ここに立ち寄った。私が何気なく見ているダム湖について,むっちーさんが熱心に写真を撮っているのは,普段水没しているR.265の旧道がはっきり見えているからだった。

# 6-13
5番目の目的地 田代八重は綾営林署に関係する営林事業集落で,営林署以外の家も数戸あったが,田代八重ダム建設(平成11年竣工)のため無住化した。読み方は「たしろがばえ」「たしろばえ」の2通りあるが,「廃村千選」では「たしろばえ」としている。
須木小学校綾北分校は,へき地等級4級,児童数109名(S.34),昭和16年開校,昭和41年 田代八重小学校として独立,昭和49年閉校。ダム建設時,資材置場として使われたという学校跡は普段水没しているというが,この日ははっきりと姿を現していた。10数回訪ねているむっちーさんが初めて学校跡を見たということを考えると,相当な幸運といえそうだ。

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川向こうから見た田代八重小学校跡地(普段は水没している)           高台(道の途中)から見下ろした田代八重小学校跡地   .

# 6-14
猿谷橋から旧道の橋とお墓を見て,田代八重の探索は終了。小林市街までのR.265はスムーズに走破。えびのICから鹿児島空港ICまで高速道を走り,日当山温泉「西郷どん湯」に到着したのは夕方6時。前日の佐土原から日当山温泉までは,おきのくにさん,むっちーさん,かもしかさん,再びむっちーさんと,クルマを乗り継いだことになる。夜は「蛍」という居酒屋に繰り出して,南国のひとときを楽しんだ。
翌19日(月,旅5日目)は朝6時起床。天気は快晴。「青春18きっぷ」でJR肥薩線,吉都線,日豊線のローカル列車に乗車し,宮崎空港から羽田に向かった。全県踏破達成の旅は西都市片内で結実。その後,吐合から田代八重までは,改めて500か所超えを目指す旅とした。



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