午年の旅のはじめは伊勢路まで

午年の旅のはじめは伊勢路まで 三重県津市北布引

廃村 北布引(きたぬのびき)には,スギの皮が貼られた家屋が残されていた



2014/2/8 津市(旧白山町)北布引

# 09-1
平成26年(午年),新年初の廃校廃村への旅は,雪とは縁が薄そうで,情報が乏しい三重県・伊勢の戦後開拓の廃村 北布引(Kitanunobiki)を目指すことになった。北布引は伊勢と伊賀の国境,標高約400mの布引山地の高原にあり,最寄駅は近鉄大阪線の東青山駅で,距離は5kmほどだ。
「新潟県 戦後開拓の歩み」(1970)には「北布引開拓地は,昭和24年に新潟県南鯖石村(現柏崎市)出身の満蒙開拓の帰還者が入植して成立。翌25年には,50戸の送出を終了」との旨が記されている。また,「三重一志白山町文化誌」(1973)には,「北布引開拓地は,近鉄東青山駅から険しい山道を約1時間歩く」との旨が記されている。しかし,既存集落と離れた高原の生活環境は厳しく,開拓から10年ほどで全戸下山に至ったとのこと。

# 09-2
この区間の近鉄は,青山トンネルの付け替え(昭和50年)によってルートが変わっており,調べると旧東青山駅は現駅よりも2kmほど西側の山中にあることがわかった。「できれば,旧駅から布引の滝経由で集落跡まで続く昔ながらの山道を歩いてみたい」と思い,二万五千図(佐田,S.45)などを用意した。訪ねるにあたっては,大阪の実家への帰省を兼用とし,愛知県在住のネット仲間 井手口(きたたび)さんをお誘いすることになった。
平成26年2月8日(土)の起床は未明4時頃。全国的に記録的な大雪が降った日で,始発の新幹線の名古屋着は30分遅れ。名古屋から近鉄の急行と普通電車を乗り継いで,東青山駅に到着したのは午前10時3分。駅前には井手口さんのクルマが待っていて,道南・八雲の廃村以来1年9か月ぶりに再会した。

近鉄大阪線の普通電車で東青山駅に到着


# 09-3
東青山駅からは一度R.165に出て,旧東青山駅を目指した。途中の集落 垣内(Kaito)は,大阪・奈良と伊勢神宮を結ぶ初瀬街道の宿場町として栄えたとのこと。垣内から頼りない山道を走ると「食事処」のノボリが見えてきた。「この山奥に何なんでしょうね」と話していたが,着いてみると「リベラルパーク青山」という施設内のレストハウスのものだった。「営業中」の看板が出ていたが,雪天のためか人の気配は感じられなかった。
施設前で道が二又になったので,ここでクルマを停めて探索を開始した。旧駅は左側の道を1kmほど上った場所にある。小雨が降る中,うっすら雪が積もった坂道を,私は折りたたみ傘と普段の靴で,井手口さんは傘なしの長靴で歩くと,前方に駅跡のホームが見えてきた。

旧東青山駅のホームが見えてきた

# 09-4
旧東青山駅は旧青山トンネル(全長3432m)と旧滝谷トンネル(全長727m)の間にあって,両トンネルの入口には施錠はされていなかった。トンネルで雨をしのいでひと休みした後,駅跡のすぐ裏のコンクリートの2か所の階段をそれぞれ上ると,一方は神社(山神社)の場所で途切れていた。もう一方はしっかりした階段が続いていたので「順調に行けるか」と思えたが,何かの施設の跡と思われる平地の場所で道は途切れた。
「悪天の中,無理は禁物」と,その先の山道探しはあっさりあきらめて旧駅に戻ることになった。「雨を防ぎましょう」と,滝谷トンネルの中を歩くことになった。二人ともライトは持っていなかったが,広くてしっかりしたトンネルには危ない雰囲気は薄く,無事完歩することができた。

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しっかりした階段が続く旧東青山駅裏の山道                  滝谷トンネル(廃トンネル)ライトなしで歩いて完歩


# 09-5
トンネルを抜けた鉄道跡は,滝谷川沿いの山道と平面交差しており,左へ向かうと布引の滝,右へ向かうとクルマの場所だ。「滝の下から上がっていけるかも」と左の道を選んだが,間もなく飛び石伝いの箇所に出くわし,「すべると危険」との判断で,この道もあきらめることになった。
「昼食はリベラルパークのレストハウスにしよう」と思っていたが,着いてみると看板は「只今準備中」になっていた。しかたがないのでR.165まで戻り,国道沿いのお店を探したが,どこも廃業となっている。「ドライブインは過去の時代のものなのかな・・・」などと話しているうちに,「猪の倉温泉」という温泉の看板が見当たった。昼食は,猪の倉温泉の施設「しらさぎ苑」の広くて賑わいがある食事処を使うことになった。

# 09-6
猪の倉温泉出発は午後2時20分。布引の滝の滝見台を通る車道(東青山駅から5kmのルート)を選び,青山メモリアルパークまで走ると,その先の未舗装の林道は観光の方はめったに来ない雰囲気となった。滝見台近くまで上ると道の雪がしっかりしてきたので,クルマを停めて,その先は歩いて行くことになった。布引の滝はなかなかの景勝地で,滝見台から渓谷へ下る道もありそうだったが,この天候では使えそうではなかった。
事前の旧白山町の公的施設への分校についての問い合わせで,「滝見台から1kmほど先にNTTの看板があり,その100mほど先に木製の細い電柱がある場所が分校跡です」というお返事をいただいていたのは心強かった。滝見台から積雪5cmほどのなだらかな道を歩くこと20分,目標の細い電柱が見えてきた。

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北布引分校跡を示す木製の細い電柱            電柱は「ここに分校があった」ことを語りかけるようだった

# 09-7
倭小学校北布引分校は,へき地等級3級,児童数15名(S.34),昭和24年開校,昭和37年閉校。分校跡は平地となっていたが,電柱のほかに往時を偲ぶものは残されていなかった。しかし,電柱は「ここに分校があった」ことを語りかけるようで,到達の達成感はいつになく強いものだった。
みぞれが降る中,苦労しながら「ウェブマッピングシステム」の空中写真(S.47)を見ると,分校跡は集落跡の北西の隅のほうにあって,西隣には特徴のある丸い丘が見られた。丘に沿って先を進むと,車庫のような崩れた屋根と廃棄物が見つかった。「不法投棄なのかな」と思いながらも生活の匂いに興味を感じ,旧道と思われる小道をたどってみると,別の木製の細い電柱が見つかり,その先には古びた家屋が建っていた。

北布引の古びた家屋には,1990年のカレンダーが残されていた

# 09-8
家屋は民家でスギの皮が貼られており,残されていた日めくりのカレンダーは「1990年」とあった。「新潟県 戦後開拓の歩み」にある「昭和35年に全戸下山」は分校の閉校年と一致しないので,昭和37年頃を閉村時期と考えていたが,どうやらその後も暮らしがあった様子だ。その真実は謎のままだが,「謎で終わることができるのは,趣味と研究との大きな違いですね」と私が話すと,井手口さんは「確かに」といって笑っていた。
探索終了後は,再び「猪の倉温泉」を訪ね,温泉に浸って大満足。予想外の雪が印象深かった会の散会は夕方6時。榊原温泉口駅から近鉄特急に乗って1時間20分,平成26年初めての大阪には,鶴橋駅から入った。前日に積もった大阪の雪は,この日降った雨のため,ほぼ消えたようだった。



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