名阪間に残った未訪廃村へ(2)

名阪間に残った未訪廃村へ(2) 岐阜県揖斐川町谷山

廃村 谷山(たにやま)に向かう道(東海自然歩道)には道標があった



2014/3/23 揖斐川町(旧春日村)谷山

# 12-1
名阪間に残った未訪の廃村,岐阜県揖斐川町(旧春日村)の農山村 谷山(Taniyama)が最後まで残った。「東海自然歩道が通る廃村」として,その存在は早い時期から知っており,「廃村千選」岐阜県のリストでも気になっていたが,なぜか足を運ぶ機会がなかった。
地図で見るところでは,養老鉄道の揖斐駅と谷山の距離はおよそ13km。揖斐駅にはレンタサイクルがあるので,これを使って行く計画を立てた。
平成26年3月23日(日),当日の天気は快晴。朝8時半に大阪の実家を出発して,JR東海道線(在来線)経由で大垣へと向かった。ちょうど春休みの頃,米原−大垣間は「青春18きっぷ」を使った旅行者で賑わっていて,進行左手の車窓には雪をかぶった伊吹山が,小さな雲を従えて佇んでいた。

# 12-2
大垣駅で途中下車して,乗り換えた養老鉄道(2007年に近鉄から分離)の運転系統は大垣−養老−桑名と,大垣−揖斐に分かれている。電車は「サイクルトレイン」といって,自転車をそのまま載せることができる。しかし,電車に載ってくる自転車は見られなかった。
終着駅の風情が感じられる揖斐駅に到着したのは午後12時7分。 広い駅前ターミナルだが,人影はまばらにしかない。 揖斐川町の中心部は揖斐川の向こうにあって,川向こうの名鉄揖斐線の本揖斐駅は,2001年10月に廃止になった。 「谷山までの行程は,往復約30qを4時間」と見積もって,揖斐駅を出発したのは午後12時15分。自転車は,変速機のないシンプルなものだった。

養老鉄道揖斐駅で,自転車を借りる

# 12-3
菜の花が咲く粕川の堤防道を走っているうちに,自転車の空気圧がゆるいことが気になり始めた。「自転車屋がある駅前まで戻ろうかな」と思いながら,先を進む判断をすると,道中,自動車のお店で空気入れを借りることができた。空気圧のチェックは入念にしなければいけないと思った。
旧春日村に入ったあたりから,県道の坂の傾斜は厳しくなったが,交通量は少なく,自転車を押していても心地よいぐらいだ。商店がある樫村バス停で枝道に入り,しばらく走ると「全面通行止め 混野辺橋から旧谷山集落間 地すべりのため」という看板が見当たった。「だいぶ先のことだから,見なかったことにしよう」と先に進むと,この道は旧道で,再び県道に戻った。

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「旧谷山集落方面 全面通行止」の旨の看板                六合小学校跡の校門はレンガ造り          .

# 12-4
五万地形図(長浜,S.42)に記された県道から谷山に向かう道は,高台にある上ヶ流(Kamigare)を経由する道と,粕川沿いの下ヶ流(Shimogare,旧村役場所在地)の少し先から高橋谷川をさかのぼる道の2系統ある。まとまった戸数があるという読みから選んだ下ヶ流に到着したのは午後1時15分。旧道の六合バス停近くには,六合小学校(昭和61年閉校)跡のレンガ造りの校門が見当たった。六合(Rokugou)は大字名で,谷山も含まれる。
学校跡で地形図を見直していると,高橋谷川沿いの道が等高線に沿っていないのが気になり始めた。集落に人影は見当たらず,近くの開店中の床屋に入って道を確認すると,「上ヶ流の先に谷山へ続く道がある」というお話しを受けたので,郵便局がある場所まで戻り,上ヶ流を目指した。

# 12-5
下ヶ流−上ヶ流の道の傾斜はとても急だが,茶畑が広がる景色は雄大だ。汗をかきながら自転車を押して上ヶ流に到着したのは午後1時50分。集落には自販機があり,ほんのり人けが感じられる。上ヶ流でも「全面通行止め」の看板が見られたが,「とにかく行けるところまでいこう」と先に進んだ。
上ヶ流からは,自転車に乗れるぐらいのゆるい上り下りの道で,途中からダートになった。やがて高橋谷川が近づいてきて,橋を渡った場所には川沿いの道への分岐があった。どうやら高橋谷川沿いの道を選んでも,たどり着くことができたようだ。
地すべりは,橋から少し先で起こっていた。道はすごい量の土砂の量で閉ざされていたが,重機が置かれた場所まで上って何とか通り抜けた。

地すべりは,谷山まであと1.5kmほどの地点にあった

# 12-6
5分ほどで地すべり地点を越えて,谷山まであと何kmから気になった。時間は午後2時15分。あと2時間で揖斐駅まで戻れるかどうか,心配なところだ。しかし,ほどなく「六合3.7q 谷山1.2km」という東海自然歩道の道標を見つけることができた。往復2.4qなら,何とかなりそうだ。
石が転がる舗装道を歩いていると,川の向こうに墓地が見つかり,谷山に到着したのは午後2時30分。道中,なんぎはしたが,その分,到着の達成感はひとしおだ。集落には神社(白髭神社)跡の石製の標柱と階段,数軒の作業小屋があり,「谷山集落の歴史」の碑が「仏照寺谷山説教所跡地」の碑と並んで建っていた。碑の記述から,谷山は木地師由来の山村で,昭和42年に全戸が移転して廃村になったことがわかった。

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「谷山集落の歴史」の碑と「仏照寺谷山説教所跡地」の碑                 谷山には,数軒の作業小屋が建っていた     .

# 12-7
六合小学校谷山分校は,へき地等級2級,児童数4名(S.34),昭和34年開校,昭和41年休校,昭和42年閉校。「春日村史」には「校舎は昭和35年10月落成,工事費133万円」とある。さらに「昭和42年5月,校下の住民が全部転出したため,移築し公共施設に利用した」と記されている。わずか6年しか使われなかった校舎はどこに建っていたのだろう。約20分の探索の間,谷山では2人組のハイカーの方に出会っただけだった。
探索はやや急ぎ足となったが,標高は谷山430mに対して揖斐駅43m。地すべり地点を越えてから,乗った帰路の自転車のペダルは軽く,上ヶ流の自販機でジュースを飲んで,樫村バス停近くの商店で土産のお茶を買って,数枚のセルフタイマー画像を撮ってと,ずいぶん余裕をもって帰ることができた。

粕川の堤防を,一路揖斐駅へと走る

# 12-8
養老鉄道揖斐駅に戻り着いたのは午後4時8分。地すべり地点から約12kmの道のりは,余裕を含めて1時間ぐらいで走ることができた。帰りの大垣行の出発は4時35分。思いがけず生じた駅で過ごす時間は,線路止めのそばで寝ころんで電車が来るのを見るなど,のんびり感を楽しんだ。
この自転車のレンタル代(100円)が非常に安かったので,記念にと揖斐駅の硬券入場券を購入したら200円かかった。大垣に着いてしまえば,後はあっという間で,南浦和へ帰り着いたのは夜8時40分。名古屋−東京間の新幹線は混雑しており,おつかれさまのビールは350ml一缶だけに抑えた。
この2泊3日の旅で,名阪間に残った未訪の廃村(青田,蓮,谷山)に3つとも足を運ぶことができ,「廃村千選」の累計訪問数は399か所になった。



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