申年の 旅の始めは四国まで(2)

申年の 旅の始めは四国まで(2) 徳島県三好市山風呂

廃村 山風呂(やまぶろ),閉校から36年を経た分校跡の建物が残る



2016/1/11 三好市(旧池田町)山風呂

# 26-1
申年最初の四国の廃村めぐり,「四国本土一番の難関」と呼ばれる高知県上岡に続いては,「それほど険しくはないけど,味わい深いであろう」と思った徳島県三好市の山風呂(Yamaburo)を単独で目指した。村影さん,おきのくにさんからの情報によると,小さな分校跡校舎が残されているらしい。
平成28年1月11日(月祝),「オリエントホテル高知」で目覚めたのは朝6時頃。宿から高知駅までは,「とでん」と呼ばれる路面電車を使った。高知県を訪ねるのは6回目だが,路面電車に乗るのは初めてだ。宿最寄りのグランド通り電停から高知駅前電停までははりまや橋電停で乗り換える必要がある。とでんの運賃は高知市内200円均一。乗り換えで費用は発生しない。橋を見物するにもちょうどよい途中下車だ。

# 26-2
ただ,1番(後免町行き)乗り場からだと3番(高知駅前行き)乗り場とはりまや橋は逆方向だった。あまり時間に余裕がなく,少々あせった。はりまや橋の手前にはアンパンマンの石像が建っていた。高知では,各所でアンパンマンを見た。
はりまや橋から乗った「とでん」は,5分足らずで高知駅前電停に着いた。JR高知駅はこれまで通過したこともなく,正味初めて訪ねた。
駅正面では「土佐の三偉人像」(坂本龍馬,武市半平太,中岡慎太郎)が迎えてくれた。駅前はとても広々としているが,正面右側にはロードサイドショップのはずのコーナンが構えていた。 JRはディーゼルカーだが,大原さんによると「電化したい」という声は皆無だそうだ。

JR高知駅と,「とでん」が停まる高知駅前電停


# 26-3
高知駅から乗ったアンパンマン仕様の特急「南風」は,午前9時5分,阿波池田駅に着いた(所要時間は1時間5分)。旧池田町は三好市の中心町で,駅で途中下車するのは初めて。岡山駅からだと1時間20分だから,東京・大阪ともに徳島県の中では行きやすい町といえる。
レンタカーに乗って吉野川沿いのR.32を走り,祖谷口で祖谷川沿いの道に入り,しばらく進んだ祖谷川と松尾川の合流点には,出合という集落がある。なぜか〒マークの建物が二つ並んでいたのでクルマを停めて確認すると,ひとつは旧郵便局,ひとつは新郵便局だった。この日は成人の日のため両方閉まっていたが,新郵便局は翌日から業務を開始するとのこと。偶然にも私は新旧郵便局のバトンタッチの狭間に立ち寄ったらしい。

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     出合の道沿いに並んでいた新旧出合簡易郵便局            閉ざされた家屋には「三縄郵便局増淵集配所」という標札があった


# 26-4
松尾川沿いの道は険しい崖を縫うように続いている。やがて「三好市西祖谷山村」という看板が現れて,その右手に山風呂へ続く枝道が分かれていた。左手には枯葉をかぶった建物の屋根が見える。「村影弥太郎の集落紀行」Webに「山風呂からの本集落からの転出者が居を構えたものだろうか」と記されている家屋だ。危うい階段を降りて確認すると,閉ざされた家屋には「三縄郵便局増淵集配所」という新しい標札があがっていた。
三縄は,池田市街よりもひとつ山寄りの町の名前だ。普通に考えると出合郵便局のエリアになるはずだが,簡易郵便局になった後に変わったのだろうか。いずれにしても,稼働していそうな雰囲気ではない。近くの県道の脇にクルマを停めて,山風呂に向かって歩き始めた。

# 26-5
県道から山風呂へと続く脇道は,一応クルマが通れる幅はあるが,とても傾斜が急でかつ荒れていた。左は深い谷,右は岩肌で,所々に崩壊箇所が見られた。「クルマは通行不可」と見てよいだろう。地図を調べたら,分岐点の標高が530m,地形図上で特徴的な切返しが680mだから1km弱の間に150mも上がっている。まあ,昨日の上岡までの道と比べたら,穏やかな道だが。この日はとても暖かで,汗ばみながら先へと進んだ。
道の途中には,NTTの「ヤマブロセン」と記された標示板が落ちていた。電話線の撤去は直近だったのだろうか。切返しには予想より早く,20分ぐらいでたどり着いた。ただ,地形図に記された切返しよりも手前にあるような気がしてならない。

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クルマが通れる幅はあるが,急傾斜で荒れた山風呂への道               切返しの先に,整った家屋が建っていた      .


# 26-6
切返しから5分ほど歩くと視界が開けて,左手の傾斜面に畑の跡が見えて,山風呂集落跡までたどり着いた。二つ目の切返しには軽トラが残されていおり,切り返したその先にには整った家屋が建っていた。しかし,その場所はどん詰まりになっていた。
「軽トラの向こうに道が続いているのであろう」と思い,切返しまで戻って先へと進んだ。軽トラを越えるとまもなく道はなくなったが,「崩落したのかな」と思い,50mほど斜面を這いながら歩いて,けもの道にたどり着いた。200mほど歩いたが,人工林が続くばかりだった。しかたがないので来た道を戻ると,上方に人工林の中に石垣が見えたのでジグザグに斜面を這い上った。「とにかく分校跡を見つけなければ…」と少々焦った。

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         上岡と似た構図で,廃車の軽トラが残る              人工林の中の石垣をたどって分校跡を探す


# 26-7
所々に石垣が見当たる人工林を這い上がり,けもの道をたどると,やがて視界の下手に建物の屋根が見えてきた。「何だろう」と思って近づいてみると,まずまずの大きさがある建物だった。「もしかすると…」と中に入ってみると,教室があって傷んだ黒板が迎えてくれた。裏手の山からアプローチしたことになったが,山風呂分校跡にたどり着くことができた。集落跡到着から見つけるまで25分かかった。
平成27年5月の道北・歩古丹でなんぎしながら分校跡の建物を見つけたときも感じたが,立場上「見つからなかった」は許されないのだ。ずいぶん傷んでいたが,黒板が残っていると学校跡という感じがしてよいものだ。校舎内には職直室もあって,机とカーペット,冷蔵庫が残されていた。

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分校跡の校舎には,集落跡の裏山から下りてアプローチした            校舎の中に入ると,教室の黒板が迎えてくれた      .


# 26-8
出合小学校山風呂分校はへき地等級3級,児童数4名(S.34),明治24年開校,昭和55年休校,昭和57年閉校。児童数のピークは12名(S.39,S.41)で,休校前の3年間(S.52−54)は1名だった。校舎の表側には,ブランコなどの遊具が残されていた。それに続いて,細長い運動場があった。季節がらか運動場に草は生えておらず,とてもすっきりしていた。私は運動場から一段高い斜面に上り,岩に腰かけて昼食休みをとった。
昼食後,分校跡から道なき斜面を上がると,上方の段には朽ちた家屋の残骸や,風呂釜など,「いかにも廃村」という風景が広がっていた。地形図を見直すと,この辺りが往時の村の中心部らしい。住宅地図から推測した村の閉村時期(1戸のみになった時期)は,昭和末頃である。

# 26-9
分校跡上方の段の北側には上り坂が続いていたが,山へ向かうだけのように思えたので途中で引き返した。南側はゆるい傾斜の里道で,家屋跡に混じってお堂,お墓,仏様など,多様なものを見ることができた。路傍の仏様にご挨拶をして先に進むと,今にも崩れそうな草屋根の家屋が建っていた。
その先にも山道は続いていたが,そろそろ切り上げたほうがよさそうな時間となったので,分校跡の校庭まで来た道を戻った。校庭からは,車道に続くと思われる下りの坂がある。「どこにたどり着くだろう」と思いながら下りていくと,最初に見た整った家屋の脇に着いた。「本来はここから行きます」という場所へ探索後に着くという構図は,平成27年5月の歩古丹と同じだ。根が天邪鬼なせいかもしれない。

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ゆるい傾斜の里道沿いには,お堂が建っていた                 今にも崩れそうな草屋根の全壊家屋が建っていた


# 26-10
整った家屋の少し奥には,まとまった数の墓石が見られた。お供え物等は何もなかったが,墓石群はとても整っており,私はそっと手をあわせた。かつての車道までたどりつき,帰途に着こうとすると,道の左側に茶畑の跡が見られた。枯れた茶の木は白くなって,光に照らされていた。分校跡,墓石群,茶畑跡と,共通して雑草の類が見当たらない。冬という季節がらもあるが,水が少ない場所だからではないかと思った。
切返しのところまで歩いたとき,なごり惜しくなってもう一度上り坂を登って集落跡に戻ってみた。集落跡入口,左側の石垣の上に畑の跡には横を向いた小さな石仏が奉られていた。近くまでいってご挨拶をして,探索を終えることにした。2時間強の間,山風呂では誰に会うこともなかった。

掃除されているかのようにさっぱりした墓石群


# 26-11
阿波池田までの帰り道では,出合の商店で今小町という地酒をお土産に買い,祖谷口という小さな駅に立ち寄り,徳島という地方の空気を味わった。ローカル線のローカル駅は,なかなか使う機会がない。次の旅では,どこかのローカル駅で途中下車する計画を立てよう。レンタカーは5時間半使って,走行距離はわずか56km。的をしぼったピンポイントのレンタカーも悪くはない。
阿波池田発午後3時24分の特急「南風」もなぜかアンパンマン仕様だった。瀬戸大橋を渡り,岡山で山陽新幹線に乗り換えた後は,新大阪で途中下車してこの日泊まる大阪・堺の実家に向かった。新大阪着は夕方5時34分。陽が短いこの季節,夜の帳は新幹線の車中で下りた。



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