さまざまな神様が宿る会津の廃村

さまざまな神様が宿る会津の廃村 福島県会津美里町菅沼,海老山,
___________________________________________仏沢,大谷地

廃村 海老山(えびやま)には,傷んだ子安観音堂が残っていた



2014/5/11 会津美里町(旧会津高田町)菅沼,海老山,(旧新鶴村)仏沢,大谷地

# 8-1
平成26年5月,国立環境研究所 深澤さんと訪ねる福島県会津地方の廃村めぐり,旅2日目 5月11日(日)の起床は朝6時頃。天気は晴。この日訪ねる会津美里町(旧会津高田町,旧新鶴村)の廃校廃村4か所は,すべて私も初訪問。どんな展開になるかは,開けてみてのお楽しみだ。
東山温泉「伏見荘」を出発し,まず旧会津高田町菅沼(Suganuma)を目指した。会津盆地を横切って,会津高田市街から大岩観音方向にクルマを走らせると,山麓には舗装された大規模林道が通じていた。これを北側に行くと菅沼にたどり着けそうだ。大岩観音は会津33観音霊場のひとつだが,どうやら大岩も廃村の様子だ。大規模林道から分かれた菅沼までの約1kmは荒れたダートで,レンタカーならばまず走らないことだろう。

# 8-2
深澤さんとの2月頃のやり取りでは,「地域の野生動植物や景観の管理および保全」のサンプリングの対象として,会津の廃村(無人化集落)を,(1)管理されているもの,(2)管理されていない比較的新しいもの,(3)管理されていない古いものの3つに分類するとどうなるかという課題を承っていた。
私は,足を運んだ感じと「地理院地図」Webの二万五千図の様子から,会津若松市と会津美里町の6つの廃村(ダムに水没した川渓を除く)については,(1)大巣子,中湯川,(2)海老山,(3)二幣地,菅沼,大谷地と回答した。菅沼,海老山,大谷地の見当は,どこまで確かだろうか。荒れたダートをゆっくり走ると,少し視界が広がったので,午前9時,ここにクルマを停めて菅沼の探索を開始した。

少し視界が広がった場所にクルマを停めて菅沼の探索を開始

# 8-3
菅沼は一部スギの植林がされているが,おおむね見通しがきくすっきりした廃村で,小高くなった場所にある一軒の古い建物が目を引いた。「何だろう」と思って近づいてみると,個人宅ではなく作業場のようだったが,はっきりとしたことはわからなかった。
深澤さんは,シジミチョウやアマガエルなど,小動物の観察をしながら探索している。深澤さんによると,「チョウは晴れた日の午前中,気温が15℃を超えるとよく飛ぶようになる」とのこと。この日は前日よりも日差しが強くて気温が高く,小動物の観察には好条件といえる。田畑の跡のような湿った平地では,モモの白い花とスイセンの黄色い花が咲いていた。新しい切り株や剪定された枝があり,まずまず管理されているように思えた。

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菅沼に残るタバコを乾燥させる施設の跡                      分校はモモの木(中央)の手前にあった

# 8-4
尾岐小学校菅沼分校は,へき地等級1級,児童数9名(S.34),昭和32年開校,昭和44年閉校。二万五千図(会津高田,S.51)には卍マークと鳥居マークが並んで記されているが,それ以前の地形図にも文マークは載っていない。観音堂,神社を探してみたが,収穫はゼロだった。
帰り道,橋の近くに3人の男性の姿が見えたので,クルマを停めてご挨拶をすると,菅沼出身の方(金田さん)を含むこの方々は地区の共有財産の調査のため,これから菅沼に向かうとのこと。千載一遇のチャンス,「調べ物をしています」と伝え,私,深澤さんもこの隊に加わると,金田さんから「離村は昭和47年」,「残っている建物はタバコを乾燥させる施設」,「分校はモモの木の手前にあった」など,貴重な情報を教えていただくことができた。

# 8-5
山麓の大規模林道,大岩観音近辺から南側に行くと,次に目指す海老山(Ebiyama)にたどり着けそうだ。山菜採りの方のクルマが時折見られる林道の走りは快適だが,進むに連れて日影では雪の塊が見られるようになってきた。
大岩から5kmほどで旧道との三差路に到達。海老山の集落跡は三差路から少しだけ旧道に入った場所にあった。旧道はダートで,これを走って訪ねていたら,また違った印象を受けていたことだろう。クルマを停めて旧道から見下ろした集落跡はすっきりしていて,見晴らしの良さは特筆ものだ。まず,二万五千図(東尾岐,S.51)に載っている史跡のマークが何かを確かめると,それは江戸期の庚申塔と二十三夜供養塔だった。

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とても見晴らしがよい5月の海老山集落跡                  庚申塔と二十三夜供養塔碑が並んで立っていた

# 8-6
尾岐小学校海老山分校は,へき地等級3級,児童数15名(S.34),昭和18年開校,昭和48年閉校。二万五千図には史跡のマークがあるだけで,それ以前の地形図にも文マークは載っていない。しかし,庚申塔の先に見える建物がある平地は「いかにも分校跡」という雰囲気を醸し出していた。また,庚申塔の右側には墓地があり,その中には「海老山全面的離村に伴い移転する」という碑(昭和60年建立)が建っていた。
フクジョソウ,カタクリといった春の花が咲く墓地から,分校跡らしき平地へ歩くと,平地には傷んだ子安観音堂が残されていた。周囲は枯れ草が倒れた田畑の跡が広がり,まばらにハンノキやオニグルミが生えていた。サンプリングを行うにはちょうど良さそうに思えた。

田畑の跡から見た海老山分校跡と子安観音堂

# 8-7
庚申塔のそばで昼食休みをとっていると,地域の方(D子さん,年配の女性)がクルマで来られた。「立入禁止」の看板があったこともあり,ご挨拶をして「調べ物をしています」と伝えると,了承を得ることができた。お話の中で,平地が分校跡に間違いないことが確認できた。深澤さんからは「出会いに恵まれますね」という声があがった。心地良いこの季節は,地域の方が来られる機会も増えることが実感できた。
三番目に目指した仏沢(Hotokezawa)は,戸数2戸(H.25)の高度過疎集落だが,それほど山の中ではない。クルマが赤留トンネルを過ぎた頃には「リストに入れるには違和感があるかも」と心配した。

仏沢・集落中心部に並ぶ古峯神社・飯豊山・湯殿山の石碑

# 8-8
たどり着いた仏沢では,道の左右に家々が建っていて,集落の中央部には,古峯神社,飯豊山,湯殿山と,存在感がある石碑が3つ並んでいた。探索していると,碑の近くの家の方(Eさん,年配の男性)の軽トラで戻られたので,ご挨拶をして「調べ物をしています」と伝えた。Eさんは地域史のまとめに係わられていて,古峯神社(こぶがはら)は栃木県に本社がある火の神様,飯豊山と湯殿山はそれぞれ作物の神様と教えていただいた。
家々の裏手の小高い場所にある子安観音堂と分校跡の場所も教えていただいた。Eさんと分かれてから訪ねた観音堂は確かに大きく,中に入ると「数名で飯豊山に参拝した」旨が,名前,年代とともに記されていた。「何とか残したいものだがのう」というEさんの言葉は印象深かった。

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仏沢・家々の裏手に大きな子安観音堂が建っていた               分校跡には「防火水そう」の看板が残されていた

# 8-9
新鶴第二小学校(のち新鶴小学校)仏沢分校は,へき地等級2級,児童数72名(S.34),大正2年開校,昭和49年休校,昭和63年閉校。集落上手の小高い場所にある分校跡地を訪ねてみると,そこは草むした平地になっていたが,その真ん中には錆びた「防火水そう」の看板が残されていた。
最後に目指した大谷地(Ooyachi)は,仏沢分校の校区の最へき地,往時の分校は冬季分校だった。県道から大谷地への分岐がある市野(Ichino)も近年廃村となったらしく,車窓から数戸の家屋と観音堂が見えた。まずまず整ったダートを走ってたどり着いた大谷地には,小さな家屋が建っていて,クルマを停めて探索すると,建物の土台や墓地を見つけることができた。

大谷地集落跡には,小さな家屋が建っていた

# 8-10
新鶴第二小学校大谷地冬季分校は,へき地等級4級,児童数10名(S.34),昭和26年開校,昭和39年閉校。閉村時期は昭和50年。二万五千図(会津高田,S.51)には鳥居マークがあるだけで,それ以前の地形図にも文マークは載っていない。地域の方にも出会わずで,探す術はなかった。
大谷地では,江戸期に造られたという溜池が目立つ存在だ。池のほとりの大きな石碑には「文化14年に完成,地域の水利,治水に貢献,昭和30年に決壊,翌31年に大水害があったが,昭和35年に復旧した」との旨が記されていた。この碑は「復旧記念碑」で,福田赴夫農林大臣(後の首相)の名前が刻まれており,思わぬところ出会った名前に微笑ましく思った。

江戸期に造られたという大谷地溜池

# 8-11
大谷地の後は,あと一か所,深澤さんがサンプリングの候補地としている近辺の有人集落 会津美里町(旧会津本郷町)穂馬(Homa)を訪ねた。何気ない農村の風景が広がる穂馬を探索していると,深澤さんが「穂馬にはスズメやトウキョウダルマガエルが居るなど,廃村とは違う生態系がある」と話してくれた。確かに一般集落との比較は,研究では必要なことだと思った。穂馬の路傍にも,会津の廃村探索でよく見かけた古峯神社の石柱が見られた。
穂馬から郡山駅までの帰り道では,黒森−大巣子間の林道を走ったり,中湯川,二幣地を通ったりした。これらの廃村に峠越えの林道が通じているというのは,意外な発見だった。探索の結果,深澤さんのサンプリングの対象は,(1)大巣子,(2)海老山,(3)二幣地,(4)穂馬に決まった。



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