ウインデーさん,黄渓はOK?

ウインデーさん,黄渓はOK? 北海道壮瞥町黄渓,伊達市清原,__________
_______________________________千歳市千歳鉱山,水明郷,苫小牧市丸山

廃村 黄渓(おうけい)には,ブロック造りの病院跡が残っていた



2014/5/24 壮瞥町黄渓,伊達市(旧大滝村)清原,千歳市千歳鉱山,水明郷,苫小牧市丸山

# 9-1
私が初めて春の北海道に出かけたのは平成24年GWのこと。雪の重みで背の高いススキが倒れていたり,芽生えたばかりの小さなフキなどの緑が綺麗な風景は,6月には草むして,別物になると言う。それ以来,「北海道のフィールドワークのベストシーズンは5月」と頭に刻まれた。
平成24年GWの旅で,夕張の廃村を案内していただいた道央在住のウインデーさんから「黄渓にベストシーズンに行きましょう!」とお誘いを受けて,当初は「北海道は手を出すと引力が強いからなあ…」と引き気味だった。しかし,「あわせてコンターサークルの道内フィールドワークにご一緒できるなら,是非行ってみたい!」と思うようになった。黄渓(Oukei)は,道央・壮瞥町にある硫黄鉱山関係の廃村で,その規模はまずまず大きい。

# 9-2
ウインデーさんとコンターサークルの行事のスケジュールがうまくかみ合って,旅を実行することになったのは平成26年5月下旬のこと。さらに結婚10周年記念,旭山動物園行きとブルートレイン「北斗星」乗車を兼ねて,keiko(妻)と一緒に行くことになった。
5月24日(土),南浦和の自宅出発は朝4時50分頃。羽田からの飛行機(スカイマーク)の新千歳空港到着は朝8時30分。天候は曇時々晴。keikoは冬以外の北海道は初めて。JR南千歳駅で下車してウインデーさんと合流し,登別温泉経由,オロフレ峠越えの道道を走って,黄渓を目指した。黄渓入口近くの駐車場で,ちょうど北海道を訪問していた和歌山県在住の村影弥太郎さんと合流したので,探索は4名で行うことになった。

道道のすぐそばにある黄渓入口のゲート

# 9-3
「学舎の風景」Web(管理者piroさん)で見慣れた道道すぐそばの黄渓入口ゲート脇にクルマを停めて,集落跡に向かって歩き始めたのは正午少し前。
ウインデーさんと村影さんは,そろって腰にナタを備えた本格的な藪こぎスタイルで,笛や鈴といったヒグマ除けの道具を持ち合わせている。私とkeikoは「グループならばよいかな」と普段着で臨んだが,「あったほうがよいですよ」と,ウインデーさんは熊鈴を二つ貸してくれた。
五万地形図(徳舜別山,S.44)の黄渓には,文マーク,神社,郵便局などが記されているが,この文は中学校で,小学校は地形図の「黄」の字の辺りにあるとのこと。広い砂利道を歩いて10分強,道端にプロパンガス庫跡が見え,そこから軍手をして斜面を上がると,共同浴場跡にたどり着いた。

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砂利道から少し斜面を上がったところにある共同浴場跡                   浴場跡から病院跡・小学校跡を目指す     .

# 9-4
壮瞥町Webには「閉山から32年目の黄渓を訪ねて」という記事があり,黄渓の概略と現況(H.17)が載っている。幌別硫黄鉱山は明治末頃から本格採掘を開始,大正9年には北海道硫黄(三井系)の鉱業所となり,最盛期(S.13)には硫黄産出量30万トン,400戸,2500名が暮らす規模になったとのこと。
戦後も小学校,中学校,高校分校,病院,郵便局,劇場等が整備された鉱山集落として栄えたが,石油精製の副産物として安価な硫黄(回収硫黄)の出現により,硫黄の採掘は昭和46年に終了し,同年秋には職住分離で黄渓は無住化,残った硫化鉄鉱も昭和48年に閉山となった。浴場跡から藪をこいで斜面を上ると病院跡が構えていた。「小学校跡はこの一段上」というウインデーさんの声を受けて一行は病院跡で一服した。

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    黄渓小学校跡から病院跡を見下ろす私(keiko撮影)          6つも便槽が並ぶのは小学校跡以外にない

# 9-5
黄渓小学校は,へき地等級1級,児童数252名(S.34),大正3年開校,昭和47年閉校。「趣味人に付き合うのはこのぐらいまでがよいか」と判断し,keikoには病院跡前のスペースで待ってもらい,3名はそれぞれに石垣を上がって一段上の小学校跡を目指した。
平地の小学校跡からは,病院跡や消防施設跡を見下ろすことができたが,6月になるとフキで埋もれることなのだろう。そのうちに6つ並んだ便槽が見つかった。二度目の訪問のウインデーさんは,「前回は病院跡が学校の施設かと思ったけど,トイレが小さかったので,違うと判断した」とのこと。確かに,便槽が6つも並んでいるのは学校跡以外に考えられない。

# 9-6
小学校の門柱は,学校跡の一段下,病院と消防施設跡の間にあるが,門柱の真ん中に川が流れていて,ちょっと変な感じがする。「黄渓をウインデーさん,村影さん,私の3名で探索するのすごいことだな」と思いつき,この谷で集合写真を撮った。小学校,病院,消防施設跡があるのは黄渓2区と呼ばれる区画。すこし先の鉱業所や郵便局跡がある黄渓1区には,今回は行かず終いとなった。
「もうしばらく見ていきます」という村影さんと分かれて,「とりあえず,行ってみましょう」と,3人は壮瞥町内の農山村集落跡 駒別(Komabetsu)へ向かった。近くではあるけど,特に訪ねる理由がない洞爺湖行きはパスとなった。

# 9-7
最寄りの集落 久保内から駒別へと向かっていると,ほどなく「車両通行止」の看板に出くわした。迂回する道はあるが,駒別もそれほど魅力が感じられなかったので,あっさり諦めた。「とりあえず,温泉でも…」と,蟠渓温泉の「伊藤旅館」ひかり温泉に入って一服した。
この日の宿は千歳近郊の「ニタッポロ荘」。壮瞥から支笏湖経由で千歳に戻る途中には,千歳市千歳鉱山(Chitose-kouzan),水明郷(Suimeikyou),苫小牧市丸山(Maruyama)といった「廃村千選」のポイントがあるので,ウインデーさんには「行けたら行きましょう」と,事前に頼んでおいた。しかし,クルマが向かったのは,やや道から外れた旧大滝村の農山村集落跡 清原(Kiyohara)だった。意外な展開だが,それもまた楽しいものだ。

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       清原小学校跡のマツの木                           小学校跡で会話するkeikoとウインデーさん

# 9-8
清原小学校は,へき地等級3級,児童数35名(S.34),大正4年開校,昭和44年閉校。R.276から枝道を少し入った場所にある学校跡に到着したのは午後3時50分。往時はすぐそばに国鉄胆振線が走っていたという。
学校跡の平地の左右には,大きなマツの木が「ここが学校跡ですよ」と語りかけるように立っていた。この木々は防風林として植えられたもので,北海道では同様の例が見当たるとのこと。学校跡の真ん中で,ウインデーさんとkeikoさんは「樅の木現象」云々と言っていたようだった。
R.276との三差路近く,清原の家屋跡をさらりと見てから,R.276を東に走り滝笛トンネルを越えると,ほどなく千歳鉱山入口の駐車場に到着した。

千歳鉱山・永代橋から見たモンルウン美笛川の護岸と川底

# 9-9
千歳鉱山小学校は,へき地等級3級,児童数293名(S.34),昭和11年開校,昭和53年閉校。千歳鉱山の主要鉱物は金で,昭和11年に本格操業を開始。昭和25年には三菱傘下となり,昭和52年秋に職住分離が行われ鉱山集落は無住化し,昭和61年閉山。
R.276から枝道を約1kmクルマで走ってたどり着いた小学校跡近辺には,「関係者以外立入禁止」の看板が見られるだけだった。しかし,その道中に架かっているコンクリ橋(永代橋,昭和41年完成)からは,集落があった頃に整備されたであろう護岸と川底の姿を見ることができた。
千歳鉱山からはR.276をさらに東に走り,丸山へと向かった。途中,支笏湖の姿は思いのほか見えない。湖には縁が薄い旅のようだ。

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    林の中にポツンとある「丸山小学校之跡」の碑               灌木の中に立っていた往時の街路灯

# 9-10
丸山小学校は,へき地等級1級,児童数47名(S.34),昭和24年開校,昭和57年閉校。丸山は苫小牧営林署の事業所があった集落で,その消滅は学校の閉校と同時期と思われる。丸山を通過する王子製紙専用軌道(山線)の跡は,サイクリングロードとして活用されていた。
R.276と道道の三差路近くから枝道をクルマで入ってしばらくすると,「丸山小学校之跡」という碑が見つかった。しかし,碑の前にはフキが生えており,夏場は埋もれるのでだろうか。また,往時の街灯が灌木の中に立っていたが,木々が茂っていたためか,思ったよりも存在感は薄かった。
丸山−水明郷間は平坦で,距離は約4qしかない。それでも間には千歳川(千歳市)と勇払川(苫小牧市)の分水嶺があって,学校はそれぞれにあった。

何となく近寄れなかった水明小学校跡の体育館

# 9-11
水明小学校は,へき地等級1級,児童数73名(S.34),大正6年開校,昭和39年閉校。水明郷は王子製紙千歳第一発電所(明治43年竣工)建設に伴ってできた集落で,その消滅は学校の閉校と同時期と思われる。発電所は今も稼働していて,2.5万kWの電力を苫小牧の製紙工場へ供給している。
発電所集落跡は整然と管理されており,学校跡の建物(体育館)も残っているが,「近寄らないでね」という雰囲気が醸し出されていた。
清原−水明郷間の距離は43km,水明郷の探索終了は午後5時30分(清原の探索開始から1時間40分後)。清原,千歳鉱山,丸山,水明郷の探索時間は,平均10分程度だった。ともあれ,この日の大きな収穫は何と言っても無事に黄渓に行けたことだ。ウインデーさん,黄渓はOKでしたよ!



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