電動アシスト自転車で訪ねた会津の廃村

電動アシスト自転車で訪ねた会津の廃村 福島県金山町三条,山中

廃村 山中(やまなか)には,萱葺き屋根の家屋が残っていた



2014/8/24 金山町三条,山中

# 13-1
平成26年8月,新潟県中越・福島県会津への2泊3日の旅,2日目(24日(日))は電動アシスト自転車(電チャリ)を借りての奥会津の廃村めぐりだ。初めて乗るレンタル電チャリの存在は,JR只見線会津川口駅にある金山町観光情報センターのoasisさんのブログで知った。
会津川口駅から行けそうな廃村千選のポイントは,金山町内の三条(Saujou)と山中(Yamanaka)の2か所。列車の時刻の関係で電チャリを使えるのはおよそ5時間だが,見積もり距離は42kmほどなので,無理なく訪ねることができそうだ。只見線(会津若松−会津川口−只見−小出)は,営業キロが135kmもある長いローカル線。1日目が小出泊,2日目が会津若松泊だから,この日は只見線沿線に特化した旅とも言える。

# 13-2
8月24日(日,旅2日目),起床は朝5時半頃。朝食まで魚野川を渡って小出市街を散歩した。目当てのコンビニは見つからなかったが,駅前旅館,市街地と,わりあい元気な印象を受けた。始発の只見行きの小出駅出発は午前7時58分。2両編成の古い気動車には,概ね4人掛けシートに観光の方がひとりずつで,地域の方はほとんど乗っていなかった。昨日,クルマで走った藪神−入広瀬間では,2階に入口がある家々が目についた。
長いトンネルで県境を越えた只見駅から会津川口駅までは,平成23年7月30日の豪雨災害のため不通になっている。代行バスの中でアンケートをとっていた方に伺うと,鉄橋の流失が3か所あり,復旧は厳しそうとのこと。ときどき雲がかかる青空の下,午前10時10分,バスは会津川口駅に到着した。

只見線会津川口駅で電チャリをレンタル

# 13-3
会津川口駅でoasisさんにご挨拶をして,ちょうだいした金山町の観光マップを見て,大塩という集落の天然炭酸水が気になった。大塩には炭酸を成分とする温泉があって,炭酸水が湧き出す井戸があるとのこと。温泉はともあれ,炭酸井戸は発耳で,できればこの機会に立ち寄りたいところだ。
レンタルを開始したばかりという電チャリの変速は3段,アシストはパワー,オートマチック,ロングの3段階。充電量がパーセントで表示されるので,この様子を見ながら変速,アシストを切り替えていくとよさそうだ。只見川沿いのR.252はゆるやかな上りが続くと思いきや,走ってみると結構起伏があって,変速,アシストの切り替えを頻繁に行った。アシストは概ねオートマチックで,下りなど走りやすいところではオフにして走った。

# 13-4
本名ダムの脇から分岐する三条への道はダートだったが,斜度は概ねそれほどでもなく,電チャリに乗ったまま進むことができた。道が舗装となって,左手にお墓が見えて三条に到着したのは午前11時20分。舗装が雨に濡れていたので,電チャリを木陰に停めて探索を開始した。
本名小学校三条分校は,へき地等級2級,児童数8名(S.34),明治30年冬季分校開校,昭和48年常設分校閉校。昭和53年冬季分校閉校。五万地形図(只見,S.42)には家々が記されているだけで,目指すとすれば学校跡だけだが,地域の方の姿はなく,お墓以外は何も見つかりそうになかった。ただ,お墓周囲の草は刈られていて,近くには小さな畑があったので,人の出入りはある様子だった。

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     三条へと続く道はダートだった                        三条で見つかったのは,古いお墓だけだった

# 13-5
三条を後にして,湯倉へ向かう吊り橋を渡ってからは,ダートとは縁が切れて,走りやすい舗装道になった。R.252から枝道に入ると只見線不通区間の駅があるので,まず小さな集落 越川の会津越川駅に立ち寄った。
ホームと待合室だけの駅周辺の線路は夏草に埋もれていて,待合室は板で閉ざされていた。駅は昼食休みにちょうど良いかと思ったが,蒸し暑かったこともあり先送りとなった。ひとつ先の横田は小学校があるまとまった集落だが,会津横田駅は集落のはずれにあって,線路が見えないくらいの夏草の茂り方だった。不通になってから3年以上経過した会津川口−只見の復旧は,確かに難しそうな感じがした。

夏草に埋もれていた会津横田駅

# 13-6
踏切を渡り,只見川の流れから離れると,舗装道の斜度は急になった。しかし,アシストをパワーにして走ると,自転車は押すことなく進んだ。電チャリは,急斜度の道をゆっくり走るとき,力を発揮するみたいようだ。先に「まさか」の萱葺き屋根の家屋が見えて,山中に到着したのは午後1時。萱葺き屋根の家屋は傷んでいたが,もう一軒のトタンを屋根にかけた家屋は整っているように見えた。
地域の方の姿は見られなかったが,畑があって家屋が残る風景には,取り着きやすさを感じた。見応えがある萱葺き屋根の家屋があったことはとても嬉しく,そばのがれきの山に座って昼食休みをとった。

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山中・電チャリは,かなりの斜度の道を押さずに走れた                 山中には,2戸の家屋が残されていた      .

# 13-7
横田小学校山中冬季分校は,へき地等級2級,児童数5名(S.34),昭和12年開校,昭和47年閉校。五万地形図(只見,S.42)には文マークがない代わり,鳥居マークが記されている。学校跡は地域の方がいないと探すことは困難だが,神社は気配を頼りに歩くと,比較的簡単に見つけることができた。境内には新しい祠と遷宮の碑があって,碑には「大山祇神社 平成23年10月遷宮」と刻まれていた。
神社から萱葺き屋根の家屋へ戻ると雷が鳴りだして,トタンを屋根にかけた家屋の辺りを歩いていると雨が降り始めた。「大雨になるとまずい」と警戒したが,幸いにも雨の勢いは折りたたみ傘を差しながら山中からの坂道を下れるぐらいのものだった。

山中・大山祇神社は遷宮されていた

# 13-8
会津大塩駅の前を通り過ぎ,傘を差しながら大塩の集落を走ると,やがて炭酸井戸が見つかった。天然炭酸水は少々鉄錆くさいけれど,泡はしっかりしていた。oasisさんによると,夏は炭酸井戸の湧きが悪く,冬から春が旬とのこと。大塩−横田間のR.252を走っていると雨は上がり,気温が下がったこともあって,後は会津川口駅まで概ね快適に走ることができた。総時間は4時間45分,走行距離は44km,残り充電量は30%だった。
ペットボトル入りの天然炭酸水を2本買って,会津若松行き気動車の会津川口駅出発は午後3時30分。会津若松ではレンタカーを借りて東山温泉「伏見荘」まで走り,宿で国立環境研究所の深澤さん一行と合流。4名での食事,飲み会の後,奥会津産の天然炭酸水は〆にちょうどよい塩梅だった。

(追記) その後,購入した私家版の冊子「会津地方の集落と分校」(鷲山義雄著・刊)には,萱葺き屋根のいくつかの家屋とともに木造二階建ての三条分校の大きな画像が掲載されていた。草の少ない春先ならば,痕跡を見つけることができるのかもしれない。



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