農政学の先生とともに雪の秋田路をたどる

農政学の先生とともに雪の秋田路をたどる 秋田県北秋田市山萱草,鍵ノ滝

廃村 小摩当(こまとう)の,雪に埋もれた白壁の土蔵です。



2015/2/6〜8 北秋田市(旧阿仁町)山萱草,鍵ノ滝
[ 大館市(旧田代町)保滝沢,杉の沢,北秋田市(旧鷹巣町)小摩当,上大沢,(旧阿仁町)櫃畑 ]

# 17-1
平成26年9月,国立環境研究所 生物・社会分野交流セミナーの講演がきっかけで,東京大学大学院農学生命科学研究科の林直樹さんとの縁ができた。林さんは書籍「撤退の農村計画」(学芸出版社刊,2010)の編著者で,名前は,平成26年1月に読んだ,鹿児島県阿久根市の廃村本之牟礼のWebレポートから知っていた。林さんは「撤退の農村計画」プロジェクトの立ち上げ時(平成18年)から私のことを知っていたとのこと。
お話の接点として,佐藤晃之輔さんの書籍「秋田・消えた村の記録」(無明舎出版刊,1998)を紹介したところ,「是非,秋田に行って佐藤さんとお話をしましょう」と話が進み,平成27年2月上旬,林さんと私の2名で雪の秋田行きの計画を立てることになった。

# 17-2
林さんの研究テーマは「農村の集落移転」。集落跡の様子とともに,移転先の実際,田畑の管理の実際などが興味の対象となると考え,改めて「秋田・消えた村の記録」を読み直した。その結果,フィールドワークは,県北の大館市を拠点に,足を運べそうな場所を選んで計画することになった。
平成27年2月6日(金),大宮駅発午前10時46分秋田新幹線「こまち」に乗って,林さんと合流。私は雪の秋田は5回目,林さんは初めて。研究の参考資料として,「秋田・消えた村の記録」の125か所の廃村から,ダム建設関係の11か所,林業関係の2か所を除き,さらに戸数4戸以下の農山村52か所を除いて,計62か所を抽出して,分県地図にプロットした。新幹線の車中で資料のお話しなどをしていると,遠いはずの秋田にもすんなり到着した。

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   往路で乗車した秋田新幹線「こまち」(盛岡駅にて)              私,佐藤さん,林さんの3名で集合写真を撮る(大潟村にて)


# 17-3
ちょうど10年ぶりの佐藤晃之輔さんとの待ち合わせは,JR八郎潟駅午後2時42分。佐藤さんに林さんをご紹介し,3名で農政や集落移転,過疎の村のこと,その他ざっくばらんに語りあった。今回,佐藤さんから「大潟村の農家1戸の平均的な農地は17ヘクタール」,「実家がある祝沢では,28戸の農地は全部で16ヘクタール」というお話を伺うことで,大潟村の農家の農地は,通常の農家よりもはるかに大きいものだと,実感できるようになった。
宿は,村の中心にある8階建て「ホテル サンルーラル大潟」。夕食の〆では皮に米粉が使用されているギョーザが出てきた。ごはんとともに少し残ったので,翌日の朝食用におにぎりをつくり,ギョーザをその具とした。

# 17-4
翌2月7日(土)の起床は未明5時20分。天気は曇時々晴。大潟村を朝いちばんのコミュニティーバスで出発して八郎潟駅に戻り,ローカル電車で大館駅に到着したのは朝8時4分。駅前でクルマを借りて,ホームセンターへ出かけて林さん用のカンジキを調達。この日のクルマの運転は主に私が担当した。
まず旧田代町,住宅地図では戸数3戸の過疎集落 保滝沢(Hotakizawa)を訪ねた。最寄りの集落 柏木からの距離は約2km。途中には当初「積雪期は無住化していて,道は除雪されていないかも」と一抹の心配を抱いたが,たどり着いてみると,2戸がしっかり暮らされていた。地域の方(T子さん,80歳代)と話すことができ,お家でお茶をいただいた。新しくて大きな家の窓の外は1m弱の雪が迫っていた。

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雪原の中,農業用倉庫として残る保滝沢冬季分校跡の校舎                   校舎を覗くと,往時の黒板が残っていた   .


# 17-5
山田小学校保滝沢冬季分校は,へき地等級1級,児童数14名(S.34),昭和29年開校,昭和45年閉校。「秋田・消えた分校の記録」(無明舎出版刊,2001)には,農業用倉庫として残る分校跡の校舎が掲載されており,この校舎をそのままの姿で見ることができた。カンジキを履いて近寄って窓を覗くと,往時の黒板が見えた。分校跡近くには,神社の鳥居が見当たった。林さんにはカンジキ歩きのよい練習の機会になったはずだ。
続いて旧田代町,保滝沢の北隣の沢筋にある杉の沢(Suginosawa)を訪ねた。「消えた村」によると,最盛期の戸数は8戸。昭和45年に県による集落再編成事業で離村し,8戸とも山田(約2.5kmの距離の最寄りの集落),うち4戸は美杉(山田の地内の新しい住宅地)に移転したとのこと。

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美杉(杉の沢の移転先)は,旧集落の手前2kmほどの場所にある          廃村 杉の沢へ通じる道は,しっかり除雪がなされていた  .


# 17-6
「どこまで道が通じていますかね」と話しながら訪ねた杉の沢だが,美杉を過ぎて1kmほど走っても,工事関係のクルマが見られ,除雪がなされていた。残り1kmほどの場所でクルマを停めて歩くと,あっけなく集落跡にたどり着いた。その気になればクルマでも行けるとは,思いもよらずだった。歩いて行ったのはよかったけれど,カンジキは持っておらず,神社に近づけなかったのは少し残念なところだった。
集団移転地 美杉には帰り道に立ち寄った。移転地といっても造成されてから45年目。住まれている方(60代ぐらいの女性)とお話をすると,「移転後にここに嫁いできたもので,昔の集落のことはわからない」とのことだった。

# 17-7
お昼のコンビニ休憩をはさんで,この日最後の目標として,旧鷹巣町,平成12年秋に訪ねたことがある小摩当(Komatou)を訪ねた。「消えた村」によると,最盛期の戸数は11戸。昭和47年に県による集落再編成事業で離村し,全戸が脇神(約3kmの距離の最寄りの集落)に移転。沢口小学校跡に住宅団地を造成し,そこに旧集落名 小摩当を受け継いでおり,「集落移転のモデル」(林さん風にいくと「よい廃村」)と評されている。
R7からR.105へと進み,鷹巣南中学校を過ぎてすぐの枝道に入ると,新小摩当集落を示す看板が立っていた。話はしなかったが,お母さんとお子さんの姿が見当たった。翌朝,改めて集落を歩いてみると集落移転の頃からの家よりも,新しい家のほうが多そうな感じがした。

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  新小摩当では,新しい家が多い感じがした                     旧小摩当には,カンジキを履いて出かけた


# 17-8
旧小摩当は沢沿いに2kmほど山へ入った場所にあり,「ハードルが高いだろうな…」と思っていたが,意を決してチャレンジした。橋の手前にクルマを停めてカンジキを持って1qほど雪道を歩くと,道の除雪が終わり,その先の道は約60cmの積雪となっていた。林さん持参の地形図ソフトによると残りの距離は800mほど。土地勘がある私が先を進み,林さんがその後をゆっくり歩く形で進むこと15分ほどで,行く手に建物が見えてきた。
前回訪ねてから15年,旧小摩当には離村記念碑,白い壁の土蔵,神社など,記憶のままの姿で残されていた。林さんからは,「初めてのカンジキ歩きは重くてたいへんだったけど,雪の無住集落の静けさはとても印象深かった」とのコメントをちょうだいした。

# 17-9
大館市街に戻り,「大館グリーンホテル」に到着したのは午後5時20分頃。この日の最高気温は6℃と温かく,風もない穏やかな天気に恵まれた。夕食は,明日の鋭気を養うという林さんと分かれ,代わりに幼少の頃,伊豆諸島の八丈小島(宇津木)で暮らされた経験がある仲谷香さん(50代の大館在住の女性)と待ち合わせ,八丈小島談義をしながら比内地鶏の親子丼を食した。大館で八丈小島ゆかりの方と歓談するのも,不思議な縁だ。
翌2月8日(日)の起床は未明5時30分。天気は曇午後から弱雨。大館駅に朝7時に向かい,前日,急きょの連絡を受けた,北海道を旅して陸路名古屋に帰る途中の探索仲間 井手口さんと合流。井手口さんは秋田での探索は初めてとのこと。この日のクルマの運転は主に林さんが担当した。

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  上大沢の神社,拝殿まで上ってお参りをする                     拝殿がある高台から,上大沢集落跡を見下ろす


# 17-10
2日目はまず,旧鷹巣町,旧小摩当の北側の沢筋にある上大沢(Kamioosawa)を訪ねた。「消えた村」によると,最盛期の戸数は8戸。昭和47年に県による集落再編成事業で離村し,鷹巣町内に分散して移転したとのこと。下大沢(約1kmの距離の最寄りの集落)から先の道はやや急傾斜のダートだったが,除雪されているため無理なく進むことができ,あっさりとクルマで集落跡までたどり着いた。
気温はマイナス7℃ぐらいまで下がっており,雪はさらさらしていた。離村記念碑と神社が見当たったので,「しっかり参っておこう」と積雪の中,拝殿まで井手口さんと一緒に上った。秋田の雪道歩きは,雪の深さがほぼ1m以内だったからか,1か月前の富山よりも楽な感じがした。

雪に埋もれた小滝の離村記念碑前で集合写真を撮る


# 17-11
続いて新小摩当をさらりと再訪し,3人で話し合って「ちょっと寄り道していきましょう」と,旧森吉町の森吉山ダムと森吉四季美湖(所在廃村は森吉),杣温泉(所在廃村は湯之岱)に立ち寄ることになった。森吉四季美湖(ダム湖)はひたすらと広々とした雪原になっていた。森吉山ダムと杣温泉の間にある廃村 小滝では,菅江真澄ゆかりの碑が雪に埋もれながらも確認できたので,これをバックに集合写真を撮った。
杣温泉の内湯に入って一服した後,旅の〆として,旧阿仁町のかつて銅鉱山(阿仁鉱山)があった谷筋の廃村 山萱草(Yamakayakusa)と,その奥の鍵ノ滝(Kaginotaki)を訪ねた。ともにかつて分校があった廃村で,鍵ノ滝の地内には阿仁スキー場があるので,無理なく行くことができる。

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山萱草・分校跡付近と思われるチェーン着脱場                   鍵ノ滝・「消えた村」にも載っている作業小屋


# 17-12
阿仁合小学校萱草分校は,へき地等級2級,児童数19名(S.34),明治10年開校,昭和53年閉校。同 鍵ノ滝分校は,へき地等級4級,児童数10名(S.34),昭和26年開校,昭和44年閉校。山萱草(戸数4戸)は「消えた村」には掲載なし(離村時期は昭和末頃)。鍵ノ滝は「消えた村」によると,最盛期の戸数は5戸(戦後3戸)。昭和46年に県による集落再編成事業で個別に離村。雪の季節でもあり,ともに集落跡の匂いはほとんど感じられなかった。
阿仁スキー場の食堂で昼食をとり,秋田内陸線 阿仁合駅で井手口さんを見送ったのは午後3時。大館駅への帰り道,林さんは「杉の沢と小摩当は,旧集落と移転先が同時に見ることができてよかった」と話されていた。私は保滝沢と小摩当が,秋田フィールドワークのハイライトだと思った。

(追記) 印象が薄すぎて本文から漏れた旧阿仁町櫃畑(Hitsuhata)は,山萱草と鍵ノ滝の間にある。「消えた村」によると,最盛期の戸数は6戸(戦後5戸)。昭和46年に県による集落再編成事業で3戸が個別に離村。往時を偲ばせるものは,荒瀬川に架かる橋の名前(櫃畑橋)だけだった。旅では,参考資料に挙げた62か所の農山村のうち,杉の沢,小摩当,上大沢,櫃畑,鍵ノ滝の5か所に足を運ぶことができ,実質上,研究の予備調査となった。



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