肌で感じた南部と津軽の雪の違い

肌で感じた南部と津軽の雪の違い 青森県七戸町寺下

廃村 寺下(てらした)に残る分校跡の校舎です。



2015/2/9 七戸町寺下
[ 平内町口広開拓,増田 ]

# 18-1
平成27年2月上旬,雪の秋田行きの計画,当初は2泊3日(2/6(金)〜8(日))だったが,計画を具体化しているうちに,「この機会に雪の青森にも行っておきたい」と思うようになった。オプションの青森行きの計画では,太平洋側 七戸町の廃村 寺下(Terashita)に残る分校跡の木造校舎を目標とした。太平洋側は日本海側よりも雪が少なく,冬でも足を運べる可能性が高いと想定した。
2月8日(日)夕方,多くの実りを得て秋田の廃村探索が終わり,「撤退の農村計画」の林さんはJR大館駅から上りの特急に,私は下りのローカル電車に乗った。青森駅到着は夜7時12分。この日の宿はなじみがある駅前「いろは旅館」。夕食は宿近くの「駅」という居酒屋に入り,地酒を嗜んだ。

# 18-2
店の大将によると「新青森駅が開業して,青森駅周辺は旅人の数が減ってきている」とのこと。宿のご主人,女将さんと小上がりで焼酎をいただきながらの話の中では「この頃,外国人のお客さんが増えてきた」「浅原さんのテーマを決めた旅は,外国人とよく似ている」という言葉が記憶に残った。
翌2月9日(月)の起床は未明5時30分。天気は曇時々晴れ所により雪。宿を出ると,外には長靴が必須というぐらいの粉雪が積もっていた。アウガ地下の卸売市場にある食堂で焼き魚を食べ,宿に戻って一服した後,時間があったので,歩いてすぐの青森港の青函連絡船 八甲田丸を見に行った。海辺の公園の積雪は50cmほど。晴天混じりだった天候は突如吹雪となり,駅までわずか400mの道は「タクシーに乗りたい!」とまじめに思うほどだった。

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   晴天の青森港,八甲田丸(朝7時48分)                   18分後,地吹雪の青森港,八甲田丸(朝8時6分)
 

# 18-3
青い森鉄道のローカル電車で青森駅を出発し,野辺地でバスに乗り換えて七戸十和田駅に到着したのは朝10時15分。まだ新しい駅構内でクルマ(ワゴンR)を借りて,一路 寺下を目指した。寺下の規模は2戸3名(H.25)だが,住宅地図の比較から平成10年頃に冬季無住化したと推測した。
七戸十和田駅から野左掛(寺下の最寄り集落)までの道は,外気温はマイナス7℃との表示があった。しかし,積雪は大館近辺よりも明らかに少なめで,七戸町が含まれる南部(上北郡)が太平洋側にあると実感できる。野左掛から寺下までの2.5kmのダートは,カンジキを履いて歩くことも視野においていたが,除雪がされており,午前11時15分,クルマで寺下に到着した。積雪は30cmほど,車道は雪がない箇所もあるほどだった。

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      人の気配は感じられない寺下集落                      寺下の積雪は30cmほどだった

# 18-4
集落入口にクルマを停めて,まず視界に入ったのは分校跡の校舎の裏面だった。しかし,これは後のお楽しみとして,ゆるやかな坂を下って集落の様子を見に行った。寺下に建つ5戸ほどの家屋に生活の匂いは薄く,無雪期に住民の方が戻られるのかどうか,何とも言えないところだ。雪下ろしされている赤い屋根の家を訪ねたところ,遠くから見るよりも古びた感じがした。また,路傍で見かけた掲示板には枯れ草がからまっていた。
来た道を戻り,分校跡にはカンジキを履いて向かった。野々上小学校寺下分校は,へき地等級3級,児童数16名(S.34),大正13年開校,昭和52年閉校。「七戸町史」には「昭和45年までは六学年1編成で一人の先生がやってきたが,最終年度は先生3名,児童3名だった」との旨が記されている。

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分校跡の校舎は,見晴らしの良い丘の上に建っていた                     校舎の内部は,広々としていた       .

# 18-5
分校跡は見晴らしの良い丘の上にあり,運動場は一面まっ白。車道からそれほど離れていない運動場だが,カンジキがなかったら歩けなかったことだろう。校舎入口の扉が開いていたので中を覗くと,農作業用のケースが見当たったがおおむね広々としており,使われなくなって久しい様子だった。
寺下の探索を終えたのは午後12時10分。「あと4時間半,どう時間を使うか」考えた結果,比較的近くの平内町の廃村 口広開拓(Kuchihiro-kaitaku),増田(Masuda)方面にクルマを走らせることになった。寺下から増田までは55kmほど。道が除雪されていたら,現地まで行けるかもしれない。雪道運転の経験を積むにも良い機会だ。

# 18-6
七戸市街の旧七戸郵便局の建物(登録有形文化財)の前では,路面からなくなっていた雪だが,R.4を野辺地町まで走ると,明らかに道は白っぽくなってきて,町境近くの集落 馬門から口広開拓方面に続く広域農道は「冬期間通行止」となっていた。積雪は1mを超えている感じがした。「チェーンなしで大丈夫か」と心配した雪道運転は,速度を落とし気味にして急ブレーキを避けるよう注意をすれば,スタッドレスで問題なさそうだった。
平内町は津軽(東津軽郡)の東端に当たる。野辺地町(南部・上北郡)と平内町に沿う海は同じ陸奥湾だが,気候は明らかに太平洋側から日本海側に替わった感じがした。口広のコンビニから清水川駅までのR.4では,口広開拓への枝道に注意したが,入口を見い出すことができなかった。

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路面に雪がない旧七戸郵便局の建物前                      雪でまっ白な口広のコンビニで小休止

# 18-7
時間のこともあり口広開拓にはこだわらず,増田方面へとR.4を進んでいった。増田の最寄り集落 山口は西平内駅の近辺にあり,山口から増田までは2.5kmほど。山口は雪はしっかり積もっているが,過疎の匂いは薄い。しかし,集落の最終人家を過ぎるとすぐに除雪は終わり,積雪は30cmほどだったが,増田行きはあっさり諦めた。
クルマをUターンさせて,広がりがある場所で帰りのナビをしかけていると,家の方が出てきて無言で睨みはじめた。窓を開けて「増田を目指して来たのですが・・・」と声をかけても返事はない。三十六計逃げるに如かず。「すいません」と言ってささくさとその場から立ち去ることになった。

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 増田に通じる道は除雪されていなかった                     帰路に立ち寄った小湊のハクチョウ渡来地

# 18-8
廃村めぐりの行程が終わり,帰路のR.4では,右折のクルマが走行車線で停まって道が詰まったときひやっとしたが,幸い,急ブレーキにはならない車間の余裕があった。途中,小湊でナビを見ると「ハクチョウ渡来地」という表示がすぐそばにあったので,急きょひと時寄り道をした。綺麗な冬景色の中,目の前でハクチョウを見ることができ,大いに喜んだが,見物客はおじいさんと子供の一組と私だけだった。
東北新幹線「はやぶさ」が七戸十和田駅を出発したのは,夕闇が迫り始めた午後4時53分。青森と埼玉の時間的な距離は意外なほど近く,南浦和の家には午後8時10分には帰っていた。南浦和駅に降りて,街角に雪がないことに,青森と埼玉の気候的な距離を肌で感じた。

(追記) 旧七戸郵便局,小湊のハクチョウ渡来地は,旅先で偶然見つけた。旅には偶然の出会いを楽しめる余裕が欲しいものだ。



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