かがやきで 合掌造り集落へ

かがやきで 合掌造り集落へ 富山県南砺市小瀬,仙野原,北原

廃村 北原(きたばら)では,春の集落跡にカタクリの花が咲いていた



2015/4/29〜30 南砺市小瀬,仙野原,北原

# 19-1
平成27年3月,北陸新幹線が開業し,富山−金沢の交通体系は大きく変化した。特に富山,高岡は,東京・大宮へ直通する「かがやき」「はくたか」が通じたのに対して,大阪へ直通する「サンダーバード」,名古屋へ直通する「しらさぎ」は走らなくなった。
首都圏一極集中を象徴するような出来事だが,変化がある場所には積極的に足を運びたくなるものだ。富山県には,北陸本線の乗り納めもあって,平成26年7月,11月,平成27年1月と3回連続して足を運んでいる。新幹線開業後初めての富山への旅は,keiko(妻)とふたり,目指す廃村は五箇山,合掌造り家屋に係わる南砺市旧上平村桂,小瀬,宿はなじみの旧利賀村北原「利賀乃家」として計画を立てた。

# 19-2
平成27年4月29日(水祝),起床は午前6時頃,天気は快晴。南浦和−大宮は11分,JR東日本の中心駅がすぐそばにあるのはありがたいことだ。臨時の「かがやき」は大宮発9時10分,新高岡着11時8分。大宮−新高岡が1時間58分で行けてしまうのは,驚きとしか言いようがない。新高岡駅は北陸新幹線開通にあわせて開業したばかり。広々とした田んぼが広がる中の大きな駅は,これからどのように変貌していくのでだろうか。
借りたクルマは黒系のムーブ。砺波ICまでのR.156は二車線で交通量もほどよく,「クルマって便利な乗り物なんだ」と思うことしきり。桂(Katsura)には,離村後に作られたダム湖がある。五箇山ICまで高速を使い,R.156から桂に向かう市道に入ると,1km弱で冬季通行止のゲートに出くわした。

GW,廃村 桂に通じる道は,冬季通行止だった


# 19-3
ゲートから桂の集落跡までは7kmほど。ゲートの看板には「市道桂線 11月中旬〜4月下旬 冬季通行止め」と記されている。「こりゃダメだ」と,桂で食べる予定だったおにぎりをゲート横,滝の前にあるベンチに座って食していると,クルマとバイクが計4台ほど,ゲートに跳ね返されていった。
気も新たに出かけた菅沼集落は,8戸の伝統的な合掌造りの家屋からなり,平成7年に世界遺産に登録され,その景観は暮らしとともに保存されている。駐車場にクルマを停めると,菅沼集落まではエレベータで降りるとのこと。「はて」と思いながらエレベータに乗ると,出口は地下道になっており,これを抜けると萱葺き屋根の家屋が現れた。集落を探索すると,銀色のケースに入った消火用放水銃が目を引いた。

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  菅沼合掌造り集落では,ひととき観光気分を味わった             五箇山民俗館は堂々とした造りだった

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五箇山民俗館に入って,ひととき観光気分を味わった後,駐車場への戻り道は普通に坂道を上った。素朴さでいえばこの道のほうがよさそうだ。
菅沼からは,2kmほど離れた2戸の高度過疎集落 小瀬(Oze)を目指した。駐車場から菅沼集落を抜けて小瀬に向かう道は,関係者以外通行禁止という雰囲気だったので,上手の橋を回り込んだが,R.156から枝道に入ると観光色はきれいさっぱりなくなって,頭が廃村モードに切り替わった。
小瀬集落の真ん中には,4階建ての大きな合掌造り家屋が建っていた。この家屋(羽場家住宅)は江戸後期に建築されたもので,富山県指定文化財(建造物),ユースホステルとして使われていた時期もあった。見応えがある家屋だが,山深い行止まり集落を訪ねる観光の方は稀なことだろう。

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    小瀬の合掌造りの家屋には,ひときわ風格を感じた            小瀬冬季分校の標柱を見せていただいた


# 19-5
西赤尾小学校小瀬冬季分校は,へき地等級3級,児童数4名(S.34),昭和27年開校,昭和44年閉校。山菜採りの地域の方が居たので,ご挨拶をして冬季分校について尋ねたところ,羽場家のご主人を紹介していただいた。改めて冬季分校について尋ねたところ,ご主人は家屋の左隣の集会場から,往時の小瀬冬季分校の標札を持ってきてくれた。分校は合掌造り家屋の手前,「車庫が建っている辺りにあった」とのこと。
桂の代わりに急きょ訪ねる廃村は,北原のすぐ隣りにある仙野原(Sennohara)に決めた。カーナビで「スタート小瀬,ゴール仙野原」と打ち込むと,R.156小牧ダム経由のルートで「38km,1時間17分」と出てきた。横からkeikoは「こんなん,よう使いこなせるね」と不思議そうな顔で見ていた。

# 19-6
言われてみると,カーナビっていつ頃から頼りにするようになったのか,はっきりとはしない。バイクにはカーナビはなかったから,バイクを手放して,レンタカーの旅が主体となった平成26年春頃からなのだろうか。小牧ダム経由よりも利賀村中心部からR.471を走るほうが面白いので,新山の神トンネルへの分岐でカーナビを無視したら,トンネルの手前頃には利賀村中心部経由のR.471を案内してくれた。
利賀村中心部は,雪の頃(平成27年1月)に来たばかり。雪が融けて景色が一変した草嶺神明宮や高沼分校跡をちらりと見て,脇谷の湧き水にも立ち寄りながら,仙野原の地蔵堂に到着したのは午後4時10分。小瀬を出たのは午後2時45分だったから,よいペースで走っていると言える。

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    R.471沿いにある仙野原の地蔵堂                      地蔵堂からダートを走り,利賀川の谷まで下る


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地蔵堂は仙野原入口の三差路にあって,仙野原集落跡は利賀川の谷の対岸に位置する。keikoは気が進まない様子でだったが,時速20kmぐらいでゆっくりとダートを進み,利賀川の谷にかかる橋のところまで到達。道があやしいので,橋から先は熊鈴持参で歩いて行くことになった。
利賀小学校北原分校仙野原冬季分校は,へき地等級2級,児童数7名(S.34),昭和10年開校,昭和40年閉校。最盛期8戸の集落は,昭和38年末には2戸となり,昭和41年に最後の1戸が離村。集落が急斜面にあったため,冬季の雪崩が恐ろしく離村の動機になったとのこと。集落跡は仙野原林道の三差路付近だが,石垣などの痕跡は見当たらなかった。しかし,林道の標柱が見つかり,keiko同行の探索だったので,深追いはしなかった。

仙野原集落跡付近では,林道の標柱が見つかった


# 19-8
仙野原からは小牧ダム経由,R.156庄川と利賀川の合流地点ではかつての吊り橋 仙野原大橋痕跡の橋げたを確認しながら,北原(Kitabara)へと向かった。仙野原−北原間は歩道だと3km,小牧ダム経由だと13km。いつか北原から仙野原まで歩いて,改めて探索をしてもよいかもしれない。
翌30日(木)の起床は朝6時頃,天気は快晴。宿から外へ出ると,北原分校跡の敷地が浮きあがっているようでびっくり。草が生えていない雪融け直後ならではなのだろう。坂道を下ってみると,仙野原へ向かう道の三差路に,棚田の跡が浮きあがっていた。水辺の近くに生えるたくさんのコゴミや,水たまりに泳ぐ無数のオタマジャクシからは,生命の息吹が感じられた。

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雪が融けたばかりの北原分校跡は,敷地が浮きあがったようだった           北原・スギ林の中に,家屋跡の石垣が見つかった      .

# 19-9
朝食をとった後,探索的な散歩にkeikoを誘うと,「ゆっくりしてる」と連れない返事。「まあいいか」と八幡社にお参りに行くと,積雪期には見えなかった石段があることに単純に驚いた。その先にお墓と石垣が見当たったので確認すると,道はさらに先へと続いており,興味津々でたどると,スギ林の中,予想しなかった屋敷跡の石垣が広がっていた。石垣の様子を見ると,往時2軒の家があったようだった。
足元には,カタクリの花が咲いており,薄暗いスギ林の中が明るく感じられた。八幡社から奥に続く道に気づいたのは,訪問4回目にして初めてのこと。今回の旅では「雪国の廃村探索は雪融け直後がよい」,「冬季通行止の解除時期には要注意」という2つの経験則が得られた。

帰り道,砺波市で花盛りのチューリップ公園に立ち寄った

# 19-10
「利賀乃家」の吉田與十郎さん,妙子さんご夫妻,「ながさき家」の野村容子さんとの語らいも楽しかった北原を出発したのは朝9時15分頃。前日,偶然知ったことから立ち寄った砺波市のチューリップ公園は,その規模の大きさと人出の多さにびっくり。予定外の展開も旅の醍醐味のひとつだ。
新高岡からは,金沢で北陸本線,福井で越美北線に乗り継ぎ,越前大野を目指した。いろいろお世話になった吉田吉次さんのご子息(吉成さん)と待ち合わせて,仏壇にご挨拶して,4年ぶりに西谷村(上笹又,中島)を訪ねた。吉田さんと分かれてからはシバザクラが見事な牛ヶ原駅でひとときを過ごし,大阪・堺の実家を目指した。福井−新大阪は混雑が見込まれる「サンダーバード」ではなく,米原,東海道本線経由にすると,2時間30分かかった。



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