賑わいに包まれたコンブ漁の島を訪ねる

賑わいに包まれたコンブ漁の島を訪ねる 北海道厚岸町小島,浜中町三番沢

離島の冬季無人集落 小島(こじま)には,意外な賑わいがあった



2016/5/29 厚岸町小島,浜中町三番沢

# 27-1
平成28年5月29日(日),道東・釧路の廃校廃村めぐり2日目,午前中は離島の冬季無人集落 小島(Kojima)を,漁船に乗って訪ねた。小島は厚岸湾の東側,大黒島(無人島)と並ぶ離島で,面積は0.05平方km,周囲0.8km,海抜27m。その規模は長崎の端島(軍艦島,面積0.06平方km,周囲1.2km,海抜20m)とよく似ている。本土でいちばん近いピリカオタからの距離は1q,漁船の行き来がある床潭からの距離は3km,大黒島までの距離は1.5kmである。
人口の規模は6戸13名(H.28),生業はコンブ漁で,学校が開校していた頃(昭和50年閉校)は通年の暮らしがあったが,昭和55年頃からは,12月から翌年3月までは無住となっている。

# 27-2
朝早くに民宿「喜多岬」の女将と話をすると,前日の午後は風が強く,船を出せるかどうか微妙な感じだったらしい。また,夜には雨が降っていた。しかし,当日の朝は雲ひとつない晴天で,風も穏やかだ。主催者としては,ホッとすることしきりだ。
宿を出発したメンバー4人(K・Tさん,田中さん,成瀬さん,私)は,厚岸市街のセイコマで食料・飲み物を調達して,船が出る床潭港まで移動した。事前に小島の対岸1qほどのピリカオタまで様子を見にいくと,偶然ウインデーさんと遭遇し,沖合の大黒島とともにしっかりと島影を望むことができた。床潭港集合は朝8時頃。港でふゆをさんと娘の未森さん,道新の記者の方(Yさん)が加わり,メンバーは総勢8人となった。

対岸のピリカオタから小島と大黒島を遠望する


# 27-3
ほどなく小島の漁師 Tさんの漁船が到着。船は3kmの海路を10分ほどで走った。屋根のない小さな漁船の中では,皆の気持ちの高まりが強く感じられた。
小島に着いて驚いたのは,学校跡の校舎がそのまま残っていることだった。小島小学校はへき地等級5級,児童数20名(S.34), 明治37年開校,昭和50年閉校,最終年度(S.49)の児童数は4名。 頑丈そうな鉄筋ブロック造りの校舎は昭和39年に建てられたもので,閉校後も公民館として活用されている。
私は2月に,久保田勲さんという80代(昭和8年生)の漁師の方に聞き取りを依頼していた。Tさんに尋ねると,「久保田さんは浜で漁の作業をされている」とのことで,漁期はコンブの干場となる砂利の平地を歩いて,ご挨拶にうかがった。聞き取りの場所は公民館,つまり校舎が最適だ。

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  小島には防波ブロックはあるが港(船着場)はない            小島小中学校跡の校舎は,島のいちばん南側に建っていた


# 27-4
8人全員 校舎にお邪魔して,往時の教室で久保田さんへの聞き取りが始まった。久保田さんからは,今の島のこと,通年の暮らしがあった頃のことなど,いろいろ話していただいた。ウインデーさん,K・Tさん,ふゆをさんは北海道各所の学校跡に足を運ばれているが,小島はピリカオタから眺めるところで留まっていたという。私は「北海道では,定期航路がない小さな有人島は小島だけなんだ」と改めて思った。
島には私達8人以外にも,子供を含む10人ほどのグループが訪ねて来ていて,校舎のそばでバーベキューの準備をされていた。お話をうかがうと,島の方の知合いで,厚岸市街から来られたとのこと。黒板の落書きの数から,島にはときどき外からの方が来れれていることがうかがえた。

# 27-5
久保田さんへの聞き取りが終わった後は,校舎の中を見学し,1時間強,各自で島内を探索した。私はまず,学校跡のそばに建つ神社と,その上の高台へと続く展望台(避難施設)に登って,上から島全体を見渡した。てっぺん間近のところで,道新のYさんとすれ違った。海抜27mといっても,てっぺんまで登ると結構高い。私は端島(軍艦島,海抜20m)の神社から見渡した東シナ海を思い出した。こちらの海は太平洋だが,その雰囲気には共通点がある。
しかし,展望台周辺のカモメの数は半端じゃない。鳴き声は威嚇するもののようで,下手をすると襲われかねない。風が強くなってきたこともあって,やや早足で展望台を後にした。下りる階段では,カモメに喰われたらしい小さな鳥の骨に気づいた。

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 島の守り神(厳島神社)とガラスケースに覆われた家庭菜園         展望台から見下ろすと,山に寄り添うように家屋が集まっていた


# 27-6
小島の探索で,私は「集落としての小島」を求めて歩いた。展望台を下りて,教員住宅跡の廃屋を見た後,家屋,番屋が立ち並ぶ一角に身をおくと,海が見えなくなることに驚いた。所々の家庭菜園は,風除けのためのガラスケースに覆われていた。
小島北端の海岸からは,島のような感じで北海道本土(ピリカオタとその周辺)が見える。昭和10年まで島の北側にあった初代小島小学校跡は,その後の浸食で海中に没したという。南端の海岸からは,大黒島(砂崎方面)が見えている。大黒島は,特別鳥獣保護区に指定され,立入りが制限されているが,肉眼でもわかる大きさの番屋が建っていた。

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狭い島には,家屋と番屋が集まって建っている                     漁の時期,砂利の平地にコンブでいっぱいになる


# 27-7
小島はその名の通りとても小さな島なので,ひと通り回っても1時間はかからなかった。探索を終えてからは,島南端の砂利の平地に座ってぼんやりと小中学校跡の校舎を眺めていた。私が小学校を卒業したのは昭和49年。この東の果ての小さな島に,その頃には学校があったのだ。
気がつけば,みんな学校の近くに集まってきている。もしも学校がなかったら,誰も島には渡らなかったことだろう。思いついて皆に声を掛け,集合写真を撮った。上陸から2時間半,漁船は小島を離れた。偶然だが,船が出たのは学校のすぐそばの浜だった。帰路の漁船は往路よりも波が高かったので,波除けのビニールシートをかぶって乗った。揺れて潮が降る漁船の3kmほどの10分は,往路の倍ほどかかったように感じられた。

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校舎の煙突にはカモメがとまっていた             小島小中学校跡の校舎をバックに集合写真を撮る    .


# 27-8
小島から戻った床潭港で8人組は散会し,昨日までの4人組に戻った。時間はちょうどお昼時,「どこで食べようか」という私の声に,K・Tさんは末広(Mabiro)という廃校がある集落に連れて行ってくれた。
南側の海に向かう道が急に細くなる場所には正面の高台に神社,右側に学校跡の校舎,左側にバス停跡が構えていた。末広小学校はへき地等級2級,児童数82名(S.34), 明治27年開校,平成2年閉校。校舎の屋根はかまぼこ型で目を引いたが,私はへそ曲がりなので,学校跡の探索は3人にまかせて,ひとりバス停跡の前でパンを食した。そのうち3人がバス停跡前にやってきて,わいわいしゃべりながらのひとときとなった。

# 27-9
時間に余裕があったので「神社まで登りましょう」と,私は提案した。何度か訪ねているK・Tさんは,「廃校めぐりではたくさん回ることを主眼とするので,神社に行くのは初めて」とのこと。そぐそばに見える神社だが,たどり着くためには海のそばからの坂道を登らなければならなかった。
高台の神社に登り詰めると,近くには狛犬,社殿,記念碑,遠くには学校跡の校舎,小島,夫婦岩など多くのものが迎えてくれた。神社からの戻り道,商店跡を前を通過したところ,「雪印牛乳 カツゲン 申込所」というホーロー看板が視界に入った。「カツゲンってなんですか?」という私の問いに 「カツゲンは,カツゲンですよ」と3人の北海道人は答えた。この瞬間,「北海道は遠い場所なんだなあ・・・」私は思った。

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        神社から末広小学校跡の校舎を見下ろす             この日の合同調査で,「カツゲン」なるものを知る


# 27-10
末広を後にして,クルマ2台は合同探索最後の目的地 浜中町三番沢(Sanbanzawa)を目指した。海岸に近い集落 散布(Chirippu)から湿原の縁をたどるような道を北上すると,「林道3番沢線」という看板がある枝道が見当たった。しかしこれはフェイントで,入って1qほどで誤りに気がついた。
K・Tさんが前に内陸のほうから訪ねたとき,林道の入口には「四番沢・五番沢林道」という看板が立っていたという。そのうちに現在地を把握することができ,3番沢線入口から北約1qにある三番沢に向かう林道入口を見つけることができた。しかし,「四番沢・五番沢林道」の看板は見当たらなかった。林道入口から約1q進むと,右手に一本のマツの木が見えてきた。これが小学校跡の目印で,田中さん,K・Tさんはクルマを停めた。

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三番沢小学校跡には目印のマツの木が立っていた                学校跡裏手の神社跡には,錆びた屋根が残っていた


# 27-11
三番沢小学校はへき地等級4級,児童数28名(S.35), 明治35年開校,昭和47年閉校,最終年度(S.46)の児童数は6名だった。学校跡は草地になっており,傾いて立つ標柱が痕跡といるかもしれない。学校跡裏手の神社跡は,錆びた屋根が残るため,すぐに見つけることができた。K・Tさんは,「6年前に訪ねたときと比べると,ずいぶん傷んだ」と言われていた。
集落跡の道を歩いていると,おそらく三番沢に最後まで残っていた家屋が屋根だけとなって残っていた。家屋跡の手前に張られた鎖は,家屋が建っていた頃からそのままなのであろう。周囲は原野と湿原が広がるのみ。耕地の跡に木が生え始める三番沢には,廃村らしい空気に包まれていた。

# 27-12
三番沢からは4qほど北にある根室本線の茶内(Chanai)という駅を目指し,到着したのは午後1時50分。乗る予定のディーゼルカー出発の50分前だった。
後日,五万地形図 霧多布(S.35)を見ると,三番沢から東に6kmほど行くと浜中町の中心 霧多布(Kiritappu)があって,途中2kmを超す湿原を抜ける直線道路が走っていた。その時閃いていたら,行っていたことなのだろう。
浜中町は,漫画家 モンキー・パンチが生まれ育った町で,ルパン三世のキャラクターが,町内の各所に置かれているらしい。茶内駅の入口前では,ルパンが迎えてくれた。合同探索の無事終了を記念して,成瀬さんに2ショット画像を撮っていただいた。

茶内駅入口で,ルパンと2ショット画像を撮る


# 27-13
3人の見送りを受けて,釧路行き1両編成のディーゼルカーは,午後2時42分に茶内駅を出発した。門静駅を出ると,厚岸湾が外海に向かって開けて,小さくだけど大黒島と小島を見ることができた。鉄道の旅はおよそ1600km,茶内から釧路−厚内(この日の宿の最寄り駅)−上厚内(「廃村千選」のポイント)−帯広−南千歳−新函館北斗−新青森−大館(翌日の宿の最寄り駅)−鷹ノ巣−秋田−大宮と乗り継いで,家の最寄り駅 南浦和へと続いた。
釧路市街を1時間ほど散歩した後,厚内まで1時間半ほど,帯広行き2両編成のディーゼルカーに乗った。乗客は学生など地域の方が大半で,出発時はまずまずの数だったが,降りる人はあっても乗る人はなく,白糠を出た頃にはガラガラになっていた。

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  古瀬駅2番線に停まる帯広行きディーゼルカー                古瀬−音別間,車窓風景を楽しみながらビールを飲む


# 27-14
途中,古瀬(Furuse)で下り列車との交換で,10分ほどの停車があった。古瀬は秘境駅としてその道では有名で,1日上り3便,下り4便しか停車しない。よい機会なので途中下車して,上りホーム(2番線)から100mぐらい離れている下りホーム(1番線)まで歩いてみた。ホームは幅が狭い板張り,道はすべて未舗装道。駅周囲は森林で,閉ざされた詰所以外に建物はなかった。
音別で高校生と年配の男性が下りて,乗客は私ひとりになった。音別−尺別間,列車は貸し切りで,車窓には海が広がる。ガーリックトーストをかじりながらビールを飲んでいると,とても贅沢な気分になった。



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