長距離切符の途中下車で駅前廃村を訪ねる

長距離切符の途中下車で駅前廃村を訪ねる 北海道浦幌町上厚内

高度過疎集落 上厚内(かみあつない),駅に1両編成のディーゼルカーが停まった



2016/5/30 浦幌町上厚内

# 28-1
平成28年5月30日(月),道東・十勝の廃校廃村めぐり,厚内(Atsunai)の旅人宿「まちぼうけ」起床は早朝5時頃,天候は曇り。時間があったので,厚内の町を散策してみた。 厚内は太平洋に面した200戸・330名ほどの漁業の町で,根室本線の駅があるが,国道(R.38)からは離れている。漁港付近を歩いていると,遠くにいることは実感できたが,20分ほどの間,誰かに会うことはなかった。
まだ皆は寝ている「待ちぼうけ」を出発し,歩いて3分ほどの厚内駅を目指した。改札をくぐると,1番線(上り)ホームには2両のディーゼルカーが停車していた。1両は芽室(帯広方面)行き,もう1両は釧路行き。間違えて乗るとたいへんだ。

# 28-2
私は芽室行きのボックスシートに座った。乗客は女子高生と私のふたりだった。ディーゼルカーは朝6時14分,上厚内駅に到着した。
高度過疎集落 上厚内(Kamiatsunai),平成27年の規模は3戸5名。「駅がある廃校廃村」ということで,鉄道に乗って行きたかった。しかし,本数は上りが7本,下りが6本。思いついたのは,厚内の宿に泊まり,厚内始発の朝一番の便で途中下車し,次の便で出発する行程だった。
2番線(上り)ホームに降りたのは,もちろん私ひとり。駅に人影は,もちろんなかった。跨線橋を上がると,数戸の廃屋が見えた。1番線(下り)ホームには 貨物列車が交換のため停まっていた。駅舎は味わいがある木造駅舎で,ノートが置いてあった。

上厚内駅・味わいがある木造駅舎


# 28-3
上厚内駅に滞在できる時間は1時間8分。ひと通り探索するにはちょうどよい時間だ。駅前には商店の跡が構えている。廃校廃村で,かつて商店があった集落はそれほど多くはない。お店は何年頃まで開いていたのだろうか。後でゼンリンの住宅地図を調べると,店名は「渡佐商店」,平成6年の住宅地図には載っており,上厚内の戸数は13戸。平成11年の住宅地図では商店の名前は消えており,戸数は8戸になっていた。
『廃村をゆく2』に載っているpiroさん撮影の画像では,入口左側に赤いポストが写っている。5年ほどの時を経て,ポストは失われていた。建物の正面には,印象的なカードの看板が残されている。日専連カードの加盟店だったらしい。

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       上厚内・駅前には商店の跡が構えている               商店跡には日専連カードの看板が残る


# 28-4
上厚内小学校は,へ地等級1級,児童数43名(S.34),大正13年開校,昭和57年閉校。最終年度(S.56)の児童数は3名。小学校跡は駅入口から見ると,左側(北西側)にある。私は地形図を見る分には,駅が平面で学校跡が高台と想像したが,行ってみると,駅がわずかに高台で学校跡が平面だった。
広い校庭があって,環境は良さそうに見えた。かつては商店があり,今も駅は存続している。「なぜここまで過疎が進んだんだろう」。綺麗に残る赤い屋根の体育館を見ながら,私は少し不思議に思った。校庭の片隅には「郷学の庭」という閉校記念碑が残っていた。気候の厳しさのせいか,台座のコンクリートの角は崩れ始めていた。

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上厚内小学校跡・体育館(左)と地域の会館(右)               校庭の片隅に建つ「郷学の庭」という閉校記念碑


# 28-5
小学校跡の探索に続いては,集落のメインストリートを西から東へと歩いた。現住の家は2戸で,うち1戸にはクルマが停まっていない。無住の家のうち1戸は,比較的最近まで住まれていた感じがした。
二万五千図(厚内,S.61)には,32戸の家屋が記されているが,集落のそばの農地は北海道としては狭い。過疎が進んだ理由は,農業,畜産業に向かない場所だからではないだろうか。「人口統計ラボ」Webで調べたところ,上厚内の就業者総数(H.22)は3名で,農林業はゼロだった。
メインストリートには,最近まで住まれていた感じ家屋を含め,多数の無住家屋,廃屋が残っており,上厚内の特徴と言えそうだ。

上厚内・メインストリートには,多数の無住家屋,廃屋が残っていた


# 28-6
上厚内は辺鄙な山奥ではなくて,国道(R.38)沿いにある。メインストリートの東端は踏切になっていて,その先のR.38にはクルマがたくさん走っている。踏切に向かう三差路の道路標識には「上厚内市街」と記されていた。現住家屋2戸でも「市街」というのは,何かほほえましい表現だ。
上厚内の神社は,国道沿いにある。探索の大詰め,私は階段を上がって,集落の神様にご挨拶をした。北海道らしい白の鳥居をくぐり,坂道を上ると,しっかり手入れがなされた,綺麗な拝殿が迎えてくれた。
「上厚内 神社」で検索すると,「平成27年11月 浦幌神社に合祀され,100年の歴史に幕」という記事が出てきた。

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R.38沿いに立つ「上厚内市街」と記された道路標識                   北海道らしい白い鳥居の上厚内神社    .


# 28-7
朝7時22分,新得行きのディーゼルカーが上厚内駅に到着し,廃村めぐりは終了した。上厚内からは帯広で「スーパーとかち」,南千歳で「スーパー北斗」,新函館北斗で「はやて」,新青森で「つがる」と特急を乗り継ぎ,秋田県の大館に向かった。3月に開通したばかりの北海道新幹線(新函館北斗−新青森)は,所要時間の短さ(1時間8分)にあっけなさを感じた。大館着は夕方5時10分。昨年11月に引き続き,仲谷さん夫妻と夕食をご一緒した。
翌31日(火)の起床は朝6時頃,天候は曇り時々晴。鷹巣で市街の探索をした後,お昼前秋田駅で途中下車して,秋田文化出版の編集担当 渡辺修さんにご挨拶し,秋田港のポートタワーセリオンで秋に出版予定の『秋田・廃村駆け足の記録』(仮題)について,打ち合わせをした。

(追記1) 秋田ふるさと育英会発行,秋田文化出版発売『秋田・廃村の記録−人口減時代を迎えて』は,平成28年10月27日に完成した。

(追記2) 平成28年9月,「上厚内駅は春のダイヤ改正で廃止」と報道された。そして平成29年3月4日,上厚内駅は廃止された。



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