祝!山の日 500か所超え達成!

祝!山の日 500か所超え達成! 宮城県加美町田代,大崎市北滝

廃村 北滝(きたたき)では,直彫りのフクロウ像が待っていた



2016/8/11 加美町(旧宮崎町)田代,大崎市(旧鳴子町)北滝

# 30-1
平成28年夏,宮城県・日帰りの廃校廃村への旅 二度目はこの年から始まる祝日の「山の日」,宮城県の中で最後まで残った加美町田代(Tashiro),大崎市北滝(Oodomori)を選んだ。ともに事前の情報はほとんどなく,「廃村千選」の累計訪問数500か所超えのクライマックスにはちょうどよい。
一度目の旅の打ち上げでご一緒した須川敏幸さん(仙台在住)は京都出身,ワープロ通信でよく連絡をしていた頃(平成初頃)は京都在住,現在は東北大学の数学の先生で,キノコ観察のため宮城県内の山間によく出かけているとのこと。「キノコ探しを兼ねて廃村めぐりに行きましょう」という私の提案に須川さんが手を挙げてくれて,意外な展開の二人旅の計画がまとまった。

# 30-2
平成28年8月11日(木祝),起床は朝5時頃。山の日の天気は快晴。一度目(海の日)から1ヶ月弱,その間に関西行きが入っていたりで,結構あわただしい。大宮駅からはやぶさに乗って,仙台駅で仙山線に乗り換えて,陸前落合駅に到着したのは午前8時38分。須川さんは駅の北口で待っていてくれた。
陸前落合から田代までは,一般道(主にR.457)で約66q。田代から鳴子温泉までは林道経由で約10q。鳴子温泉から北滝までは荒尾岳を時計と反対回りに走って約18q。須川さんは「仙台は街の規模がちょうどよく,山が近いので過ごしやすい」と話されていた。王城寺原演習場がある大和町,大衡村あたりでは,演習場に関係したものか,綺麗な飛行機雲を見ることができた。

王城寺原演習場近くのR.457では,綺麗な飛行機雲を見ることができた



# 30-3
田代は陸羽国境そばの山中に位置し,江戸期は仙台藩の国境警備の働きを担っていたという。最寄集落 湯ノ倉への分岐を過ぎてすぐ,田代林道の始点には,「田代高原から先 通行止」という案内板が建っていた。つまり,田代までは無事に行けるということで,ひと安心。通行止は田代峠を越えて山形県最上町赤倉に通じる道のことらしい。ちなみに,赤倉−田代峠間にある廃村 作造原は平成21年9月に訪問している。
ダートの林道を走って「もうすぐ田代」というところまで来たとき,左手路傍に日差しが当たった石碑が見られた。確認すると碑は「田代地区水源林造成記念碑」(昭和31年建立),集落があった頃からのもので,碑面には細かい字でびっしりと説明文が刻まれていた。

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    田代林道の始点には,「田代高原から先 通行止」とあった        田代集落跡の手前に建つ「水源林造成記念碑」


# 30-4
山中には珍しい十字路を過ぎて,田代高原キャンプ場に到着したのは午前11時頃。キャンプ場は整っていたが,利用者の姿は見当たらなかった。クルマから降りて,「500か所訪問,達成しましたよ」と私が話すと,須川さんは「よかったですね」と答えてくれた。
旭小学校田代分校は,へき地等級4級,児童数6名(S.34),明治34年開校,昭和40年閉校。最終年度(S.40)の児童数は5名。新旧の五万地形図(鳴子,S.30・S.43)を見比べると,ともに文マークは記されていないが,S.30版に記された集落は田代高原キャンプ場の場所と重なっている。S.43版には集落は記されていない。分校は集落の一角にあったものと推測し,キャンプ場の周囲を探索したが,痕跡を見つけることはできなかった。

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集落跡・分校跡に作られたと思われる田代高原キャンプ場                   二方向がダートの田代高原十字路       .


# 30-5
S.43版に記されている田代十字路は,S.30版には記されていない。十字路にクルマを停めて確認すると,新しい道は「ふるさとの道」といって,北側のダートは鳴子温泉に,南側の舗装道は旧宮崎町寒風沢に続いている。まず南側の道をウトウ沼がある場所までクルマを走らせると,沼の手前,五万地形図(薬莱山,S.43)に水田が記されている場所には,雑木が侵入した耕作放棄地が見られた。
沼で折り返し,戻り道,五万図に神社マークが記されている場所付近を確認したが,神社に通じる枝道は見当たらなかった。須川さんは田代を訪ねるのは初めてだが,キノコ観察の候補地として注目していたとのこと。雪解け直後(4月下旬頃)に再訪すれば,何かしらの発見があるかもしれない。

田代・集落外れの耕作放棄地には,雑木が進入していた


# 30-6
田代十字路北側のダート(田代−鳴子温泉間)は,森の中を縫う静かな林道で,路傍でキノコを探すと,須川さんが枯葉の合間に高さ1cmほどの小さな黒いキノコを見つけた。「テングノメシガイ」というこのキノコ,まず単独では見つけることはできないものだ。もうひとつ,高さ5cmほどの傘がある白いキノコは,見たことはありそうだが名前はわからない。須川さんに尋ねると「シロイボカサタケ」とすぐに答えてくれた。
休憩がてらの昼食は,鳴子温泉の一角にある古民家レストランでとった。須川さんによると,夏はキノコ観察には向かない季節で,観察しやすいのは春と秋とのこと。初めてのことではあるが,山間・山中の廃村探索とキノコ観察の相性は良さそうな感じがした。

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        ふるさとの道沿いで見つけたキノコ(テングノメシガイ)        ふるさとの道沿いで見つけたキノコ(シロイボカサタケ)


# 30-7
鳴子温泉には,昭和58年3月,私が初めて東北地方を国鉄のワイド周遊券を使って旅した時に泊まっており,平成21年9月の山形・宮城への廃村探索ツーリングの道中でも泊まっている。今回は500か所目(田代)と501か所目(北滝)の間の訪問,何かと縁がある温泉地だ。
二つの五万地形図(鳴子,S.43,秋ノ宮,S.48)を張り合わせたコピーを見ると,北滝がある荒雄岳の麓は,綺麗に楕円状の谷があり,谷に沿って周回道路が記されている。荒雄岳は活火山で,周囲には多くの温泉マークが記されている。須川さんと話しているうちに典型的なカルデラ地形であることに気がついた。須川さんは8月上旬,ご子息と2人で荒雄岳近辺にキノコ観察に出かけ,鬼首温泉に泊まられたばかりとのこと。

# 30-8
鳴子温泉−蟹沢間は旧道を使い,蟹沢からは時計と反対周りで荒雄岳周回道路を走った。蟹沢−地熱発電所入口間は静かなダートで,地形図には途中に田代という地名があるが,須川さんは初見とのこと。この田代も廃村に違いなく,クルマから心当たりの場所を確認したが,気配はつかめなかった。
北滝の少し手前,発電所入口−地熱発電所間にある荒湯地獄に立ち寄ると,一面に白い硫黄分が噴き出した荒野が広がっていた。「立入禁止」という看板が立っているだけで,柵などは施されていない。近くの沢では手作りの露天風呂があるという。その先の鬼首地熱発電所は,片山地獄(硫黄鉱山跡)のそばにあり,昭和50年運転開始という歴史を持っている。

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        北滝の少し手前で立ち寄った荒湯地獄                  北滝・荒尾岳周回道路に架かる赤い欄干の橋(滝ノ沢橋)


# 30-9
北滝は戦後開拓集落で,五万地形図(鳴子,S.43)には江合川の源流部,北滝沢と滝沢の合流部付近に地名と7戸の家々が記されている。クルマの速度を落として心当たりの場所を確認したところ,赤い欄干の橋(滝ノ沢橋)があって,この橋が滝沢に架かっていることがわかった。
鬼首小学校北滝分校は,へき地等級5級,児童数15名(S.34),昭和27年開校,昭和40年閉校。最終年度(S.39)の児童数は4名。五万図には文マークは記されていない。クルマを降りて私と須川さんは橋の周囲を探索したが,周遊道路から分かれるけもの道は,新しいものとも往時からのものともはっきりしない。けもの道の一角に直彫りのフクロウ像があったので,須川さんに頼んで,北滝を訪ねた記念の2ショットを撮っていただいた。

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北滝・直彫りのフクロウ像と記念の2ショット       周回道路の脇には,葦が生えた耕作放棄地らしき平地が見られた


# 30-10
周回道路の脇の葦が生えた耕作放棄地を見ながら,須川さんは「この辺りは何度も通っているが,開拓集落があったとは思いもよらなかった」と言われていた。北滝の探索後は,私のリクエストに答えて,須川さんが最寄の集落 岩入から少し山へ入った場所で,冬虫夏草を探してくれた。薄暗い森の中,しばし探すと,「エダウチカメムシタケ」というひょろ長い小さなキノコがカメムシの死骸に寄生した冬虫夏草が見つかった。
田代,北滝を訪ねて,「廃村千選」の累計訪問数は501か所となり,同時に宮城県のポイント(12か所)全訪が達成された。目標としてから丸4年かかった「500か所超え」の達成は,キノコ観察とセットというとても記憶に残りやすいものとなった。



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