鬼怒川・高度過疎集落を考える旅

鬼怒川・高度過疎集落を考える旅 栃木県日光市五十里


高度過疎集落 五十里(いかり)で見かけた寺社の建物です。



2006/3/21 日光市(旧藤原町)五十里

# 5-1
平成18年に入り,2月10日(金)に「廃村と過疎の風景(2)」の冊子が完成し,その流れで3月3日(金),日経新聞文化欄に「廃村の記憶 風化させず」という記事が掲載されました。「学校跡を有する廃村」(現「廃村千選」リスト)の作成も36都府県が落ち着き,計614か所の「廃校廃村」を見出しました。
リスト作成が順調に進んでいくと同時に,廃村と高度過疎集落,冬季無人集落を曖昧に扱うことの違和感が強くなってきました。
「廃村(集落跡)とは,住民がいない集落(1戸程度が残るものを含む),高度過疎集落とは,5戸以下程度の集落,冬季無人集落とは,冬季に住民がいなくなる集落の総称」というように,定義を明文化したほうがより客観的になりそうです。

# 5-2
高度過疎集落を廃村(集落跡)と並列で扱うようになったきっかけは,平成14年夏に訪ねた京都府京丹後市(旧弥栄町)味土野(最盛期の戸数60戸,H.14現在5戸)に建っていた「ふるさと味土野之跡」という記念碑です(昭和59年建立)。
住まれる方が居る集落にあった離村記念碑は,当初ピンと来ませんでしたが,集落としての機能を失った味土野が,昭和の頃の住民の目から見ても集落跡と映ったことの象徴として,重要な意味を持つようになりました。
高度過疎集落は,廃村よりも地域の方と出会う機会は多くありますし,往時はどんな場所だったのか想像する楽しみも,廃村に勝るとも劣りません。

# 5-3
机上の調査により,廃村,高度過疎集落,冬季無人集落の例を調べ,その数を増やしていくことは,リストを客観的なものにする上で大切です。
しかし,同時に現地に足を運んで,肌でその雰囲気に触れることも大切であり,両立させなければ良いリストをつくることはできません。
関東17か所の「廃校廃村」のうち,高度過疎集落は,栃木県日光市五十里,群馬県六合村品木,埼玉県秩父市小倉沢の3か所です(当時)。
平成18年最初の廃校廃村への旅は,雪も融け始めた3月下旬,この中から五十里(Ikari,戸数4戸)を選ぶことになりました。五十里の少し手前には,塩谷町東古屋(Higashikoya)という戸数6戸の過疎集落があり,五十里と比較し,高度過疎集落の特徴を考えるには好都合です。

# 5-4
五十里は,五十里ダム建設(堤高 112m,貯水量 5500万立方m,昭和31年竣工)のため,多数の住居が移転した高度過疎集落です。「角川日本地名大辞典」には,昭和28年に57戸中49戸が集落外に移転,8戸がダム湖のほとりに移転したとの旨が記されています。
新しい五十里集落は,旧集落よりもやや下流側の湖左岸の2か所に作られ,新しい分校はこの新集落の間に作られました。現在,住宅地図には民宿や食事処に混じって閉ざされた家屋が多く見られ,集落は閑散としているように見受けられます。
東古屋も,地域内に西荒川ダム(堤高 43.5m,貯水量 430万立方m,昭和42年竣工)がありますが,湖畔の集落はダム建設以前からのものの様子です。

# 5-5
旅の出発は3月20日(月)で1日年休取得。天気は晴れており,当初はツーリングの予定でしたが,強風と低温と花粉症のため電車で出かけました。この日は那須塩原の亡き妻の実家を訪ねて,お母さんにご挨拶をしました。この夜はうるさいぐらいの春の嵐でした。
翌21日(火祝)は朝7時起床。天気は晴。まずは,夜に降った雪を払いながらお母さんと一緒にお墓参りです。
塩原を出発して,JR西那須野駅に到着したのは午前10時少し前。駅近くのレンタカー店でトヨタのイスト(1500cc,スタッドレス)を借り,東古屋,五十里には,八方ヶ原・高原山を時計周りに廻るルートで出かけました。見積もった時間は6時間,距離は約150kmです。


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# 5-6
西那須野から約1時間,28kmで,最初の目的地 東古屋に到着しました。東古屋までの道は普通車ならば袋小路であり,ダム下からの急な坂道を登っているときは,山の深さが感じられました。しかし,ダム湖を過ぎて到着した東古屋は,空も広く平地も広い明るい集落でした。湖にはボートが浮かび,釣りの方の姿も所々に見られます。家々には活気があり,地域の方の姿も見られました。
熊ノ木小学校東古屋分校は,へき地等級1級,児童数10名(S.34),昭和42年閉校。分校跡はキャンプ場と駐車場になっており,湖辺りには分校跡らしい金網とサクラの木々がありました。ダムの水が集落まで来なかったことは,東古屋にとって幸運なことに違いありません。

# 5-7
ダム湖沿いには「湖多喜」という公民館を兼ねた食事処があるので,ここでWBC日本−キューバ戦を見ながら鴨なんばんを食べました。日に5本(休日運休)の町営バスも通じる東古屋には,廃村に通じるわびさびの空気は感じられませんでした。
東古屋から五十里までは,一度塩谷町の中心 玉生に戻って,鬼怒川の流れに沿って向かいました。川治温泉を過ぎたあたりから山が険しくなり,東古屋から1時間15分,48kmで五十里(海尻橋寄り)に到着しました。会津西街道(R.121)は,海尻橋−海渡り大橋間で対岸にバイパスができており,五十里に向かうクルマはごくわずかです。湖畔の食堂は休みで,土産物店「大阪屋」は閉ざされて久しい様子でした。

# 5-8
「大阪屋」の脇から山へ向かう道沿いには数戸の家屋が見当たりましたが,人気は感じられません。道の舗装が切れる箇所にある五十里公民館は新しく,時折使われている様子なのが,廃村ではなく高度過疎集落らしいところです。
さらに道を進むと,旧集落から移設されたのではないかと思われる風格がある閉ざされた家屋がありました。脇には,湖畔ではちらほらしか見られなかった雪のかたまりがあり,寒くなったように感じられます。道の先には神社があったのですが,坂を上ると雪が深くなってきたので,鳥居の前で手を合わせて引き返しました。

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# 5-9
クルマに戻ってR.121の旧道を1kmちょっと進むと,分校跡に向かうコンクリートの階段が見つかりました。登っていくと寺社の建物が二つ並んでいたので,立ち止まって手を合わせました。何か初詣のような気分です。寺社の左側は墓地,右側は駐車場です。クルマは1台も停まっていない駐車場は閑散としており,分校跡のグランドらしきことを感じました。
三依小学校五十里分校は,へき地等級1級,児童数16名(S.34),閉校は昭和36年。旧集落からの移転が昭和28年に行なわれたとすると,湖畔の分校は8年ほどしか開かれていなかったことになります。

# 5-10
分校跡からクルマに戻って少し走った海渡り大橋の手前には,民宿「五十里荘」と商店などの家屋がありました。お店でアメを買いながら,店の方(年配の女性)に集落のこと,分校のことなどを尋ねると,「旧集落跡は,海渡り大橋からさらに1kmほど進んだ大塩沢の橋近くの湖底だが,記念碑など,特別なものはない」とのこと。また,「分校の校舎跡は駐車場より少し上にあり,建物の土台が残っている」とのこと。
お礼をいって分校跡に戻り,駐車場の少し上の壇状の平地を確認すると,潅木に混じって建物の土台と,水溜めのようなコンクリートのかたまりが見つかりました。短い間しか開かれなかった五十里分校ですが,閉校後45年経った今も,存在感を残していました。

# 5-11
廃村(集落跡)として取り扱うには少し違う感じはするけれど,訪ねてみると同じような風情があるのが高度過疎集落です。特に五十里は,大きな旧集落が湖底に沈んでいるので,そんな風情もひとしおで,明らかに東古屋とは異なる雰囲気がありました。
再び分校跡からクルマに戻ったあたりから小雨が降り出しました。時間は午後2時40分。そろそろ帰路に着く頃です。海渡り大橋の交差点でR.121に戻り,大塩沢の橋の近くにクルマを止めたときには,みぞれになっていました。
橋から見下ろす五十里湖は,クルマが入れる広さがあり,釣りの方の姿も見かけられましたが,橋から遠景を見るだけとしました。

# 5-12
みぞれはだんだん強くなり,標高1000m近いR.400の尾頭トンネル前の気温表示は2℃となっていましたが,トンネルを越えてしまえばなじみがある塩原の温泉街です。ひと安心してクルマを走らせると,五十里から52km,午後4時頃には西那須野に戻ることができました。
WBCは日本がキューバに勝って世界一になりました。帰りの上野行きの普通列車では,余韻に浸りながらビールを飲んでいました。
旅を終えた後,改めて廃村と高度過疎集落,冬季無人集落の見直しを行ないました。リスト作成は3月末までに35都府県が落ち着くところまで進み,見出した「廃校廃村」659か所のうち,廃村は482か所,高度過疎集落は167か所,冬季無人集落は10か所となりました。

(追記1) 平成19年4月より,坂口慶治先生(京都教育大学)の論文にあわせて,「冬季無人集落は廃村に含む」に定義を変更しました。

(追記2) 平成19年7月現在,「廃校廃村」の分布は44都道府県(茨城県,千葉県,大阪府はゼロ),総数は1000か所(廃村720か所,高度過疎集落280か所)となりました。

(追記3) 平成20年5月,高度過疎集落の数を絞るため,その定義に「冬季分校所在地は3戸以下程度」というカッコ書きを加えました。その後,「廃村千選」リストは少しずつ煮詰まり,廃村の数は832か所となりました(平成29年1月現在)。



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