山梨・さまざまな表情の分校たち

山梨・さまざまな表情の分校たち 山梨県甲州市滑沢,山梨市柳平,
_____________甲斐市大明神


高度過疎集落 滑沢(なめさわ)の休校中の分校です(昭和49年より休校で,33年目(H.18))。



2006/9/24〜25 甲州市(旧塩山市)滑沢,山梨市(旧牧丘町)柳平,甲斐市(旧敷島町)大明神

# 12-1
「学校跡を有する廃村」リストの作成は,コツコツと国会図書館に通った成果が実を結んで,平成18年7月,新潟県を最後に全国一巡しました。この時点で見出すことができた「廃校廃村」は927か所となりました。1年前の予想数(500〜600か所)よりもはるかに大きい数です。
平成18年の目標,リスト作成の全国一巡は達成し,未訪の関東の「廃校廃村」は5か所(群馬県旧利根村平滝・倉見,神奈川県清川村札掛,山北町地蔵平(以上初訪),埼玉県旧大滝村小倉沢(再訪),当時)になりました。しかし,改めて考えると,これらは年内に廻らなければいけないわけではありません。
代わりに,新たに見つけた身近な「廃校廃村」として行きたくなったのが,山梨県(総数2か所,当時)旧塩山市滑沢,旧敷島町大明神です。

# 12-2
資料を調べたところ,滑沢(Namesawa)は明治40年の恩賜林への入植によりできた集落で,現戸数は2戸(H.18)です。昭和49年に休校になった滑沢の分校は33年目になった今も休校中。どんな感じの分校なのか,興味が湧きました。
大明神(Daimyoujin)は茅ヶ岳の南麓の戦後の開拓集落で,現在は別荘地になっている様子です。大明神の分校は昭和33年開校にもかかわらず,昭和46年発行の地形図には文マークはおろか集落も集落名も記されていません。この存在感のなさも興味の対象となりました。
滑沢,大明神とも,事前の地図の確認では分校の場所の特定ができませんでした。見つかるかどうかは,出たとこ勝負となりました。

# 12-3
滑沢と大明神の間には,柳平(Yanagidaira)という現戸数4戸(H.18)の戦後の開拓集落があり,柳平の分校は今も存続しています。
山梨市(旧牧丘町)柳平は,全国的にも分校を有する最小戸数集落に違いありません。また,柳平分校は存続校日本一の高さ(標高1496m)を誇ります。そして,柳平には「金峰山荘」という宿があり,宿泊するにはちょうどよさそうです。
近くの乙女高原や昇仙峡といった観光地も,足を運んだことはありません。クリスタルラインなど,静かな林道を走るのも楽しみです。いろいろ考えた末,山梨の廃村への旅は,金峰山荘へ1泊2日,keiko(妻)と2人,バイク2台のツーリングとなりました。

# 12-4
山梨ツインツーリングの出発は,9月24日(日)。天気は快晴で気温はほぼ平年並み。年休取得1日です。
南浦和出発は,朝9時少し過ぎ。「のんびりいきましょう」と高速には入らず所沢,飯能から正丸峠を越えて秩父市へ。R.140に入ってしばらくの旧荒川村秩父鉄道三峰口駅に到着したのは12時50分。駅前のそば屋で昼食をとるための寄り道だったのですが,駅にはちょうどSLが着いたところでした。keikoはSLを見たのは初めてとのこと。予想外の展開はわくわくして楽しいものです。
駅で調べたところ,このSL(パレオエクスプレス,C56型)は主に土日,熊谷から三峰口までの間を往復しているとのことでした。



# 12-5
三峰口から先,旧大滝村のR.140では旧道を選んで,駒ヶ滝トンネル前,栃本関所跡などで一服しながらののんびりした行程です。長い雁坂トンネルを越えて山梨県旧三富村に入り,上萩原から入った枝道にはダートが残っており,秘境の雰囲気が漂ってきました。
滑沢キャンプ場を過ぎて,標高970mの滑沢に到着したのは午後3時半頃。「滑沢にはうるさい番犬がいる」という情報を廃フリOFFで得ていたのですが,なるほど,予想通り4匹ほどのイヌに吠えられました。しかしそこはバイクの強味,走り抜けて事無きを得ました。
地形図に文マークがある沿いを探しましたが,それらしきものは見つかりません。しかたがないので番犬がいる家へと向かいました。

# 12-6
家に近づくと再びイヌたちに吠えられましたが,すぐに飼い主のおばあさんと出会うことができ,同時にイヌたちはおとなしくなりました。
「こんにちは」とおばあさんにご挨拶をして,分校の所在を尋ねると,さらに枝道に入って丸木橋を渡った場所にあるとのこと。
keikoとふたりで細い地道を上がって行くと,あやしい丸木橋の先の茂みに隠れるように建つ分校を見つけることができました。
松里小学校滑沢分校は,へき地等級2級,児童数16名(S.34),昭和49年より休校。おばあさんの家のほか人気のある家はなく,分校の周囲には年期が入った数戸の廃屋があるばかり。33年の空白を越えて,分校が復活する可能性は皆無のように見えました。


....


# 12-7
探索しているうちに先のおばあさんがやってきて,3人で分校の前に座り込んで話をすることになりました。滑沢に生まれ育ったおばあさん(雨宮さん)は84歳。お話によると,川沿いの分校は昭和34年に台風により倒壊し,今の分校は翌年(昭和35年)に建ったものとのこと。
木製の分校の門柱は腐って倒れて,橋は流されて電柱を倒した丸木橋になったとのこと。また,廃校にはなっていないため,年に一度は市の教育委員会関係の方が分校を訪ねられるとのこと。古びてはいるもののしっかりしているのは,管理されているからなのでしょう。
後日,教育委員会の方に存続の理由を尋ねたところ,「地区の人が集まる場所として,何かの用件で使うことを考えて」とのことでした。


# 12-8
陽が傾いた滑沢を後にして上萩原に戻ったときには,イヌたちには吠えられませんでした。R.140と分かれる旧牧丘町窪平から柳平までの県道(途中から杣口林道)は15kmで1000mも上がります。柳平到着はぎりぎり明るさが残る夕方5時40分。走行距離は170kmでした。
この日の「金峰山荘」の宿泊客は私たち二人だけ。柳平は9月上旬放映のNHK TV「鶴瓶の家族に乾杯」で取り上げられていて,宿のお母さんの顔はTVで見たままでした。 ログハウス調の登山・ハイキング向けの宿は広々として居心地よく,夕食のバーベキューも食べきれないぐらいのボリュームでしたが,標高1500mの高所の気温は低く,食事の後は9月にしてこたつに入って,焼酎のお湯割りを飲んでいました。

# 12-9
翌25日(月)の起床は朝6時半頃。まずは宿の対面にある分校を訪ねました。門は工事で閉ざされており,出入りは脇道からです。
牧丘第一小学校柳平分校はへき地等級3級,児童数9名(S.34),現へき地等級は4級,児童数1名(H.18)。昭和38年以降の児童数は多くて4名,ひとりになったことも10数回あるものの,休校は1年しかありませんでした。しかし,この日は月曜日にもかかわらず,分校には人気はありませんでした。
広く感じられるグランドの隅には鉄棒,ブランコに並んで「農魂碑」,「柳平開拓の唄」という石碑が立っていました。碑文を要約すると,柳平は満州からの引揚者によって昭和21年に開拓され,一時は12戸の暮らしがあったが,幾多の試練の末 4戸が定着したとのこと。

....


# 12-10
朝食の後,建設中(平成19年竣工予定)の琴川ダム(堤高 64m,貯水量 515万立方m)の建設工事の様子を見て,柳平を出発したのは午前9時20分。次の目的地大明神まではクリスタルラインなど山道を走るため,なかなかの距離があります。乙女高原の探索道も駐車場で一服しただけです。
途中に甲府市黒平(Kurobera)という山間の小集落があり,ジュースの自販機があったのでバイクを停めて買いに行くと,向こうから乳母車を押したおばあさんがやってきて,ご挨拶をすると「あの自販機はだいぶ前にこわれたぞ」と声がかかり苦笑い。滑沢,黒平のおばあさんとの会話は「鶴瓶の家族に乾杯」のようです。集落からしばらく走ると,学校跡らしき空き地があったので,再びバイクを停めました。

# 12-11
keikoは何で停まったかピンと来なかったようなので「学校跡やからやよ」と説明すると,「そんなん ようすぐにわかるね」との返事。
黒平小学校は,へき地等級3級,児童数57名(S.34),昭和53年閉校。建設会社のプレハブ小屋が建つ学校跡には,「想い出」と書かれた石碑と,朝礼台が残されていました。元生徒のkeikoがいるということもあり,朝礼台に上がって調子にのる私でした。
その後,野猿谷林道沿いの荒川ダムでも休憩をしたので,昇仙峡への寄り道はなしです。標高960m,県道沿いの別荘地 大明神に到着したのは11時頃。人気はないのでそのまま県道を先に進むと,偶然にも道沿い左側にそれらしき建物を見つけることができました。

....

# 12-12
清川小学校大明神分校はへき地等級2級,児童数13名(S.34),昭和51年休校(昭和62年閉校)。「大明神山避難所」と看板があがった建物は分校跡に違いないのですが,黒い屋根という色調のせいか診療所のようにも見えます。別荘地からは離れており,周囲に住居はありません。
分校の対面の枝道を入ると,往時の家を使った作業小屋が見つかり,近くには耕された畑とクルマがあったのですが,人気は感じられず,ブランコが空ろに揺れているばかりです。30分ほどの探索の間,大明神では誰にも会うことはありませんでした。
昭和35年の児童数が4名,昭和52年の住宅地図に記された家が3戸散在ということからも,往時の大明神の規模の小ささがわかります。


# 12-13
帰り道は茅ヶ岳広域農道,増富ラジウムライン,信州峠を越えて長野県川上村,三国峠を越えて埼玉県旧大滝村と,オフロードバイクらしい行程を選びました。三国峠から先,中津川林道は約20kmダートが続きたいへんでしたが,ダートが終わった後の舗装道は空を飛んでいるように爽快でした。南浦和到着は夜の10時,走行距離は260km(2日間で430km)。最後まで高速なしで通しました。
山梨ツーリングが終わり,これから先の「廃村と過疎の風景(3)」の目標は,リストの精度向上,残り5か所の関東の「廃校廃村」全箇所訪問に加えて,「山梨,長野,新潟,静岡,愛知各県の「廃校廃村」をできるだけたくさん訪ねる」(新潟82か所,その他35か所,当時)にしようと思い付きました。

(追記1) 平成18年10月,一巡後の見直しの結果,全国の「廃校廃村」の数は1000か所になりました(集落跡688か所,高度過疎集落296か所,冬季無人集落16か所)。その後は「1000か所」という数字にこだわり,「新たな廃村の発見にあわせて,比較的戸数が多い高度過疎集落を外す」形でリストを更新しています。

(追記2) 平成19年3月,柳平分校は休校となりました。このため平成20年6月,柳平を「学校跡を有する廃村」リストに加えました。

(追記3) 平成24年3月,滑沢分校は38年の休校期間を経て,閉校となりました。同時期に木造校舎は取り壊されました。



「廃村と過疎の風景(3)」ホーム
inserted by FC2 system