斑尾高原・「熱中時間」で雪中廃村初詣

斑尾高原・「熱中時間」で雪中廃村初詣 長野県飯山市沓津


廃村 沓津(くっつ)に建つ,雪に埋もれた離村記念碑です。



2008/1/4 飯山市沓津

# 24-1
平成19年11月下旬,TV製作会社のプロデューサー(能登屋さん)から「廃村めぐりについて,お話しを伺いたい」というメールがありました。二度ほどのやり取りの結果,NHK-BSの「熱中時間〜忙中“趣味”あり〜」という番組に「廃村めぐり熱中人」として出演することが決まりました。
「熱中時間」は「ひとつの事にこだわる趣味人をドキュメント紹介する番組」で,私も何度か見たことがあってなじみがあり,取り上げていただくにはとても嬉しい番組です。ただ問題はロケのメインが1月,オンエアが2月上旬というスケジュールです。冬は廃村探索には,良い季節とはいえません。
「廃村めぐり熱中人」ドキュメントの時間は25分。現地ロケも5か所ほど考えているとのことで,本腰を入れて取り組まなければなりません。

# 24-2
能登屋さんとディレクター(鹿島さん)と一緒に検討をした結果,まず行くことになったのは,東京・埼玉から電車で気軽に行ける東京都奥多摩町の峰(Mine)です。峰には12月24日(月祝),スタッフに廃村になじんでもらうことを兼ねて,妻(keiko)とともに出かけました。
スタッフは鹿島さん,カメラの方,音声の方,アシスタントの計4名。JR鳩ノ巣駅で合流して,皆で歩いた山道では電柱跡の切り株が目立ちました。
私は峰は6回目ですが,keikoは初めて,スタッフは廃村そのものが初めてです。わずかな遺物が残された敷地,日天神社,倒壊した廃屋,福島文長の屋敷跡,倒壊寸前のタイムマシンの廃屋などを案内するように回りましたが,その中で,日天神社のイチョウの黄色の枯葉は印象に残りました。




# 24-3
次に出かけることになったのは,長野県飯山市の沓津(Kuttsu)です。能登屋さん,鹿島さんからは「浅原さんがまだ足を運んでいない廃村」ということで,小谷村戸土,塩尻市(旧楢川村)桑崎などが候補に挙がったのですが,なじみのない廃村に単独で積雪時に出かけるというのは無謀です。
旅の実行は年始めの平成20年1月4日(金)で日帰り。南浦和出発は日の出すぐの朝7時15分。長野新幹線とバスを乗り継ぎ,JR飯山駅前でスタッフと合流したのは午前10時頃。天気は曇り時々雪。まず,飯山市内の沓津出身の方の家に立ち寄り,「行けないことはない」ことを確かめました。除雪されている区間を確かめた結果,頭に浮かべていた清川沿いの道はあきらめ,堂平(Doudaira)経由の道を選ぶことになりました。


# 24-4
堂平から沓津までの道のり(約2km)はなじみのある車道です。堂平出発は午後12時半頃。私はカンジキを履いて,スタッフはその足跡をたどる形で歩きました。「歩いていればやがて着くよ」と気楽に歩き始めたのですが,雪は予想よりも深く(50cm前後),沓津入口の三差路付近では雪崩が起こっている箇所があり,「大丈夫かなあ」という雰囲気が漂い始めました。鹿島さんからは「あとどのぐらいですか」という声がかかりました。
上り坂を進むと雪は少しずつ深くなり,養魚場跡に着くまで長く感じられました。さらに汗ばみながら歩くと,分校跡の建物が視野に入りました。堂平から約1時間半,重い機材と一緒に歩かれたスタッフの方はたいへんだったと思いますが,皆で無事に到着できたということで,喜びもひとしおです。


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# 24-5
沓津は標高660mの緩斜面。山の上は斑尾高原のスキー場で賑わっています。秋津小学校沓津分校は,へき地等級2級,児童数17名(S.34),昭和47年閉校(解村と同時期)。沓津に何度も通うのは,無人になって36年経過し今もしっかり建っている分校跡の建物を見たくなるからに違いありません。
スタッフと分かれて分校脇から一段上に登り,見渡した集落跡はすっかり雪に埋もれています。往時からの家屋の萱葺き屋根も雪でまっ白です。
再びスタッフと合流して,一緒に訪ねたのは沓津神社です。急な坂を登ってくぐった鳥居の綱には飾りが施されていて,地域の方が新年にお参りに来られた様子が伺えました。私は三が日,浦和近辺で神社には行かずに過ごしていたので,これが初詣となりました。


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# 24-6
「村に無縁の者ですが,見させてください」と,神社の祠やお地蔵さんに手を合わせてご挨拶することは,廃村の定義(調べ方)を明確にすることとともに,「熱中時間」のロケでこだわったポイントです。このご挨拶は「秋田・消えた村の記録」の佐藤晃之輔さんから直に教えていただいたもので,スタッフに話をすると,今の形の廃村めぐりを始めた頃(平成11年〜12年),佐藤さんと一緒に秋田県の廃村をめぐったことを思い出しました。
スタッフが拝殿の風景撮影をしている間,「拝殿の裏にはご本尊が奉られているのかも」と思い回り込んでみると,その通り,ご本尊が待っていました。沓津を訪ねること8回目にして初めて見つけたご本尊が奉られた建物の屋根の裏は,銅が錆びたような緑色をしていました。

# 24-7
カンジキは神社の境内で外したのですが,5人の足跡で踏まれた雪は,カンジキなしで歩いても問題ないほど固められていました。
はさ掛け(稲穂干し)の柵や,錆びた火の見やぐらを眼にしながら,雪に埋もれた離村記念碑を見に行きました。碑(昭和59年建立)碑の表面には,神社の宮司の名前が刻まれています。沓津神社で春と秋の例祭が続けられていていることを考えても,宮司の存在の大きさが感じられます。
「碑」の字を隠していた雪を払った私の姿をスタッフは丹念に撮影し,碑がたたずむ風景を撮るスタッフの姿を少し離れた位置から私はカメラに収めました。スタッフの仕事ぶりは番組作りに打ち込む職人肌のもので,私が「番組作り熱中人」というと,皆大笑いしていました。


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# 24-8
集落跡を一周し,再び分校跡に戻って撮影の〆。鹿島さんの「浅原さんは今回廃村(沓津)を巡って何を感じらましたか」との問いに,私は「時の流れが短く感じられる」と答えました。沓津分校が閉校となった年(昭和46年度),私は小学3年生(9歳)。それから36年経ち,無人の村に建ち続ける分校跡の姿に,ひととき私は田舎ののどかさが好きだった小学生の頃を思い出したようです。それは連続する日常の生活の中では感じられないことです。
深い雪に埋もれた廃村は,「ひととき日常生活から離れること」を楽しむ旅としてはいちばんの場所かも知れません。「雪に閉ざされると不便さがよくわかるなあ…」と思いながら,分校跡の建物を見上げていると,窓枠の上側に銅が錆びたような緑色の部分があることに気付きました。


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# 24-9
沓津ロケの所要時間は2時間強。「明るいうちに戻らねば」と急ぎ足で来た道をたどり,堂平に到着したのは夕方5時。しかし,ロケバスのタイヤが雪で空回りして進めなくなるというハプニングがあり,しばし立ち往生することになりました。堂平の戸数は2戸(H.19)とありますが,家々に人気はなく,堂平も冬季無人集落になった様子です。斑尾高原リゾートの明かりがほのかに届く堂平の夜景は,記憶に刻まれるものでした。
最寄りのペンションで飯山在住の方に伺った話では「みんな冬はスタッドレスで4WDに乗るから,チェーンはほとんど使わない」とのこと。
帰り道はロケバスに便乗し,豊田飯山ICから上信越道に乗り,関越道,外環道経由,JR東浦和駅で解散したのは,終電が出た直後の午前0時半頃でした。



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