列島横断 廃校廃村をめぐる旅(5)

列島横断 廃校廃村をめぐる旅(5) 長野県箕輪町長岡新田,塩尻市桑崎


廃村 桑崎(くわさき)に残る冬季分校跡の建物です。



2008/6/2 箕輪町長岡新田,塩尻市(旧楢川村)桑崎

# 30-1
「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」の第二陣,2日目の宿,奈良井宿の民宿には,前日夜に予約の電話を入れました。荊口から奈良井までは途中2か所の廃村,信州唯一のダム関係の廃校廃村 箕輪町長岡新田(Nagaokashinden),木曽唯一の廃校廃村 旧楢川村桑崎(Kuwasaki)を経由しても70kmほどです。
旅2日目(6月2日(月))の起床は朝5時頃。天気は曇り。早朝の廃村へ行く元気があったので,荊口から4kmほどの芝平(Shibira)に向かいました。
一度分校跡がある大下まで行って,南に戻る道を右手に上がって行った山の中腹が今回の目標,初めて立ち寄る下芝平です。荒れた舗装道を走り,三差路の左手にある「大島屋」という企業の保養所風の建物の近くにバイクを停めて探索開始です。

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# 30-2
三差路の手前には伊那では定番の庚申塔と並んで道祖神,二十三夜塔があり,大島屋の対面には,古びた廃屋があります。あたりは時折鳥の鳴き声が聞こえるぐらいの静寂さです。三差路の右手の道を上って行くと,そばにグラスが置かれた流水があり,脇には分校の児童用風の椅子がありました。
三差路の左手の道を下って行くと,「わらび荘」と標札がある廃屋がありました。覗いてみると,別荘跡の様子です。
下芝平で見かけた家屋は,廃屋を含めて20戸ほど。クルマが停まっている家屋もあるのですが,どこか普通の過疎の村と違うのは,集団移住で無人化した歴史が醸し出すものなのでしょうか。下芝平では小1時間探索しましたが,地域の方の姿は見かけませんでした。

# 30-3
「御宿 分校館」に戻って朝食をとり,「天気はどうかな」とTVを見ると,信州の降水確率は90%で午後のほうが悪くなるとのこと。しかも「関東・甲信越地方は梅雨入り」という,とても嫌な知らせが続きました。昨夜の時点では,思いもしなかった展開です。
「これはまずい…」と,keikoと作戦会議をした結果,宿は早めに出発して,長岡新田と桑崎には足を運んで,奈良井泊はキャンセルして桑崎からまっすぐ塩尻に向かい,夜は埼玉まで帰ってしまおうとなりました。1泊2日はこのツーリングのイメージではなく,頭の切り替えがたいへんです。
奈良井宿の民宿の方には悪いことをしてしまいました。いつか改めて泊まりに行くので,許してくださいまし。

# 30-4
昨年に引き続き宿主さん(東さん)に記念写真を撮ってもらい,分校館を出発したのは朝8時45分。高遠市街を通過して,伊那市街には立ち寄らず,最短距離で長岡新田を目指しました。長岡新田は,箕輪ダム(平成4年竣工,堤高72m,貯水量 950万立方m)に沈んだ廃村で,往時の痕跡は期待できません。
手前の集落 長岡から箕輪ダムまでは4km,あたりは公園として整備されている様子です。長岡新田,箕輪ダム(標高820m)に到着したのは9時40分,広い駐車場には人影はありません。もみじ湖というダム湖の名前からすると,紅葉の頃は賑わうのかもしれません。
箕輪東小学校長岡新田分校はへき地等級無級,児童数22名(S.34),昭和40年閉校。分校はダム湖の中,川の合流点近くにあった様子です。


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# 30-5
「ダム湖畔を走ったら,離村記念碑があるかな」と思い,少し先に進むと,巨大な庚申塔が目に入りました。バイクを停めて右隣の由来碑を見ると,「庚申塔は昭和55年に作られたもので,平成3年,ダム建設に伴い移転した」との旨が記されていました。
箕輪ダムの建設着手は昭和49年,長岡新田の方々は,後世に村があったことを伝えることを意識して,巨大な庚申塔を作られたに違いありません。
碑の対面(山側)には,小さな神社が奉られていたのでご挨拶。階段を上ってダム湖を見下ろすと,見晴らしのよい綺麗な風景が広がっていました。25分ほどの箕輪ダムでの探索では,誰にも出会いませんでしたが,印象深い庚申塔に出会えて満足できました。


# 30-6
続く目標は旧楢川村桑崎です。1月の「熱中時間」ロケのとき,「行くことになるかも」と詳しく調べ物をしていたので,楽しみもひとしおです。箕輪ダムから桑崎は,辰野を通って牛首峠を越える道で約27km。県道から分岐する桑崎林道はダートでしたが,バイクにはちょうどよいぐらいでした。
桑崎(標高1050m)に到着したのは午前11時。左手に人気がある作業小屋があったので,その近くにバイクを停めておじさんにご挨拶。おじさん(長島さん)は桑崎出身の方で,山仕事をするため時折訪ねられるとのこと。分校跡についてお話を伺うと,「少し先に行けば見えてくる」とのこと。地図を見たらその距離は500mほどだったので,分校には二人で歩いて行くことになりました。



# 30-7
道沿いには「民宿ふるはた」とペンキで書かれた廃屋がありましたが,「廃村に民宿があった」というのはピンと来ません。「太宰府天神天満宮」という札がある小さな祠や養蜂の作業小屋を目にしながら,ゆるい坂道をゆっくり歩くと,分校跡の赤い屋根が目に入りました。
林道から森へ入る感じで分校跡に近づくと,途中ブロック造りのサイロの廃墟がありました。森の中に牧場があったというのもピンとこない話です。
贄川小学校桑崎冬季分校はへき地等級2級,児童数16名(S.34),昭和42年閉校。桑崎の閉村は翌昭和43年。森に埋もれそうな校舎の前には焚き火の跡があり,野外活動の施設として活用されている様子です。窓越しに中を見ると,時々使われているらしい雰囲気がありました。


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# 30-8
来た道を戻って,おじさんに「行ってきました」とご挨拶。気になった民宿について尋ねると,桑崎出身の方が離村の後,仕事の定年後に公民館として使われていた建物を改造したもので,10数年前に閉ざされたとのこと。また,サイロは戦後の一時期に酪農が振興されたときのなごりとのこと。
作業小屋の前にはスギが植えられた畑の跡があり,おじさんの「スギは畑の持ち主が自主的に植えたんだ」というお話に,keikoは「行政の声によるものではなかったんですね」と感心した様子でした。廃村では「往時がタイムカプセルのように残されている」と思えることもありますが,その姿は確実に変化しています。今は森となっているサイロの周囲も,使われていた頃は草原だったのかもしれません。

# 30-9
おじさんにお礼をいって,桑崎を出発したのは12時過ぎ。県道から中山道(R.19)に出る三差路で,左に行けば奈良井宿,右に行けば塩尻・東京方面。右の道を選ぶことで,木曽にはわずかしか行けなかったのは少々残念です。昼食は塩尻市街,R.19とR.20の交差点近くのファミレスを選びました。
雨に降られないことを祈りつつも,諏訪湖では天竜川の水源(釜口水門)に寄ったり,湖岸の道を選んだりしてツーリングを楽しみました。
高速道は小渕沢ICから一宮御坂ICだけで済まし,柳沢峠越えのR.411で奥多摩,青梅を経由して,南浦和へ帰り着いたのは夜9時40分(走行距離は325km)。幸い雨には一度も降られないで走れましたが,日差しのない山深い道は肌寒く,茅野を過ぎたあたりから,二人ともずっとカッパを着ていました。



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