「廃村千選」 〜 茨城県

「廃村千選」 〜 茨城県



茨城県高萩市の1戸が残る廃村 柳沢(やなぎさわ)の神社です(平成20年11月)。




・編者が確認した茨城県の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は1か所です(廃村1か所)。

・茨城県(旧国名は常陸,下総(北下総))の人口は約2873万人(R.2)。平野が多く,県北部の八溝山地の山間には小規模な廃村が点在していますが,「廃校廃村」は県南部の1か所です。
・編者が見出して訪ねた廃村(1戸残る)は,高萩市柳沢です。最寄りの小学校(下君田小学校)から8km入った山間にありますが,往時から分校は置かれず,児童は歩いて通学したとのことです。
・茨城県の代表的な鉱山として日立市の日立銅山がありますが,鉱山関係の廃校廃村は見当たりません。なお,日立銅山は,足尾銅山,別子銅山とともに,日本三大銅山と呼ばれます。

・茨城県には1か所だけへき地4級地(県内最高級)がありました(北茨城市小川)。へき地3級地はゼロなので,小川のへき地度は茨城県において突出しています。小川の学校(関本第三小学校小川分校,のち小川小学校)は昭和59年に閉校となりましたが,小川は10戸超の集落として存続しています。
・茨城県内最大規模のダムは高萩市の小山ダムですが,ダム関係の廃校廃村は見当たりません。
・「村影弥太郎の集落紀行」Webによると,大子町の八溝山麓には営林事業集落があり,学校もあった(上野宮小学校八溝分校)とのことですが,昭和31年閉校のため,ここでは取り上げていません。
・平成30年5月,村影さんからの情報により,神栖市深芝浜が廃校廃村に該当することがわかりました。深芝浜は鹿島灘に面する畑作を主とする農漁村でしたが,鹿島工業開発により昭和44年に離村。現在,集落跡は工業地域になっています。

  集落名 学校名 自治体名 へき地
等級
児童数 閉校年 (特記)
産業・離村時期

◆1
(Fukashibahama)
深芝浜
息栖小学校深芝浜分校 (神栖市)
鹿島郡神栖村
無級 260名 昭和44年 (鹿島工業開発)
農漁村・S.44年離村

(注1) 「廃村千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」約1100か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。

(注3) 市町村名は,平成13年4月現在(平成の大合併直前)です。

(注4) ◎は編者が訪ねたことがある廃校廃村,◆は冊子「廃村千選I」作成後(平成22年5月以降)にリストに追加した廃校廃村です。

(注5) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成31年4月現在です。

(注6) 集落名(読み)へのリンクは「村影弥太郎の集落紀行」Web(管理者村影弥太郎さん)の力添えをいただいています。

(注7) 令和元年以降に生じた廃村は,原則追求していません。

(注8) お気付きの点があればお知らせいだけると幸いです。



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