「廃村千選」 〜 滋賀県

「廃村千選」 〜 滋賀県



滋賀県多賀町(旧脇ヶ畑村)の冬季無人集落 保月(ほうづき)のお寺と村役場兼郵便局跡です(平成12年7月)。




・編者が確認した滋賀県の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は15か所です(廃村15か所)。

・滋賀県(旧国名は近江)の人口は約141万人(R.2)。県の中央に琵琶湖があるため,湖南,湖東,湖北,湖西という地域区分があります。「廃校廃村」は主に湖東,湖北の山間に点在しています。
・滋賀県には,旧脇ヶ畑村という「自治体規模の廃村」があります。旧脇ヶ畑村を含む多賀町には多くの廃村・過疎集落があり,うち,廃校廃村は3か所(保月・屏風・霊仙落合)です。
・木之本町土倉は,関西唯一の鉱山関係の廃校廃村です(土倉鉱山の主要鉱物は銅,昭和40年閉山)。関西2府4県には廃校廃村が41か所ありますが,土倉を除く40か所はすべて農山村です。

・滋賀県にはへき地5級地が3か所あります(永源寺町茨川,朽木村中牧・平良)が,このうち茨川は廃村です。中牧の朽木西小学校はへき地3級校として今も存続しています(H.22)。
・滋賀県には15校の冬季分校がありました。木之本町土倉,余呉町鷲見・半明は冬季分校関係の廃校廃村です(3集落)。杉野小学校土倉冬季分校は,全国の冬季分校の中でも最大級の規模です(児童数82名(S.34))。
・ダム関係の廃校廃村として,大津市大鳥居=大戸川ダム,永源寺町九居瀬=永源寺ダム,余呉町小原・鷲見・半明=丹生ダム(未竣工)があります(5集落,3ダム)。
・滋賀県で最も歴史が古い廃村の学校は,永源寺町政所小学校茨川分校で,明治8年開校,昭和40年閉校,開校期間は62年(閉校期間有)です。

  集落名 学校名 自治体名 へき地
等級
児童数 閉校年 (特記)
産業・離村時期

1
(Kuize)
九居瀬
山上小学校九居瀬分校 (東近江市)
神崎郡永源寺町
1級 23名  
昭和39年*
(永源寺ダム)
農山村・S.39年

2
(Ibarakawa)
茨川
政所小学校茨川分校 (東近江市)
神崎郡永源寺町
5級 6名 昭和40年* 農山村・S.40年

3
(Oohagi)
大萩
愛東北小学校大萩分校 (東近江市)
愛知郡愛東村
3級 45名 昭和50年 農山村・S.50年

4
(Houduki)
保月
脇ヶ畑小学校 犬上郡多賀町 3級 43名 (H. 5)
昭和44年
農山村・S.51年

5
(Byoubu)
屏風
(芹谷分校)
多賀小学校後谷分校
犬上郡多賀町 1級 122名 平成5年 (S.38 文 後谷より)
農山村・H.8年頃+

6
(Ryouzenochiai)
霊仙落合
多賀小学校霊仙分校 犬上郡多賀町 2級 33名 (H. 5)
昭和60年
農山村・H.7年頃

7
(Buna)
武奈
鳥居本小学校武奈分校 彦根市 2級 6名 (H. 2)
昭和50年
農山村・S.53年頃+

8
(Tsuchikura)
土倉
杉野小学校土倉冬季分校 (長浜市)
伊香郡木之本町
1級 82名 昭和40年 (土倉鉱山・銅)
鉱山・S.40年

9
(Ohara)
小原
丹生小学校小原分校 (長浜市)
伊香郡余呉村
3級 39名 (H. 8)
昭和54年
(丹生ダム)
農山村・H.7年

10
(Okukounami)
奥川並
丹生小学校奥川並分校 (長浜市)
伊香郡余呉村
4級 13名 (S.50)
昭和44年*
農山村・S.44年

11
(Washimi)
鷲見
(鷲見分校)
丹生小学校鷲見冬季分校
(長浜市)
伊香郡余呉村
3級 13名 (S.54)
昭和49年
(丹生ダム)
農山村・H.7年

12
(Obanashi)
尾羽梨
丹生小学校尾羽梨分校 (長浜市)
伊香郡余呉村
4級 31名 昭和47年 農山村・S.46年

13
(Hanmyou)
半明
中河内小学校半明冬季分校 (長浜市)
伊香郡余呉村
3級 5名 昭和35年* (丹生ダム)
農山村・H.7年

◆14
(Kitaumi)
北生見
今津西小学校北生見分校 (高島市)
高島郡今津町
無級 14名 昭和36年 (饗庭野演習場)
農山村・H.4年

◆15
(Oodorii)
大鳥居
上田上小学校大鳥居分校 (大津市)
栗太郡瀬田町
無級 30名 昭和41年 (大戸川ダム)
農山村・H.9年



保月の村役場兼郵便局跡は,平成12年10月頃,取り壊されました。




(注1) 「廃村千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」1128か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 「廃村千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落(番号欄*印付き)です。

(注3) 「廃村千選」における学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注4) ◎は編者が訪ねたことがある廃校廃村,◆は冊子「廃村千選II」作成後(平成23年5月以降)にリストに追加した廃校廃村です。

(注5) ☆は中学校が集落内にあった廃校廃村です(併設校,分校,冬季分校を含む。昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注6) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。屏風の児童数は昭和38年4月現在です。( )書きは閉校当時の名称です。

(注7) 閉校年は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。再開されなかった休校は閉校と同一に扱っています。( )書きは休校を経た閉校年です。また,*印付きの閉校年は年度途中(4〜12月)の閉校です。

(注8) 離村時期欄,xx年は,文献等に記された閉村年です。xx年頃は,小学校閉校年,住宅地図等により推定した閉村年です。末尾+印は「離村年=閉校年+3年」,末尾*印は「離村年=閉校年+10年」の経験則を適用しています。

(注9) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成31年4月現在です。

(注10) 集落名(読み)へのリンクは「村影弥太郎の集落紀行」Web(管理者村影弥太郎さん)の力添えをいただいています。

(注11) 令和元年以降に生じた廃村は,原則追求していません。

(注12) お気付きの点があればお知らせいだけると幸いです。



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