「廃村千選」 〜 広島県
「廃村千選」 〜 広島県
広島市安佐北区の廃村 高山(たかやま)の学校跡です(平成19年11月)。
※ 画像は 島根県のおきのくにさんより提供いただきました。
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・編者が確認した広島県の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は10か所です(廃村10か所)。
・広島県は備後,安芸の2旧国に分かれ,人口は約280万人(R.2)。「廃校廃村」の所在は,備後に6か所,安芸に4か所です。
・最大規模の廃校廃村は新市町(旧藤尾村)藤尾堂前です。旧藤尾村は昭和34年に新市町と三和町に分割編入され,昭和25年に1,283名(三和町編入部を含む)だった人口は,41名(H.24,新市町編入部のみ)に激減しています。
・戦後開拓集落の廃村は本郷町用倉など3集落です。用倉は戦後の開拓集落で,広島空港(平成5年開港)の建設とともに廃村となりました。
・広島県には,かつてたたら製鉄の流れをくむ鉄山関連の集落がありましたが,鉱山関係の「廃校廃村」は見当たりません。
・広島県内には離島のへき地4級校が2つありました(福山市宇治島,倉橋町横島,ともに戦後の開拓集落)が,ともに廃村となりました。
・広島県(備後の山間部)には5校の冬季分校がありましたが,冬季分校関係の廃村は見当たりません。
・ダム関係の「廃校廃村」として甲山町八田原=八田原ダム,三良坂町棗原=灰塚ダムがあります(2集落,2ダム)。なお,学校があった芸北町樽床=樽床ダムは昭和34年以前の廃村のため,ここでは取り上げていません。
・広島県で最も歴史が古い廃村の学校は,三良坂町の灰塚小学校で,明治6年開校,平成7年移転閉校,開校期間は122年です。
※ 「廃村千選」 〜 広島県 = 10か所('06年6月10日作成,'24年2月4日更新)
※ へき地学校の数 = 101校
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集落名 |
学校名 |
自治体名 |
へき地 等級 |
児童数 |
閉校年 |
(特記) 産業・離村時期 |
◎ 1 |
(Ujishima)☆ 宇治島 |
走島小学校宇治島分校 |
福山市 |
4級 |
7名 |
昭和37年 |
(走島群島) 開拓・S.38年 |
◎ 2 |
(Hattabara) 八田原 |
伊尾小学校八田原分校 |
(世羅町) 世羅郡甲山町 |
1級 |
11名 |
昭和39年 |
(八田原ダム) 農山村・S.57年 |
◎ 3 |
(Youkura) 用倉 |
北方小学校用倉分校 |
(三原市) 豊田郡本郷町 |
2級 |
35名 |
昭和50年 |
(広島空港) 開拓・S.62年 |
4 |
(Yokoshima)☆ 横島 |
倉橋小学校横島分校 |
(呉市) 安芸郡倉橋町 |
4級 |
6名 |
(S.42) 昭和40年 |
(安芸群島) 開拓・S.45年 |
◎ 5 |
(Takayama) 高山 |
(宇賀小学校高山分校) 高原小学校 |
(広島市安佐北区) 安佐郡安佐町 |
2級 |
22名 |
昭和44年 |
農山村・S.63年頃 |
◎ ◆6 |
(Fujio-dounomae)☆ 藤尾堂前 |
藤尾小学校 |
(福山市) 芦品郡藤尾村 |
1級 |
130名 |
(H.12) 昭和53年 |
農山村・S.56年頃 |
◎ ◆7 |
(Norosan-kawajiri) 野呂山川尻 |
川尻小学校野呂分校 |
(呉市) 豊田郡川尻町 |
2級 |
20名 |
昭和45年 |
開拓・H.12年頃 |
◎ ◆8 |
(Natsumebara) 棗原 |
灰塚小学校 |
(三次市) 双三郡三良坂町 |
無級 |
148名 |
平成 7年 |
(灰塚ダム) 農山村・H. 7年 |
◎ ◆9 |
(Kiya-kawai) 木屋川井 |
田総小学校木屋分校 |
(庄原市) 甲奴郡総領町 |
無級 |
17名 |
昭和45年 |
(灰塚ダム) 農山村・H. 7年 |
◆10 |
(Ueno) 上野 |
(加茂小学校上野教場) 上野小学校 |
(福山市) 深安郡加茂町 |
無級 |
68名 |
昭和36年 |
農山村・S.49年 |
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(注1) 「廃村千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」1128か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。
(注2) 「廃村千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落(番号欄*印付き)です。
(注3) 「廃村千選」における学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。
(注4) ◎は編者が訪ねたことがある廃校廃村です。◆は冊子「廃村千選II」作成後(平成23年5月以降)にリストに追加した廃校廃村です。
(注5) ☆は中学校が集落内にあった廃校廃村です(併設校,分校を含む。昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。
(注6) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。( )書きは閉校当時の名称です。
(注7) 閉校年は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。再開されなかった休校は閉校と同一に扱っています。( )書きは休校を経た閉校年です。
(注8) 離村時期欄,xx年は,文献等に記された閉村年です。xx年頃は,小学校閉校年,住宅地図等により推定した閉村年です。末尾+印は「離村年=閉校年+3年」,末尾*印は「離村年=閉校年+10年」の経験則を適用しています。
(注9) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成31年4月現在です。
(注10) 集落名(読み)へのリンクは「村影弥太郎の集落紀行」Web(管理者村影弥太郎さん)の,自治体名へのリンクはmixi(会員制)の日記等 おきのくにさんの力添えをいただいています。
(注11) 令和元年以降に生じた廃村は,原則追求していません。
(注12) お気付きの点があればお知らせいだけると幸いです。
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