「廃村千選」 〜 長崎県

「廃村千選」 〜 長崎県



長崎県小値賀町(野崎島)の廃村 野首(のくび)の天主堂跡です(平成12年8月)。




・編者が確認した長崎県の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は13か所です(廃村11か所,高度過疎集落2か所)。

・長崎県のの人口は113万人(R.2)。「廃校廃村」の地域別の数は,本土部1か所,本土部の離島3か所,五島9か所です(壱岐,対馬に廃校廃村は見当たりません)。 ・長崎県には離島が多く,離島の廃校廃村(炭鉱関係を除く)は計10か所で,全国一の数です(日本全国数は34か所)。
・最大規模の「廃校廃村」は高島町端島です。端島は「軍艦島」という異名をもつ炭鉱(高島炭鉱端島鉱)の島として発展しましたが,昭和49年に閉山となり,同時に無住となりました。
・崎戸町崎戸炭鉱(菅峰)の昭和小学校は全国の「廃校廃村」の学校において,最大の児童数(S.34)を誇ります。崎戸炭鉱は,昭和43年閉山。鉱山跡地には,小学校跡をはじめいくつかの遺構が残されています。
・大村湾内の離島,大村市箕島は,長崎空港(昭和50年開港)の建設に伴ない廃村となりました。

・長崎県(五島,壱岐,対馬)の離島のへき地5級校は26校にも及びます。うち,岐宿町姫島,奈留町葛島,小値賀町野崎島(野首・舟森)・藪路木島は廃村になりましたが,その他は過疎集落として健在で,特に対馬の過疎集落の学校の多くは存続しています。
・長崎県の本土部の最高のへき地等級は2級で,ともに戦後の開拓集落です(大瀬戸町幸物開拓・古田開拓)。このうち古田開拓は廃村です。
・長崎県最大規模のダムは大村市の萱瀬ダムです。
・長崎県で最も歴史が古い廃村の学校は,小値賀町小値賀小学校野崎分校で,明治8年開校,昭和60年閉校,開校期間は110年です。

  集落名 学校名 自治体名 へき地
等級
児童数 閉校年 (特記)
産業・離村時期

1
(Mishima)
箕島
(大村小学校箕島分校)
西大村小学校箕島分校
大村市 2級 22名 昭和47年 (長崎空港)
(箕島)
離島・S.47年

2
(Hashima)☆
端島
端島小学校 (長崎市)
西彼杵郡高島町
無級 834名 昭和49年 (端島鉱)
(端島・軍艦島)
炭鉱・S.49年

3
(Furuta-kaitaku)
古田開拓
雪浦小学校開拓分校 (西海市)
西彼杵郡大瀬戸町
2級 43名 昭和51年 開拓・H. 2年頃

*4
(Sakito-tankou)
崎戸炭鉱(菅峰)
昭和小学校 (西海市)
西彼杵郡崎戸町
無級 2720名 昭和43年 (崎戸炭鉱・蠣之浦島)
炭鉱・−

5
(Nokubi)
野首
小値賀小学校野崎分校 北松浦郡小値賀町 5級 100名 昭和60年 (平戸諸島・野崎島)
(S.35 文 野崎より)
離島・S.46年

6
(Funamori)
舟森
小値賀小学校舟森分校 北松浦郡小値賀町 5級 30名 昭和35年 (平戸諸島・野崎島)
離島・S.41年

7
(Yaburokishima)
藪路木島
小値賀小学校藪路木分校 北松浦郡小値賀町 5級 31名 昭和46年 (平戸諸島・藪路木島)
離島・S.47年
8 (Orishima)
折島
浜ノ浦小学校折島分校 (新上五島町)
南松浦郡上五島町
4級 44名 昭和41年 (五島列島・折島)
(折島石油備蓄基地)
離島・S.51年

9
(Kazurashima)
葛島
(船廻小学校葛島分校)
奈留小学校葛島分校
(五島市)
南松浦郡奈留町
5級 54名 昭和48年 (五島列島・葛島)
離島・S.48年
*10 (Handomari)
半泊
戸岐小学校半泊分校 (五島市)
福江市
4級 39名 (H.18)
平成 4年
(五島列島・福江島)
離島・−
11 (Himeshima)
姫島
岐宿小学校姫島分校 (五島市)
南松浦郡岐宿町
5級 12名 昭和40年 (五島列島・姫島)
離島・S.40年
◆12 (Mushima)☆
六島
小値賀小学校六島分校 北松浦郡小値賀町 5級 56名 (H.29)
平成11年
(平戸諸島・六島)
離島・H.29年頃※
◆13 (Kuroshima)☆
黒島
富江小学校黒島分校 (五島市)
南松浦郡冨江町
3級 41名 (H.10)
昭和54年
(五島列島・黒島)
離島・H.26年頃※



野首天主堂跡の周囲には,屋敷跡,棚田跡が広がっていました。




(注1) 「廃村千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」約1100か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 「廃村千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落(番号欄*印付き)です。

(注3) 「廃村千選」における学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注4) ◎は編者が訪ねたことがある廃校廃村です。なお,平成24年に下記集落名を修正しました。
   ・菅峰 → 崎戸鉱山

(注5) ☆は中学校が集落内にあった廃校廃村です(併設校,分校を含む。昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注6) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。( )書きは閉校当時の名称です。

(注7) 閉校年は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。再開されなかった休校は閉校と同一に扱っています。( )書きは休校を経た閉校年です。また,*印付きの閉校年は年度途中(4〜12月)の閉校です。

(注8) 離村時期欄,xx年は,文献等に記された閉村年です。xx年頃は,小学校閉校年,住宅地図等により推定した閉村年です。末尾※印は平成20年以降の離村です。

(注9) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成31年4月現在です。

(注10) 集落名(読み)へのリンクは「村影弥太郎の集落紀行」Web(管理者村影弥太郎さん)の力添えをいただいています。

(注11) 令和元年以降に生じた廃村は,原則追求していません。

(注12) お気付きの点があればお知らせいだけると幸いです。



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