「廃村 千選」 〜 学校跡を有する廃村・高度過疎集落



東京都八丈町(八丈小島)の廃村 宇津木(うつき)の小中学校跡です(平成16年9月)。




編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は 1050か所です(廃村900か所,高度過疎集落150か所,以下「廃村 千選」と略す)。

「廃村 千選」は,全国の廃村の様子をより客観的に見ることを主眼しています。公的な施設である学校は,規模やへき地等級,閉校年などのデータがあるため,廃村の様子を調べるための拠り所となります。
「廃村 千選」は,都道府県別の分類(北海道は4分割)を基本としています。あわせて農山村,戦後の開拓集落,鉱山集落,営林集落,炭鉱集落,離島(離島の農村+離島の漁村)という産業別,冬季分校関係,ダム関係,へき地5級地というテーマ別の分類も併記しています。

廃村を目指した旅が,里山歩きのように一般的なものになれば嬉しく思うところですが,同時に地域の方に迷惑をかける機会が生じる心配も感じます。
廃村を訪ねるとき,注意したい事項は,次の4点です。


 ◎1 廃村は地域の方のものであり,「見せていただく」という気持ちを大切にする(「神社やお地蔵さんを見つけたら手を合わせる」など,具体的な形を身につけておくとよい)。

 ◎2 住居がある廃村をクルマやバイクで訪ねるときは,なるべく早く下りて,歩いて探索するよう心掛ける。

 ◎3 現地で地域の方とお会いしたときは,積極的に「こんにちは」などのコミュニケーションを取るよう心掛ける(このとき「学校跡を探して訪ねたのですが,どちらにあるのでしょうか?」という明確な目的が会話に含まれると,スムーズにコミュニケーションを取ることができる)。

 ◎4 「ごみを捨てない」,「ものを持ち出さない」などの基本的なマナーを守る。



「廃村 千選」には,ダムに沈み離村記念碑しか残されていない集落,碑も立てられず林に帰した集落も含まれています。また,少数の地域の方が住まれる集落(高度過疎集落),出作小屋や別荘が立ち並ぶ集落も含まれています。そして,訪ねたことが実感できる,往時の学校の建物が残る集落,敷地跡が残る集落も含まれています。
その全容は,全国約1000か所の「廃校廃村」をひとつひとつ,訪ねてみなければ知ることはできません。

廃村を目指して旅をされるのであれば,是非「集落の要」として位置付けられていた学校跡を訪ねてください。廃村がもつ「わびしさ」「さびしさ」「のどかさ」,そして「おどろき」が感じられるのではないかと思います。



(注1) 「廃村 千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」約1050か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 「廃村 千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落です。廃村の数は,廃校廃村の数から高度過疎集落の数を除いた数です。

(注3) 「廃村 千選」における学校は,昭和34年4月以降に存在した小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注4) ●は編者が廃校廃村を完訪した都道府県,産業・テーマ,◎は編者が訪ねた廃校廃村がある都道府県,産業・テーマです。○は編者未訪の廃校廃村がある県です。

(注5) 学校数,へき地等級のデータは,昭和34年4月現在のもので「へき地学校名簿」(教育設備助成会刊)によります。ただし,「へき地学校名簿」には石川県,福井県,京都府,鳥取県の冬季分校が含まれていないなどのため,いくらかの誤差があります。

(注6) 東京都小笠原村と沖縄県のデータは,復帰後の資料(「へき地学校便覧 2001年版」(全国へき地教育研究連盟刊)」と「全国学校総覧 昭和46年度版」(原書房刊))から推定したものです。

(注7) リストにおける市町村名は平成13年4月現在(平成の大合併直前)です。

(注8) 平成23年以降に生じた廃村は,原則追求していません。

(注9) お気付きの点があれば,お知らせいただけると幸いです。





「廃村と過疎の風景(4)」〜 「廃村 千選」T −東日本編−

「廃村と過疎の風景(5)」〜 「廃村 千選」U −西日本編−

「廃村と過疎の風景(6)」 −集落の記憶−

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