「廃村と過疎の風景(6)」

−集落の記憶−


新潟県津南町の冬季無人集落 上日出山(かみひでやま)の晩秋の風景です(平成18年11月)。




編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は 1000か所です(廃村800か所,高度過疎集落200か所,以下「廃村 千選」と略す)。

「廃村 千選」は,全国の廃村の様子をより客観的に見ることを主眼とした資料集です。公的な施設である学校は,規模やへき地等級,閉校年などのデータがあるため,廃村の様子を調べるための拠り所となります。
「廃村 千選」T −東日本編− では,甲信越・東海以東の廃校廃村681か所を都道府県別(北海道は4分割,24都道県)にまとめました。「廃村 千選」U −西日本編− では,北陸・関西以西の廃校廃村319か所を都道府県別(26府県)にまとめました。
そして −集落の記憶− では,全国の廃校廃村1000か所について,農山村,戦後の開拓集落,鉱山集落,林業集落,炭鉱集落,離島など産業別に分類してまとめました(10産業)。冬季分校関係,へき地5級地,ダム関係というテーマ別の分類も併記しています(5テーマ)。
また,特に縁があった廃校廃村18か所(農山村10か所,戦後の開拓集落2か所,鉱山集落1か所,林業集落1か所,炭鉱集落2か所,離島2か所)について,地域の方にお話をうかがう,往時の写真をお借りするなどの協力を得て,「集落の記憶」という記事をまとめています。

廃村を目指した旅が,里山歩きのように一般的なものになれば嬉しく思うところですが,同時に地域の方に迷惑をかける機会が生じる心配も感じます。
廃村を訪ねるとき,注意したい事項は,次の4点です。


 ◎1 廃村は地域の方のものであり,「見せていただく」という気持ちを大切にする(「神社やお地蔵さんを見つけたら手を合わせる」など,具体的な形を身につけておくとよい)。

 ◎2 住居がある廃村をクルマやバイクで訪ねるときは,なるべく早く下りて,歩いて探索するよう心掛ける。

 ◎3 現地で地域の方とお会いしたときは,積極的に「こんにちは」などのコミュニケーションを取るよう心掛ける(このとき「学校跡を探して訪ねたのですが,どちらにあるのでしょうか?」という明確な目的が会話に含まれると,スムーズにコミュニケーションを取ることができる)。

 ◎4 「ごみを捨てない」,「ものを持ち出さない」などの基本的なマナーを守る。



「廃村 千選」には,ダムに沈み離村記念碑しか残されていない集落,碑も立てられず林に帰した集落も含まれています。また,少数の地域の方が住まれる集落(高度過疎集落),出作小屋や別荘が立ち並ぶ集落も含まれています。そして,訪ねたことが実感できる,往時の学校の建物が残る集落,敷地跡が残る集落も含まれています。
その全容は,全国1000か所の「廃校廃村」をひとつひとつ,訪ねてみなければ知ることはできません。

廃村を目指して旅をされるのであれば,是非「集落の要」として位置付けられていた学校跡を訪ねてください。廃村がもつ「わびしさ」「さびしさ」「のどかさ」,そして「おどろき」が感じられるのではないかと思います。


(注1) 「廃村 千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」1000か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 「廃村 千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落です。廃村の数は,廃校廃村の数から高度過疎集落の数を除いた数です。

(注3) 「廃村 千選」における学校は,昭和34年4月以降に存在した小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注4) ◎は編者が訪ねた廃校廃村がある産業・テーマです。

(注5) 学校数,へき地等級のデータは,昭和34年4月現在のもので「へき地学校名簿」(教育設備助成会刊)によります。ただし,石川県,福井県,京都府,鳥取県のデータには冬季分校が含まれていないなど,いくらかの誤差があります。

(注6) 東京都小笠原村と沖縄県のデータは,復帰後の資料(「へき地学校便覧 2001年版」(全国へき地教育研究連盟刊)」と「全国学校総覧 昭和46年度版」(原書房刊))から推定したものです。

(注7) リストにおける市町村名は平成13年4月現在(平成の大合併直前)です。

(注8) お気付きの点があれば,お知らせいただけると幸いです。



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