自治体規模で消えた村(1) その1 岐阜県根尾村越波,大河原,黒津

〜旧徳山村の東隣,根尾村奥西谷の風景〜



越波の川沿いの民家です。屋根の端に打たれている斜めの柱が,冬は雪深いことを示しています。




5/1/2000 根尾村越波,大河原,黒津

# 6-5
職場では「山ごもり」と称していたGWの岐阜・福井ツーリングは,岐阜県は根尾(Neo)村を拠点として行いました。
根尾村は面積296ku,人口2453人(1995年国調)。淡墨ザクラ,根尾谷断層,菊花石という渋い名物があり,樽見鉄道(中心集落の樽見が終着駅)という第三セクターの鉄道も走る,山間にしては風通しのよい村です。1995年にできた「うすずみ温泉」も賑わっているようです。
私のお気に入りの山村で,1987年9月を最初に,1987年12月,1988年11月,1991年8月,1996年10月と,過去に5回足を運んでおり(うち4回泊),今回が6回目です。樽見から岐阜市(市街地)まではR.157で32kmほどですが,バイクならばいろいろな行き道があるのも特徴です。

# 6-6
樽見から旧徳山村本郷までは馬坂(Umasaka)峠経由で18km,旧西谷村中島まではR.157(温見峠)経由で51km。簡単に行ける距離なのですが,ともに三癖くらいはある悪道で,いつ行っても真偽のわからない「通行止め」の表示が出ています。このことはむしろバイク乗りの好奇心をくすぐります。そんな道ですが,往時は徳山村村営バスが本郷−樽見間を走っており,1988年頃にはバス停が残っていました。
浦和から根尾村までは,首都高と東京IC−岐阜羽島ICは高速を使って7時間30分。初日(4/30)の宿は当日のお昼頃の予約で,R.157から徳山行の道が分かれる門脇の民宿「ところ」に泊まりました。夕食の焼肉はボリュームいっぱいでした。

# 6-7
根尾村には,奥西谷と呼ばれる炭焼きの時代の匂いが色濃く残る集落群があります。樽見からR.157(西谷筋)を山に向かって走ると,能郷(Nougou)から黒津に向かう間にゲートがあり,明らかに雰囲気が変わります。 大河原は,家は残っているものの,在住の方は1988年頃よりいないとのこと(郵便番号の下二桁も「00」です)。越波と黒津は,冬季は無人となり,春夏秋はお年寄りを中心に数人の方が暮らすという変則的な集落です(先の能郷のゲートも12月から3月まで閉ざされます)。
私はこれまで冬季無人集落はここしか知らなかったのですが,雪の深い地方では,全国的に存在するようです。

# 6-8
明けて2日目,奥西谷には,R.157の交通情報表示が「能郷から先通行止」だったこともあり,東側の上大須(東谷筋)から行きました。東谷筋は,上大須より少し先に,奥美濃ダムという揚水式では日本屈指というダムがあり,このため道は整備されており,冬季も交通は途絶えません。ダムはあるものの集落の水没がなかったのは,根尾村の雰囲気を明るくする大きな要因に思えます。
明るいといえば,山が深いからか5月にしてサクラなどの花があちこちに咲いていて,とても綺麗です。奥東谷(上大須,下大須)でも神社や真新しい公共の施設「NEOキャンピングパーク」などをのんびり回りながら過ごしました。

# 6-9
越波(Oppa)は,上大須から折越林道(舗装済)を走って13km,能郷からも13kmの山の真っ只中にある集落です。
R.157からも外れているのですが,山間にしては広い空間があり,奥西谷では中心的な存在です。小さな川沿いのサクラは満開です。
現在の建物は30戸ほどで,その多くは炭焼きの時代からのものです。今は閉ざされていますが願養寺という大きなお寺があり,戦前には400人を越えるほどの人口があったとのこと。集落の真ん中に分校の跡があり,運動場跡がそのまま駐車スペースとなっているので,ここにバイクを止めて,隣で草摘みをしていたおばさんと喋りながらのお昼時となりました。

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# 6-10
越波出身というこのおばさんによると,春夏秋に越波に住まれる方は10人ぐらいで,おばさんも2週間ぐらいの間隔で岐阜市内と越波を行ったりきたりしているとのこと。新しい作りのおばさんの家は,別荘のような感じで使われている様子です。
トタン屋根,ペンキを塗った板貼りの長嶺小学校越波分校の閉校は1981年。同じ頃に越波は冬季無人集落になったと思われます。
今はお盆やお祭りなどで出身の方がたくさん戻られるときに公民館として使われているそうですが,中に入ると図書室,調理室,職員住宅といった看板とともに書籍もたくさん残っていて,昔ながらの雰囲気がそのままです。


# 6-11
越波から最近整備された猫峠林道(舗装済)を走って7km,根尾西谷川に沿った大河原(Ookawara)には,確かに人はいませんでした。
大河原の集落はR.157に対して山側の斜面に集落があり,集落の真ん中の歩道(クルマは通れない道)には不織布が敷かれています。中にはかなり大きな家屋もあり,炭焼き,養蚕が盛んな頃にはたくさんの人が住んでいたことが想像されます。
現在残る建物は12戸ほど。どれもしっかり施錠されていて,中にはわりあい新しい家屋もあったので,越波のように別荘のようにして使われているのかも知れません。どこからが廃村ときっちり定義するのは難しいのです 。

# 6-12
大河原から猫峠林道よりも状態が悪いR.157を下って6km,黒津(kurodu)に着くとゲートが閉ざされていて,声をかけてくれたトラックの運転手さんによると,まじめに黒津−能郷間は土砂崩れで通行止とのこと。
この間の根尾西谷川は倉見渓谷といって,とても景色のよい場所なのですが,保守をするには大変そうです。
能郷から樽見に戻って,全長60km強の「根尾村環状道路」を一周する予定だったので,少し残念です。もっとも環状になっているおかげで,いずれかが通行止になっても何とかなるというのは大きな強みといえます。

# 6-13
黒津の現在の建物は20戸ほど。猫峠林道ができるまでは,越波と大河原の分岐点という交通上の利があり,酒屋さんなどの商店もあったようです。ただ,R.157を挟んで川沿い側,山側ともに斜面となっていて,地勢としての条件はよくありません。
おじさんがいたので声をかけてみると,黒津の区長さんでした。学校跡について伺うと,大河原寄りの山側の斜面にあるとのこと。確かめてみると門に向かう道にはサクラが並んで咲いていました。この学校跡は,岐阜市内在住の猟が趣味という区外の方が別荘として使っているそうで,冬季もカンジキを履いて猟にやってくることがあるとか。


# 6-14
私にとって根尾村の奥西谷が味わい深いのは,何度も足を運んでいて記憶が積み重なっているからかも知れませんが,とにかく一日村外に出なくても十分楽しめる,そんな場所です。時間が足らなくなったので「うすずみ温泉」には行けませんでした。
この日の宿は,樽見の旅館「山田屋」。朝食のみで頼んで,夕食は根尾郵便局の近くの居酒屋に出かけました。入ってみるとスナックのようなお店でしたが,月曜日にしてよくはやっていて,電器店の方,郷土資料館の方などとお話をしました。
宿で借りた「根尾村史」では,山人の生活として載っていた木地師の話が興味深かったです。



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