自治体規模で消えた村(1) その2 岐阜県旧徳山村本郷,下開田,上開田



徳山小学校跡の教室にて。書き残していったのは,やはり徳山の方でしょうか。




5/2/2000 旧徳山村本郷,下開田,上開田

# 6-15
岐阜・福井ツーリング3日目は,待望の三度目の旧徳山村です。天気予報は「午後から崩れる」ですが,とりあえず晴れた朝です。
根尾村(樽見)に泊まっているということで,道に問題がなければ樽見から中心集落だった徳山本郷までは馬坂峠経由で18kmということで,30分もあれば行けるのですが,初日の夜に門脇で「徳山方面全面通行止」という看板を見ています。
「バイクなので,何とかなるさー」と気楽に峠に向かって登って行くと,かなりの高さまで来たところで土砂崩れ復旧の工事にぶつかり,土砂の量を見て,「こりゃだめだ」と判断せざるを得ませんでした。

# 6-16
迂回して行くとすれば,根尾村からR.157を下って,本巣町,谷汲村,R.417に入り久瀬村,藤橋村を経由して行かねばなりません。距離は70km超,土砂崩れがなければ10kmもない地点まで来ている身としては辛いものがありますが,仕方ありません。土砂崩れの現場から藤橋村の横山ダム(旧徳山村に向かうR.417とR.303の分岐点)まで50km,1時間15分かかりました。
1964年に完成したという横山ダムにも飲み込まれた集落があり,湖に沿って走ると,親(Oya)という集落跡の離村記念碑がありました。
さらに走り,藤橋城というプラネタリウム兼用のお城に到着。ここには郷土博物館などがあり,一服するにはよいポイントです。


# 6-17
藤橋城を越えたあたりから,いよいよダムの工事現場の匂いが漂いはじめました。冬季には,これより先には行けなくなるとのこと。
この時期でも「徳山方面通行止」の看板は立っていましたが,水資源開発公団の専用道があるということで,このトンネルでダム本体の工事現場を通過することができました。ただし,入口でチェックがあり,記名をしなければなりませんでしたが・・・
公団の専用道が終わったところで馬坂峠からの道に合流。川の左岸を登って,9年ぶり三度目の本郷(Hongou)への到着と相成りました。
橋を渡って下開田(Shimo-Kaiden)のほうにも少し行ってみましたが,旧R.417は廃道となった様子でした。


# 6-18
本郷に1987年12月(廃村直後)に足を運んだときは,まだ,カップめんを売っているお店がありました。今回見たところでは,いくつかのプレハブの建屋以外はひたすら更地ばかりでした。サクラが綺麗に咲いているのと対照的な,何とも乾いた雰囲気です。
ダムの補償金を受けて移転をする場合は,土地を公団等に提供することになるので,建屋は取り壊さなければならないのです。
かつて徳山村役場があった,戸入,門入方面への分岐近くの広場には,真新しい「ふるさと」という離村記念碑と「かつての徳山村」という案内があり,R.417を挟んで反対側には,古くからの火の見やぐらと「郷社白山神社」の名前がある石柱が立っていました。

....


# 6-19
そんな本郷の集落の中で存在感を示しているのが,いちばん高いところにある徳山小学校跡。ここだけは,遠くから見る分には昔ながらの雰囲気が保たれています。1987年12月の時点では,まだ使われていても不思議ではない感じがしたものでした。
しかし校名板がない門柱や,運動場の荒れかた,雑草の茂りかたは,村がなくなってからの時間の経過を知らせていました。
鉄筋コンクリート作りの三階建の校舎に入ると,黒板には「徳山しずまないでくれ」との大書きがあったり,飾りやオルガンが放置された音楽室があったりで,きっと訪れた方は誰もがダムに沈む村の痛ましさを感じることでしょう。

# 6-20
分岐を戸入,門入方面へ入り,揖斐川を渡ってすぐが上開田(Kami-Kaiden)という集落跡。本郷からもすぐなので,まとめて徳山村の中心部という感じです。ここにはかつて徳山中学校があり,今も体育館跡が残っています。
1987年12月の時点では,この体育館はまだできてそれほど経たないような感じで,移設されているかなとも思っていたのですが,そのまま古びていく運命をたどったようです。校舎はすでになく,運動場跡が土建屋さんの基地として使われてようでした。
道を挟んで立っている火災保険会社の看板は,たまたま置き去られたのでしょう。


# 6-21
ダム建設の交渉では,集落を高台へ移転することを唱えた村長もいたそうですが,予算の関係などで実現しなかったとのこと。
徳山小学校跡や徳山中学校の体育館跡,火の見やぐら,火災保険会社の看板といった昔からのもの,そして集落跡そのものはダム完成とともに湖に沈み,離村記念碑や「かつての徳山村」の看板は,ダムサイトに移設されることなのでしょう。
ダムが完成してからも残るだろうものと,完成した後はなくなってしまうものが交差する今の徳山本郷の風景は,ダム作りの過程でどのようなことが起こるのか,とてもわかりやすく表現している気がします。



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