くみ子のページ




かれこれ8年半,一緒に暮らした妻,くみ子でした。
出会いが1992年夏,知床の民宿で,翌年6月に入籍,1994年3月に結婚式とハネムーンがありました。
彼女は高校の英語の先生で,お互いに独自のペースがあり,かつ,ふたり共通のペースもあるという,ある意味では理想的な生活ができていたように思います。

くみ子が不正出血により最初に入院したのが1999年11月2日,このときの診断は子宮筋腫で,手術ののち,検査により子宮ガンの告知があったのは11月14日。Tb期とのことでしたが,頚部腺癌でという悪性度が高いガンとの知らせもありました。
その後,摘出手術,放射線治療を施して,2000年3月からは復職し,夏にはパリに一人旅に出るぐらいまで回復していました。
私はその夏は,五島・長崎に廃村巡りのツーリングに出かけていましたが,そんな自由が利く生活でした。
しかし,2001年4月に再発の告知があり,5月下旬から休職して抗がん剤による治療を重ねたものの,効を奏するはありませんでした。
7月下旬からはガン性腹膜炎の症状により食事ができなくなり,闘病生活の末,10月31日,私と彼女の両親に見守られながら静かに息を引き取りました。

私は8月上旬より3か月,毎日見舞いに足を運んだのですが,不自由な生活の中にも,闘病生活をともにすることで一種の安らぎを感じることがありました。
振り返れば,彼女の健康のこと,万が一のことに対する備えなど,元気なうちに二人で取り組むことができなかったものかと思うのですが,過ぎたるは及ばざるがごとし,今は運命を受け入れる以外にありません。

葬儀では,高校の先生方をはじめ,在校生や,1999年に担任として送り出した卒業生など,たくさんの方に来ていただき,悲しくも賑やかなうちに彼女を天国へと送り出すことができました。
私はくみ子の亡骸に寄り添って,「彼女の分まで幸せになる」などの誓いを立てました。
再び始まったひとり暮らし,気持ちを新たに頑張らなければなりません。

(C) HEYANEKO 11/04/2001


ワインの夕べ 11/29/1997

くみ子 35回目の誕生日 09/23/2001

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