湖国の山の廃村と過疎集落群 その3 滋賀県多賀町霊仙入谷,霊仙落合,
_________________________________彦根市男鬼,武奈,
_____________________________________多賀町甲頭倉,向之倉



多賀町霊仙入谷の集落です。ここはとても立体的です。




7/21/2000 多賀町霊仙入谷,霊仙落合,彦根市男鬼,武奈,多賀町甲頭倉,向之倉

# 9-21
五僧を出たのが午後2時。回った集落が四つに対して,回りたい集落はあと八つ。どう考えても駆け足になってしまいます。しかし,こんな機会もそんなにないことなので,気に入ったところがあったらのんびり過ごしながら,行けるところまで行こうとなりました。
五僧−河内間では,五僧からずっと涸れ川だった権現谷が,一気に川の流れと化すような湧き水(河合不動明王の湧き水)があったので,しっかりとバイクを止めて飲みに行きました(こんなことをしているから,さらに時間が足らなくなるのですが・・・)。
権現谷と大洞谷が合流して芹川となる(安原,山女原ならぬ)妛原(Akenbara)は,活気はないものの普通の山間の集落の顔をしていました。


# 9-22
本日五番目に訪れた霊仙入谷(Ryouzen-Nyutani)は,妛原からほんの1kmほどの集落なのですが,雰囲気はまったく異なり,すっかり過疎集落の顔です。ここはとても立体的な集落で,狭い集落の中に50m近い落差があるのではないでしょうか(平均標高は330mほど)。
集落の入口の右手の高台には了眼寺というお寺があり,ここの軒先はちょっと一服するにはよい空間です。正面には「毎月第一日曜 故郷の日」との貼り紙。つまり,月に一度くらいは皆で集いましょうということなのでしょう。神社は集落の最奥の石段を登り詰めたところにあり,ここからは高台のお寺も目下に小さく見えました。30分ほどの霊仙入谷滞在の間,人には一人も会いませんでした。

# 9-23
六番目は霊仙落合(Ryouzen-Ochiai)。車道が通じていない霊仙今畑を含めて霊仙山のふもとには三集落あるのですが,地形図では三つまとめて霊仙とのみ記されています(標高は340m)。多賀町の集落には,集落名を記した多賀創生塾という名前入りの看板と,「ここは多賀町大字○○」という多賀町ふくしの町づくり運動社会福祉協議会という名前入りの看板が出ているので,親しみが持てて良いです。
集落の山寄りに小学校の跡(多賀小学校霊仙分校跡)を発見。六番目にして学校跡は二つ目です。お寺や神社もありましたが「ふーん」というくらいたくさん見ています。落合では一軒だけ裸電球が灯っていた家があったのですが,むしろ寂しさを感じさせました。


# 9-24
七番目は彦根市に入って男鬼(Oori)。これで「おおり」と読みます(標高は410m)。男鬼と武奈は,水系では多賀町であるべき場所で,彦根市の飛地という感じです。お寺と神社はしっかりあり,公共の施設っぽいログハウス調の「自然の家」もあったのですが,どれほど使われているのかは謎です。印象に残ったのは,しっかりした作りの萱葺き屋根の家。庭にはピンクの花が咲いていて,美しさではピカイチです。
男鬼の集落から少し上手には,比婆大神という名前の大袈裟な鳥居があり,山上には大きな神社がありそうでしたが,ここには足を伸ばせませんでした。代わりに鳥居の近くにあった古いトイレで一服。


# 9-25
八番目は低い峠を越えた武奈(Buna;標高は470m)。ここは山側から下って行ってたどり着き,下手に行く道はオフロードバイクも通れない山道という,ちょっと変わった集落です。ここにも例によってお寺と神社があり,不思議なくらいの密度です。武奈にはまったく人の気配はなく,廃村とも過疎集落とも区別ができません。西陽がだいだい色に照りつけて,頭がクラクラしてきました。
後で調べたところ,男鬼と武奈の間を少し入ったところに,明幸という小さな集落があることがわかったのですが,男鬼と武奈がこの様子では,明幸は間違いなく廃村でしょう。地形図には明幸という名称は載っていませんでした。

# 9-26
妛原まで戻って,芹川沿いの県道を下り,河内の風穴を通過して,九番目は甲頭倉(Kouzukura)。ここは急な坂道に沿った高低差の大きい集落です(平均標高は370mくらい)。県道から甲頭倉に向かう道にはゲートがあり,閉ざされていました。幸いゲートの左手の家のおじさんが野良仕事をしていたので,声を掛けて尋ねたところ,今年になって,知らない人が入るのを避けるために多賀町役場の方と相談の上設けたとのこと。「行ってもよいですか」と尋ねると,「ゲートは簡単に開きますよ」という承諾を得ることができました。
甲頭倉には80過ぎのおじいさんがひとり暮らしているだけとのことでしたが,幸いお会いできたので,しっかりご挨拶しました。


# 9-27
太陽はどんどん傾いて,これで最後という覚悟がつき,十番目に訪れたのが「寂静廃址」にも紹介されている向之倉(Mukainokura)。確かにここは廃村です(標高は350mほど)。立て続けに廃村や過疎集落を回ったということで,神経は鈍くなっていたのですが,「寂静廃址」に載っているつる草が絡まる二階建ての廃屋を見ると「おおっ」と思いました。確かにちょっと近付けないほどの草の茂りようです。
向之倉には,パンフレットにも載っている大きなカツラの木が神社(井戸神社)の境内にあり,少しだけ山道をたどって神社に行くと,日影になっていることもあって迫力のある景色に出会えました。


# 9-28
向之倉を後にして,河内と栗栖の間ぐらいにある地形図にも載っている学校(多賀小学校芹谷分校)は廃校となっていました。河内,栗栖といった,谷間の集落も,少しずつ過疎の空気に包まれつつあるようです(栗栖の標高は150mほど)。
久徳に戻ってびっくりしたのは,一日走ったバイクのメーターが64kmしか進んでいなかったこと。いやはや,多賀町の廃村と過疎集落の密度の濃さを改めて感じた次第です。堺の実家には,彦根市の犬上川河口で琵琶湖に出てから,湖岸道路,瀬田川沿いの県道,京滋バイパス,R.1,近畿道経由で,向之倉から3時間40分ほどで帰り着きました。




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