東京徒歩旅行(2) 〜沖縄居酒屋編〜 その2 江戸川区・葛西「とんとんみ」


「とんとんみ」のご主人(玉那覇さん)と常連さん(伊谷さんとヨシマサさん)です。



4/1/2002 葛西「とんとんみ」

[牛込神楽坂 → 大手門 → 日本橋 → 永代橋 → 東陽1丁目(洲崎)→ 葛西橋 → 葛西 (晴)]

# 2-1
平成14年はやたら春の訪れが早く,東京では彼岸前(3月15日)にサクラが開花しました。「東京徒歩旅行(2)」の第二弾は3月下旬,サクラの見頃に行う予定だったのですが,予定日にことごとく雨が降ってしまい,結局ずいぶんサクラも散ってしまった4月1日(エイプリルフール)の月曜日の実行となりました。
めざすは,前回の練馬区に対して正反対の江戸川区,葛西「とんとんみ」。大まかには営団東西線に沿ったルートですが,永代橋(隅田川)までの都心部,永代橋−葛西橋(荒川)間の江東区,葛西橋からの江戸川区という,はっきりしたメリハリがあります。

# 2-2
当日は5月上旬並みの暖かさ。陽射しのもと歩くには絶好の日和です。神楽坂の毘沙門天,神楽坂下(外堀通り)のライオン桜と,盛りは過ぎているものの,花びらがふわふわ舞うサクラもまた風情があります。
JR飯田橋駅西口を過ぎて,昼食は「K'sキッチン」というテイクアウトのお店でサンドイッチを買って,北ノ丸公園の中で食べることになりました。途中,早稲田通りの終点では,右手に大きな黒い鳥居の靖国神社,正面には田安門のサクラと大きなタマネギの日本武道館。ともにいろいろな思い出があります。武道館では東京電機大学の入学式が行われた様子でした。

# 2-3
北ノ丸公園のランチタイムは,吉田茂翁(戦後直後の宰相)の銅像が見えるベンチ。回りにはお母さんと子供の集団,大きな輪を作ったサラリーマンの集団,カメラを持った老夫婦などなど・・・ みんなのどかそうに見えます。
すぐ近くの科学技術館では,CTCグループ入社式の看板。そう,エイプリルフールは,ピカピカの新入社員の第一歩でもあるのです。
「社会人になって何年かなぁ・・・」とか思いながら,内堀通りを渡って北桔梗門。ここから皇居東御苑に入る予定だったのですが,月曜と金曜はお休みとのこと。しかたがないので平川門から大手門へと,皇居一周マラソンコースを時計回りに下りました。

# 2-4
大手門から東に伸びるのが永代通り。通り中ほどに永代橋があって,まっすぐ歩くと最短ルートですが,今回は座標軸代わりです。
大手町のファイナンシャルセンターの近くには,三井住友銀行,東京三菱銀行,UFJ信託銀行,そしてこの日発足のみずほ銀行と,四大銀行グループの店が集結していました。ビジネスタイムとあって,しゃんとしたビジネスマンが闊歩しています。緑の看板の三和銀行や赤いハートの第一勧業銀行などのなじみの名前は街角から姿を消しました。歴史の流れが感じられます。
JRの長い高架をくぐったところで,東京駅反対側の高架下のちょっとあやしい雰囲気につられて,永代通りを左に折れました。

# 2-5
しばらく歩くと常盤橋公園という小さな緑の空間がありました。ここは皇居とは大きく異なり,ホームレスさんがたくさんたむろしています。常盤橋門は,江戸時代は奥州街道の出発点とのことですが,門の跡の石垣ではおじさんがロッククライミングをしています。
お間抜けな雰囲気にちょっと一服。門の向こうには古びた歩行者専用の橋があり,橋の向こうのいかめしい建物は日本銀行の本店です。
渋沢栄一翁(明治初期の実業家)像を横目に川に沿って歩くと,花の大江戸日本橋。真上を高速道路に塞がれて貫禄はありませんが,重要文化財に指定されているらしいです。

# 2-6
日本橋から少し東の鎧橋の界隈(日本橋兜町)は,東京証券取引所を中心として証券会社が集まる町。あちこちに兜神社という小さな提灯があると思えば,この日は神社の春の例大祭。ほんとに小さな神社の境内では,笛と鼓が奏でられていました。この音色は証券取引所の前でも良く聞こえて,ビジネス街とはアンバランスなのどかさが醸し出されていました。
アパートがちらほら見え始めたのは茅場橋を過ぎたあたりから。やがて隅田川にぶつかって,右に折れると永代橋。橋の袂には「震災復興事業の代表的な建築物」とのレリーフがあり,向かいに佃島・大川端の高層マンション群を控えたその姿は,サマになっています。


# 2-7
永代橋を渡ると江東区。まずは川沿いの遊歩道を歩くとほどなく大島川水門に突き当たりました。ここで遊歩道が切れたので,永代1丁目の街角に出ると,背の低い住宅に,広々としたクルマも人も少ない道。都心にして,佃煮屋さんが似合うのんびりした雰囲気です。
大島川水門の先の川はなぜか大横川。川沿いの緑道はサクラ並木。まだ散り初めでなかなか綺麗です。このサクラ並木は門前仲町駅近くの黒船橋を過ぎて,東富橋まで1km以上も続いていました。
平久橋を渡ると木場1丁目。この辺りの川は材木を浮かす運河だったのですが,今は役目を終えて,静かに余生を送っている感じです。

# 2-8
木場6丁目から入った塀の中のような雰囲気のほぼ真四角の町(東陽1丁目)は,戦前の洲崎弁天町。往時は東京市(深川区)の東南の外れで,四方を運河に囲まれていました。また,吉原と並ぶほどの華やかな花街だったそうです。
いわゆる「赤線」の廃止は昭和33年(1958年)。「赤線跡を歩く」(木村聡写真・文,自由国民社刊)にも載っている「大賀」をはじめ,目を凝らしながら歩いていると,雰囲気が残っている建物や,飲み屋さんなどを見つけることができました。
旧洲崎橋から東陽町へ向かう道は,運河を埋めたてた緑道(洲崎川緑道公園)となっていて,徒歩旅行にも快適です。

# 2-9
営団東陽町駅から少しだけ永代橋通りを歩くと,左手には南砂2丁目住宅という都営の14階建ての高層住宅。なかなか賑やかな高層住宅の下を突き抜けると,また緑道(南砂緑道公園)。城東電車と呼ばれた都電の跡だそうです(昭和47年廃止)。
緑道から明治通りに出て,少しだけ北へ向かうとまたまた緑道(仙台堀川公園)。仙台堀川(砂町運河)の埋立ては昭和55年。緑道には子供から若い人,お母さんからおばさん,おじいさんまでたくさんの人がいました。ここでは私のお仲間(スーツ姿の30代から40代の男性)の影がいちばん薄そうです。公園には,枯葉干草の堆肥置場までありました。

# 2-10
1km以上続いた仙台堀川公園が終わると,さすがに緑道は途切れて車道の葛西橋通り。それでも1km足らずで葛西橋(荒川の土手)まで到着。「江東区には緑道が多い」という印象が残りました。
葛西橋は片側2車線の車道を中心とした1km超の長い橋。クルマが多いことはもちろん,自転車や歩きの人も狭い歩道を渡って行きます。
東京湾が近いことを感じさせる潮の香りが混じった南風を受けながら,橋を渡り切って江戸川区に到着したのは午後5時半頃。すっかり陽が傾いていたので,営団西葛西駅の前後は「とんとんみ」を目指して淡々と歩きました。やはり緑道は明るいうちが華です。

# 2-11
沖縄居酒屋「とんとんみ」は,西葛西駅から1.3kmも離れた住宅街にぽつりとあります。うるまガイドによると,とんとんみは平成9年(1997年)創業,座席40席とのこと。屋号の「とんとんみ」は「おっちょこちょい」という意味でママのニックネームでもあるとのこと。
到着は6時ちょうどで,くしくも大将がのれんをかけているところでした。お店には2週間ほど前に下見をしたので,今回が2度目です。
ほどよく体が暖まっていたので,オリオンビールの中生がすごく美味しい。大将(玉那覇剛さん)のかん高い声と,ママさん(ひとみさん)の低めのハスキーな声が,微妙なバランスで釣り合ってします。

# 2-12
食べ物は「豆腐チャンプル」と「ゴーヤチップス」。ともにたっぷり量があって,これで十分満腹になりました。お勧めは豆腐料理と紅芋コロッケとのことですが,コロッケは次の機会となりました。
飲み物はビンビール(キリンのハートランド),色も紅色の「自家製紅芋酒」,25度の泡盛「八重泉」,最後にもう一度中生。
カウンターでご一緒した常連さんは,伊谷さん(大阪出身)とヨシマサさん(沖縄出身)。大将曰く葛西,浦安界隈はウチナンチュ(沖縄人)が多く住んでいて,古くからウチナンチュが集まる鶴見(横浜市)界隈よりも賑わいつつあるとのこと。

# 2-13
月曜にもかかわらずお店は賑わっていて,大将とゆっくり喋ることができるまでねばるのは結構根性がいりました。大将は沖縄本島南部の大里村生まれで,葛西はもう20年ぐらいは住んでいるのことです。
結局4時間半ねばって(くしくも「タニやん」と同じ),お勘定は4,000円。西葛西駅と葛西駅はどちらに歩いても15分ほどということで,来た道と反対側の葛西駅を目指しました。ダメ押しの1.3kmは酔い醒ましにはちょうどよく,ほろ酔いの気分で営団東西線大手町駅から東京駅に出てJR京浜東北線に乗り継ぎました。意外に遠い道程のため,南浦和着は午前サマとなりました。


●歩行距離  17.1km
●時 間     5時間36分 (昼食休憩を除く)

最高気温 (平年) 最低気温 (平年) 湿度
19.1℃ (15.4℃) 10.7℃ (7.6℃) 40%


時間 距離  ポイント 区名 備考
12:12 0.0  牛込神楽坂駅 新宿区 都営大江戸線・大久保通り
12:18 0.6  神楽坂下(飯田橋駅西口) 新宿区 営団有楽町線・南北線・JR中央線・外堀通り・早稲田通り
12:38 1.4  田安門(九段下駅) 千代田区 営団東西線・半蔵門線・都営新宿線・靖国通り・早稲田通り
12:46/12:58 1.8  北の丸公園 千代田区  
13:05 2.2  北桔梗門 千代田区 内堀通り
13:23 3.4  大手門 千代田区 内堀通り・永代通り
13:32 4.0  大手町2丁目(大手町駅) 千代田区 営団東西線・永代通り
13:50 4.5  常盤橋 中央区 外堀通り・日本橋川
13:58 4.9  日本橋北詰(三越前駅) 中央区 営団半蔵門線・銀座線・中央通り(R.4)・日本橋川
14:05 5.2  江戸橋南 中央区 都営浅草線・昭和通り・日本橋川
14:20 5.7  茅場橋北 中央区 新大橋通り・日本橋川
14:30 6.5  永代橋西詰 中央区 永代通り・隅田川
15:06 7.7  黒船橋 江東区 清澄通り・大横川
15:28 8.9  木場6丁目 江東区 三ツ目通り・大横川
15:38 9.6  東陽1丁目(洲崎) 江東区  
16:07 10.5  東陽町駅 江東区 営団東西線・四ツ目通り・永代通り
16:32 12.0  南砂4丁目・仙台堀川公園 江東区 明治通り・葛西橋通り
17:03 12.9  東砂7丁目・仙台堀川公園 江東区 葛西橋通り
17:18 13.7  葛西橋西詰 江東区 葛西橋通り・荒川
17:30 14.7  葛西橋東詰 江戸川区 葛西橋通り・中川
17:45 15.8  西葛西駅 江戸川区 営団東西線
17:57 17.0  西葛西8丁目 江戸川区 葛西中央通り
18:00 17.1  西葛西「とんとんみ」 江戸川区  
  (18.4)  葛西駅 江戸川区 営団東西線・環七通り



【Column 02】 ウチナーグチ(沖縄言葉)

  • 東京の沖縄居酒屋巡りにおいて,ウチナーグチを耳にすることはほとんどありませんでしたが,ウチナンチュの言葉に対する愛着はとても強く,店の名前などの単語や沖縄民謡などで多く目にしました。
  • ウチナーグチの基本母音はa,i,uの三音で,eはiに,oはuに変化しています。このため沖縄民謡の「安波節」では「夜の明けて」が「ゆぬあきぃてぃ」になるわけですね。

  • また,同じく沖縄民謡の「てぃんさぐの花」の「うやぬゆしぐとぅや ちむにすみり」という歌詞は「親の言う事は 肝(心)に染みる」となります。ヤマトンチュ(内地人)の私としては,ストレートにわからないところに味が感じられます。
  • さて,「とんとんみ」ですが,一般的にはミナミトビハゼという魚のことをいうらしいです。「おっちょこちょい」はトビハゼの愛嬌のある外見からの連想で使われるようで,「とんとんみ」でいただいた名刺にもハゼの絵が載っていました。



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