「廃村と過疎の風景(7)」プロローグ

「廃村と過疎の風景(7)」プロローグ 北海道八雲町桜野

高度過疎集落 桜野(さくらの)の温泉宿から見た野田追川の流れです。



2005/2/6〜7 八雲町桜野

# 1-1
「全国の廃村の所在を知りたい」ということは,昭和末頃,福井県旧西谷村,岐阜県旧根尾村,旧徳山村(徳山本郷)に足を運んで,廃村の空気を直に感じる機会を得てから,ずっと願っていたことでした。それから20数年を経て,「廃村 千選」(=全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」1000か所)という形で,その夢を自らの手で成し遂げることができました。とても幸せなことだと思います。
「廃村 千選」の調べ物の開始は平成17年5月(Webでの公開開始は平成21年2月),これと連動した「廃村と過疎の風景(3)」(エリアは関東・甲信越・東海に限定)の旅の始まりは平成17年8月。振り返れば,この直前にとても印象に残る旅をしていました。

# 1-2
平成17年2月,私は二度目のハネムーンで7泊8日の東北・北海道への旅にkeiko(妻)と出かけました。ハネムーンなので,廃村めぐりは必要最低限です。
道中の宿泊は,山形県新庄,秋田県大潟村,青森,函館,北海道八雲町,小樽の6か所と,帰りの寝台特急「北斗星」です。関東から東北経由で北海道へ,鉄道を使って少しずつ北に進む旅はなかなか優雅で,新庄では二枚橋冬季分校に立ち寄り,三線を弾いて豆まきをして,秋田県大館では,雪の廃村 合津(Kattsu)までカンジキを履いて出かけました。このときの様子は,「廃村(2)」のまとめ前篇に記しています。
keikoは北海道は初めてということで,青函トンネルの吉岡海底駅,函館,小樽,雪まつりの札幌と,一般的な観光地にも足を運びました。



# 1-3
2月6日(日,旅5日目),起床は7時頃で天気は晴時々曇り。函館の宿は,赤レンガ倉庫群近くの「B&B ペンションはこだて村」。朝市の食堂でイカソーメンを食べ,カニや地ビールなどの土産を選んで,お昼は倉庫群のビヤホールでコマイを七輪で焼いて食べました。
函館を訪ねたのは13年ぶりでしたが,倉庫群あたりはテーマパークのようでした。JR函館駅も見慣れない新しい駅舎になっていました。
函館からの出発は,午後2時40分の長万部行き普通列車。のんびりした旅には,各駅停車が似合います。七飯を過ぎたあたりから乗客はほとんどなくなり,よい雰囲気のローカル線の風情になり,森あたりの車窓から見た噴火湾は,まるで絵画のようでした。


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# 1-4
野田生駅着は夕方4時55分。駅前にはこの日の宿「桜野温泉 熊嶺荘」の方のクルマが待っていてくれて,山に入って約12kmの宿へと向かいました。
5kmほど走ると家はほとんどなくなり,おかみさんに「この山間に家はいくつぐらいあるのですか」と尋ねると,「今はほとんどない」とのこと。
あたりが薄暗くなった頃,到着した「熊嶺荘」のお客は私たちふたりだけ。貸し切りの温泉に浸かり,飲んで食べてするひとときは幸せです。
2月7日(月,旅6日目),起床は7時頃で天気はおおむね晴。雪の渓谷を見ながら露天風呂に浸かり朝食をとり,宿の周囲を歩いてみました。青空の下の雪景色はとても綺麗ですが,歩いていく目標がなく,宿の近くの道を探索するぐらいで留まりました。


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# 1-5
このとき地名が頭に残っただけだった桜野が,5月から始めた「廃村 千選」の調べ物のアンテナにかかったのは9月のことです。
「へき地学校名簿」(教育設備助成会刊,S.36)で調べ,「全国学校総覧」(東京教育研究所刊,S.35)にプロットした桜野小学校のへき地等級は4級(児童数30名(S.34))。山の深さを考えると,高度過疎集落(5戸以下程度,冬季分校所在地は3戸以下程度の集落)である可能性は高そうです。
「ゼンリンの住宅地図・北海道八雲町」(ゼンリン刊,H.16)で調べた桜野の戸数は「熊嶺荘」を入れて4戸でした。桜野が「廃村 千選」の対象になるとわかったとき,「温泉以外は何もなさそうなところが面白い」ところから「熊嶺荘」を選んだことを思い出しました。

# 1-6
平成18年7月,「廃村 千選」の調べ物が新潟県を最後に全国一巡した後,精度向上のため,年度ごとの児童数を調べることで,桜野小学校は昭和48年に閉校後(中学校は昭和51年閉校),9年後(昭和57年)に復活し,平成4年休校となり,平成7年に再び閉校となったことがわかりました。
「改訂八雲町史・下巻」(八雲町刊,S.59)を調べると,桜野(当初の地名は野田追原)は明治後期の入植によりできた集落で,小学校の前身(野田追原尋常小学校)は明治43年創設。その後,昭和31年には桜野小学校に改称し,閉校は「昭和48年3月限り」とあります。そして,巻末の年表には,「昭和57年4月 桜野小学校仮校舎にて開校,11月 新校舎完成」と記されていました。9年間は休校ではなく,一旦なくなっていたようです。

# 1-7
「五万分の一 地形図・濁川」(国土地理院刊,S.41)の桜野の文マークは,「熊嶺荘」より奥に4kmほどのところにありました。新しい地形図(濁川,S.61)の桜野の文マークは,古いものよりも2kmほど手前にあります。このように,閉校後に復活した小学校は,リストの中では他にありません。
住宅地図(S.57)の文マークの奥には「岡山県畜産公社 桜野牧場」という施設があり,この牧場が小学校の復活と関係している様子です。
これらのことを桜野を訪ねる前に知っていたとすれば,学校跡を目指す探索に出かけていたに違いありません。口惜しい気持ちもありますが,これからこのような偶然は,起こりそうにありません。桜野は,「廃村 千選」の旅(=「全県踏破への道」)を続ける上で,特別な存在になりそうです。

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# 1-8
「廃村 千選」で取り上げた八雲町の廃校廃村(=「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」)は8か所(落部御料,桜野,熊嶺開拓,上鉛川,八雲鉱山,八線,富咲,夏路)で,桜野を除く7か所は廃村です。道南の比較的過ごしやすそうに見える八雲町に,これほどの廃校廃村があるとは意外でした。
八雲町の廃校廃村は小規模なところが多く,町史には「学校の最後の児童は教職員の子供だった」という例も記されていました。
「熊嶺荘」からは八雲駅までの送迎もできたのですが,帰りも野田生駅までお願いしました。野田生発は午前10時49分の長万部行き普通列車。長万部からは倶知安を経由してこの日泊まりの小樽に向かいました。魚は食べ飽きてきたこともあり,小樽の夕食は「松尾ジンギスカン・小樽店」となりました。

(追記1) 「廃村(7)」では,「五万分の一 地形図」は五万地形図,「二万五千分の一 地形図」は二万五千図,「ゼンリンの住宅地図」は住宅地図と略して記します。

(追記2) 八雲町の廃校廃村8か所は,平成24年5月,「廃村(7)」の最後の旅ですべて訪ねることができました。その際,落部御料の集落名は,二股が正しいことがわかりました。



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