レンタサイクルで旅籠町の廃村を訪ねる

レンタサイクルで旅籠町の廃村を訪ねる 福井県南越前町板取

廃村 板取(いたどり)に残る,甲造り型萱葺き屋根の家屋です。


2007/11/10 南越前町(旧今庄町)板取

# 5-1
平成19年11月8日(木),関西に職場の仕事で出張があり,「この機会に」と翌日を休みとして,9日(金)から11日(日)まで3連休を作りました。
ちょうど京都精華大学での講義「日本の廃村の現状とこれから」(平成20年1月16日実施)の構想を練っていた頃,廃村が活用されている例として「これは是非見ておこう」と思いついたのは,かつて北国街道の関所・宿場(板取宿)が置かれた福井県旧今庄町の板取(Itadori)です。
板取では,往時の萱葺き屋根の民家が保存されており,そこに行政が募った新しい住民が暮らされているとのこと。旅籠町の廃村は,全国で5か所。そのうち愛媛県西条市今宮,長野県飯田市大平,三重県飯南町峠はすでに訪ねており,板取は4か所目です。

# 5-2
11月10日(土)の起床は朝6時半頃,天気は晴れ。堺の実家を出発して,JR大阪駅発朝8時12分の特急「雷鳥」に乗って,敦賀で北陸線のローカル電車に乗り継いで今庄駅に到着したのは10時13分。明るい時間に湖西線に乗ったのは十数年ぶり,関東在住の関西人としては,なつかしいことしきりです。
今庄駅から歩いて10分ほどのところには「ふれあい会館 今庄サイクリングターミナル」という施設があり,10kmほどの距離にある板取には自転車(マウンテンバイク)を借りて出かけました。自転車は160台もあり,気候のよい時期には団体が使われるのかもしれません。
今庄から3kmほどの大門には,堺小学校(昭和47年閉校)跡の2階建て木造校舎が建っており,コンクリート造の二宮金次郎像も健在でした。

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# 5-3
大門には「今庄そば道場」という施設があり,ここでお昼にする予定だったのですが,予約制でそば打ちをして食べるそうで,思惑は外れました。
「そばは今庄市街に戻ってから食べましょう」と気を取り直し,R.365を大門から2kmほど上がると,孫谷というバスが折り返す小集落がありました。集落内の道を走ると,ダイコンを吊るした軒先でくつろぐネコを発見。何気ない生活感が心を和ませます。
自転車では少しきつい坂をゆっくりと上がり,板取に到着したのは午後12時20分。今庄市街寄りの板取は下板取と呼ばれます。橋を渡って集落内の道に入ると,「板取宿の由来」という古びた案内板が迎えてくれました。案内板の裏手にはお墓があり,往時はここに光養寺というお寺があったようです。


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# 5-4
地図で下板取を見ると,直下に北陸トンネル(昭和37年開通)が通っていることがわかります。頸城トンネルの筒石駅(高低差40m)のようにトンネル内地下駅ができていたら面白かったところですが,下板取とトンネルの高低差は230mもあり,計画当初から地下駅の構想はなかったそうです。
「今庄町誌」に記された明治期と思われる下板取の戸数は23戸。集落内の道沿いには5戸ほどの家屋があり,わずかに往時の雰囲気を残しますが,孫谷のような生活感はありません。板取は豪雪を契機に昭和57年頃廃村となり,「角川地名大辞典」には板取の戸数はゼロ(S.60)とあります。現在,住宅地図に記されている戸数は下板取1戸・上板取2戸(H.20),下板取では,往時住まれていた方が農作業などで来られるとき家屋を使われている様子です。


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# 5-5
下板取では,集落の中ほどにある白山神社に立ち寄りました。苔むした参道が印象的な神社は,小休止するにはちょうどよい雰囲気です。
下板取と上板取は600mほど離れており,地形図(今庄,S.41)にはその中間に文マークが記されています。何かしら痕跡を見つけたいところです。
堺小学校板取分校は,へき地等級1級,児童数35名,学制を受けた明治6年開校,昭和41年休校を経て昭和47年閉校。往路でも復路でも「何か痕跡はないか」と気になる場所を探しましたが,復路の下板取で出会った地域の方のお話によると,「分校跡は国道の改良工事で道路となって,今はなにも残っていない」とのこと。結局,学校跡は,本校(堺小学校)の2階建て木造校舎と二宮金次郎を見ることができたので,よしとすることになりました。

# 5-6
栃ノ木峠寄りの上板取がこの旅の目的地です。関所跡・宿場跡がある上板取は,「板取の宿」として綺麗に整備されており,「板取宿の由来」の案内板も新しく観光地仕様です。駐車場に自転車を置いて歩きはじめた石畳の道の始まりには,関所風の門構えがありました。
「今庄町誌」に記された上板取の戸数は29戸。駐車場近く,石畳の道から脇へ上がったお墓は,往時の集落の規模を感じさせる大きさでしたが,周囲には畑が見られる程度です。しばらく歩くと「板取の宿」を代表する古くからの萱葺き屋根の民家が見え始めました。正面の二階の屋根が甲型になっていることから甲造り(かぶとづくり)と呼ばれる民家には,雪国らしい重厚感があります。家屋の近くには,スケッチをする女性の姿がありました。


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# 5-7
甲造り型萱葺き屋根の家屋は4戸で,住民の方が暮らされているのは2戸。「この国の民家と風土」Webには,無人となり荒れた家屋の姿(S.63)が掲載されています。その後 平成4年頃,行政(旧今庄町)が周囲の整備とともに家屋の保存のため新しい住民を募り,今の姿に落ち着いたのは平成8年のこと。
家屋は人が住むことで,空気が入れ替わり,建物の手入れがなされます。この行政の取組みは「集落,家並みを保存させる」の実践例として特筆すべきものではないかと思います。なお,板取の宿場としての役割は,明治末期には終わっていたとのことです。
家並みの終わりには板取関所跡の標柱があり,先には今庄365温泉・スキー場などの施設があるのですが,予定通り宿場跡で折り返しました。

# 5-8
上板取から先,旧北国街道(R.365)の栃ノ木峠は冬季は雪のため通行止になりますが,木ノ芽峠トンネルを越えるR.476は通年通行できます。トンネルの開通は平成16年春のこと。冬季に行止まりとなっていた頃とは,また雰囲気も変わったのではないかと想像されます。
板取分校跡探索をあきらめて,自転車で板取を後にしたのは午後1時半頃。帰り道は下り坂ということで,20分ほどで今庄市街まで戻っていました。今庄ではそばを食べた後,駅に午後2時56分の敦賀行が来るまで,宿場町を探索したりして過ごしました。
浦和への帰り道では,名古屋で途中下車して,「門入キャンプ」の村上さん,水上さん夫妻など,徳山村つながりの友人達でオフ会を行いました。

(追記1) 上板取の関所風の門構えの画像は,同時期に板取を訪ねられた水上さんに提供していただきました。

(追記2) 北陸三県(富山,石川,福井)は「廃村千選」では西日本編に入っているのですが,「全県踏破への道」では,西日本に未訪県が多いこと,関東・甲信越・東海を「廃村(3)」でまとめていることなどから,「廃村(7)」東海・北陸以東としてまとめました。



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