徳光さんに感謝! 山形の廃村めぐり

徳光さんに感謝! 山形の廃村めぐり 山形県大石田町大林,藁口,小平

廃村 小平(こだいら)に向かう道の途中で見かけたヤマユリの花です。



2008/7/20 大石田町大林,藁口,小平

# 8-1
「徳光和夫の逢いたい」秋田ロケの後,夜に矢島から新庄へ移動したのは,翌日,県単位で初訪の山形県の廃校廃村を訪ねようと思ったからです。
山形県の廃校廃村の数は77か所で,北海道(275か所),新潟県(81か所)に次ぎ全国3番目,面積に対する廃校廃村の密度は日本一です(114平方km/箇所)。そのうち,冬季分校の廃校廃村の数は32か所(42%)で,同じく雪国の新潟県(47か所)に次ぐ数です。
山形新幹線(奥羽本線)を途中下車して行ける場所ということで,選んだのは新庄にほど近い大石田の廃校廃村です。大石田町の人口は8,355名(H.20),新幹線の駅がある自治体としては全国で最も少なく,それほど広くない面積(80平方km)の中に廃校廃村は4か所あります。

# 8-2
4か所のうち,小平(Kodaira)と藁口(Waraguchi)は農山村,大林(Oobayasi)と三和(Sanwa)は炭鉱関係の集落です。炭鉱集落のうち,大林は古い地形図(尾花沢,S.30)に載っていますが,三和は横山小学校の冬季分校があったということ以外手がかりがなく,今回訪ねる計画から外れています。
平成20年7月20日(日),起床は7時頃,天気は曇り時々晴。新庄から奥羽本線のローカル電車に乗って,大石田に到着したのは朝9時18分。
駅に町役場が運営するレンタサイクルがあることは,事前のネットからの情報で知っていましたが,大石田がそばの名産地で,手打ちそば屋が多くあることは,観光案内のチラシを見て知ったことです。レンタサイクルは主にそば屋めぐり用のようですが,廃村めぐりにも重宝です。



# 8-3
円形校舎が印象的な大石田第一中学校の前を過ぎ,最上川にかかる橋(大橋)を渡ったあたりで,自転車の空気圧が弱いことが気になり始めました。「どうしようかな」としばし考え,横山小学校の方向に走ると,すぐ左手に昔ながらの自転車屋がありました。なかなか運は良さそうです。
自転車屋からは,最上川に沿って下流の方向に進みました。4つの廃村はすべて川の左岸にあるのですが,左岸の川沿いの道は黒瀧で途切れます。三和冬季分校の所在地は大字川前。黒瀧から少し山へ入ったところと思われるのですが,地域の方とは出会えず,向川寺をちらりと見て先を急ぎました。
黒瀧橋を渡り,川の右岸,亀井田橋の手前の小学校(豊田小学校)は大林分校の本校です。本校の情報は,廃校廃村の様子の推定にも役立ちます。

# 8-4
大林分校の所在地も大字川前ですが,本校が異なることから,三和と大林のつながりは弱かったことが推測されます。亀井田橋を渡った川前には最上三十三観音の札所(観音堂)があり,観光の方々が見られます。名所案内の看板を見ると「旧小平道路」という標記があり,これを目指して走りました。
少し山に入り,農作業をされるご夫婦がいたので,挨拶をして,三和,大林,小平のことを尋ねると,「このあたりは昔炭鉱があって…」と話がつながりました。「三和という炭鉱集落はあったが,今は何も残っていない」,「大林までは行けると思うが,小平にはおそらく行けないだろう」など,参考となるお話をうかがいました。文献にはほとんど記されていない炭鉱でも,地域の方の記憶には刻まれていることが実感できた貴重なひとときでした。

# 8-5
大林,小平に向かう道の途中の山林は,町民の森として整備されている様子で,細いダートの道ながら安心して走ることができます。
川前から2kmほど,特徴のあるカーブのおかげで現在地の特定ができ,枝道に少し入った大林の集落跡に到着することができました。しかし,集落の痕跡は何もなく,わずかに畑の跡が見られるだけです。往時は川の両側に家屋があったようですが,川が流れる谷間には向かうことはできませんでした。
豊田小学校大林分校は,へき地等級1級,児童数 6名(S.34),大正11年開校,昭和36年閉校。ちなみに,横山小学校三和冬季分校は,へき地等級1級,児童数 8名(S.34),昭和30年開校,昭和35年閉校。両校とも,地形図に文マークはなく,分校がどこにあったのかは,知る術もありません。


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# 8-6
カーブの箇所から少し進むと,道を遮る草藪があり,大林からの小平行きは断念となりました。道は,大林に通われる方が手入れされているようです。
川前まで戻って,大浦から先の上り坂はきつく,汗をかきながら自転車を押して進みました。峠を越えて少し走ると,次年子(Jinengo)を経由して小平へ向かう道と藁口に向かう道の三差路があり,どちらへ進むか判断がいりましたが,下り坂で行きやすそうな藁口から回ることになりました。
藁口到着は午後12時45分。集落の大字は大浦です。着いてすぐに「わらぐちそば」という古民家を使った手打ちそば屋が見つかり,昼食には最高のタイミングです。しかし,そば屋は満員のお客があり,のんびり待つ時間的余裕はありません。残念ながらそばは次年子までお預けとなりました。

# 8-7
藁口には大石田から新庄へ向かう県道が走り,青い屋根の家屋が数戸あり,田畑も多くありますが,人の気配はなく,よく見れば廃村とわかります。
「白鷹山系と朝日山系の廃村化過程と移住域」(本間惣太郎, 東海林至之著,本間惣太郎刊,以下「白鷹山系」と略す)には,山形県の農山村の廃村38か所(うち廃校廃村は22か所)について,離村時期,規模等が記されており,藁口は「昭和48年離村,戸数9戸,うち8戸は町内に移転」とあります。
駒籠小学校藁口分校は,へき地等級2級,児童数12名(S.34),昭和21年開校,昭和48年閉校。「分校跡はこのあたりかな」と,県道から枝道に少し入ると,天然記念物指定のコナラの大木が見つかりました。後に調べた二万五千図には,コナラの少し先に文マークがあって,悔しいことしきりです。

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# 8-8
藁口から次年子までは,ゆるい上り坂が続きます。三差路を過ぎて少し進んだところには,外山(Sodeyama)という小規模な廃村がありますが,廃校廃村ではないので,外山橋の名前を確認しただけで通過です。「白鷹山系」には,外山は「昭和47年離村,戸数3戸,3戸とも町内に移転」とあります。
次年子到着は午後1時35分。山間にしては大きな集落で,次年子小学校の昭和34年の児童数は207名,しかし,へき地等級は4級でした。円形校舎の次年子小学校は長く存続しましたが,平成17年に閉校となりました。円形校舎,閉校時期は後に知ったことで,知っていれば行きたかったところです。
お楽しみの「手打ち次年子そば」もお客は満員で,そばが出てくるまでずいぶん待ちました。大石田のそばは,山形県では有名なのかも知れません。

# 8-9
次年子から小平へ続く道は,大石田鉱山(主要鉱物はケイ砂)へ向かう道と重なっており,路面の舗装が荒れてダートのようになっています。次年子から2km弱で「関係者以外立入禁止」という看板があり,その先は鉱山施設のようですが,日曜日のためか人の気配はありません。
看板の少し手前,左側に山道がありましたが,小平に続く道なのかどうかははっきりしません。地図を見ると小平までの距離は2kmほど。一か八か,自転車を置いて山道を歩き始めました。山道には人の気配はないものの,草で埋もれた箇所はなく,道中引き返すことも考えましたが,「道が続く限りは,引き返したくない」と考えるのは趣味人の性です。幸いにも歩き始めて30分ほどで,家の敷地の石垣と木製の電柱が見つけることができました。


# 8-10
次年子小学校小平分校は,へき地等級3級,児童数15名(S.34),明治36年開校,昭和48年閉校。へき地等級が次年子小学校よりも低いことから,大林経由の「旧小平道路」が主要道だったことが推測されます。「白鷹山系」には,小平は「昭和47年離村,戸数24戸,うち23戸は町内に移転」とあります。
電柱の場所から少し歩くと,一軒の古い二階建の家屋が見つかりました。私が見出せた家屋はこの一軒だけで,とても23戸もあった場所とは思えません。家屋の少し先には沼があり,沼の近くには土木作業の方の小屋が建っていました。地形図の神社マークは,沼の少し先になのですが,沼より先には草藪のため進めませんでした。後に二万五千地形図で見た文マークも沼の少し先にあり,小平集落跡の大部分は藪に埋もれてしまったようです。

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# 8-11
小平を後にして,次年子まで戻ったのは午後4時10分で,自転車の返却期限は夕方5時。次年子から大石田までは約15kmもありますが,大浦まではほとんど下り坂,大浦からは大石田までのんびり走って5時5分前に自転車を返すことができました。7時間半,約40km乗って,500円はお値打ちでした。
大石田から新幹線に乗れば,約3時間で大宮到着です。矢島から南浦和までの交通費,宿代を持ってくれた徳光さんもしくはTBSテレビには感謝です。
平成20年,新たに訪ねた廃村がある県は,6月の石川県に続き,山形県が二つ目です。しかし,その後は「廃村(3)」のまとめ,「廃校廃村・高度過疎集落」リストのまとめ,「続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅」などのため,新たに訪ねた県はふたつだけ,残り17県で年を越すことになりました。

(追記) 「徳光和夫の感動再会“逢いたい”」の「廃村で出会ったおばあさんに逢いたい」は,TBSテレビでは7月31日(木)に放映されました。秋田後追いロケの内容は,なぜかお蔵入りになったようです。

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