続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅(1)

続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅(1) 新潟県上越市上綱子,儀明,
_______________________津南町樽田

高度過疎集落 上綱子(かみつなご)にて。左から私,工事警備の方,地域の方です。



2008/8/4 上越市(旧高田市)上綱子,儀明,津南町樽田

# 9-1
「廃村(3)」のツーリング「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」では,静岡県磐田市(天竜川河口)から新潟県糸魚川市(姫川河口)まで,延べ7日間で18か所の廃校廃村をめぐりました。磐田出発は平成20年4月27日(日),糸魚川到着は8月3日(日),何度かに分けると大きな旅ができるものです。到着の翌日(8月4日(月)),午前中は,糸魚川市内の3つの廃校廃村(虫川,菅沼,橋立)をめぐり,「列島横断の旅のアンコール」を楽しみました。
糸魚川からの帰路では,津南町百ノ木のなじみがある農家民宿「もりあおがえる」で泊まる計画を立てました。このため,その間にある廃校廃村,上越市(旧高田市)上綱子(Kamitsunago),儀明(Gimyou)に足を運ぶことになりました。糸魚川から津南には,おおむね西から東に進むことになります。

# 9-2
平成20年8月4日(月)午後,昼食をとってから糸魚川市街を出発したときには,朝降っていた雨はあがり,日本海沿いのR.8は快晴です。ツーリングはkeiko(妻)と二人旅。「海沿いの道でこれだけ天気がよいと気持ちいいでしょう」と話すと,返事は「昼食の後で眠たい」でした。
上越市に入り,有間川からは山の道を選びました。途中,下綱子から中ノ俣を結ぶ県道は林道並みに細く,「間違えたのでは…」と心細くなりました。そのうちに視界は開けて,到着した中ノ俣は,山間としては大き目の集落で,「地図インフォ」Webの地域情報では51戸,96名(H.18)。中ノ俣小学校の児童数は139名,へき地3級(S.34)。平成11年の閉校後は「地球環境学校」という上越市が運営する体験型の学習施設になっているようです。

# 9-3
ひとつ目の目的地,上綱子到着は午後2時40分。集落名を記した看板は重宝です。集落の中心に掛かる橋は架け替えの工事をしていて,工事警備の方が居たので,橋のそばにバイクを停めて,ご挨拶をして集落のことを尋ねると,「この人に聞くといいよ」と近くにいた地域の方に声をかけてくれました。
話をすると,賑やかな警備の方(金井さん)は上越市東部の旧安塚町から通われているとのこと。地域の方(丸山さん)に「上綱子にはどのぐらい住まれているのですか」と尋ねると,「3戸で5名」との旨お返事をいただきました。住宅地図でも3戸(H.18),「地図インフォ」Webの地域情報でも3戸,6名(H.18)。「5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落」という高度過疎集落の定義に当てはまることは間違いなさそうです。

# 9-4
もうひとつ,丸山さんには「冬季分校はどこにあったのですか」と尋ねたところ,「県道から少し入ったところにある」とのお返事。連れていってもらうと,草に埋もれながらも,しっかりとした建物が見つかりました。住宅地図では「上綱子公民館」と記された建物です。
中ノ俣小学校上綱子冬季分校は,へき地等級3級,児童数19名(S.34),明治35年開校,昭和50年閉校。丸山さんによると「冬季分校は公民館兼用で,昭和40年代に今の建物となった」とのこと。確かに,学校跡というよりは公民館跡なのですが,側面には「中」の文字がデザインされた校章が飾られていました。「中」というと中学校みたいな感じがしますが,本校の中ノ俣小学校を示すデザインのようです。

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# 9-5
上綱子では,20分ほど金井さん・丸山さんとお話をして,なごやかなひとときを過ごしました。TBS「徳光和夫の逢いたい」のオンエア(7月31日(木))からすぐということもあり,思い付いて出発前,三人の集合写真を撮りました。こんな時,keikoが一緒にいると,とても助かります。
次の目的地,儀明到着は午後3時25分。ここでも集落名を記した看板が迎えてくれました。儀明の戸数は,住宅地図では0戸(H.18),「地図インフォ」Webの地域情報でも0戸,0名(H.18)。廃村に違いないのですが,地域の方が出入りしている様子があり,上綱子との差はほとんどありません。
中ノ俣,上綱子,儀明と,高田市街に近づく方向に,過疎集落,高度過疎集落,廃村と続いているのは,ちょっと不思議な感じです。

# 9-6
黒田小学校儀明分校は,へき地等級2級,児童数19名(S.34),明治30年開校,昭和50年閉校。バイクを停めて,県道から枝道に入ると,「分校跡かも」という建物がありましたが,確認するにも地域の方の姿がありません。「地域の方が居る村のほうが,無人の村よりも面白い」と強く感じられるひとときです。探索は20分ほど続けましたが,結局儀明では,誰にも出会えませんでした。
上越市(旧高田市)には,あと二つ,塩荷谷(Shionidani),後谷(Ushirodani)という廃校廃村があるのですが,高田市街に行くには遠回りになるため,行く計画は立てませんでした。一度にたくさんの廃村をめぐっていると,だんだん執着が弱くなるようです。

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# 9-7
高田市街は細い道をつないで通過。高田から津南町へ向かうR.405には「棚田ハイウェイ」という愛称があります。穏やかな夏の日差しの下,旧牧村,旧安塚町と,棚田を見ながらの走りはすこぶる快適です。
旧松之山町に入り,2年前(平成18年10月)には通行止だった津南町の廃村 樽田(Taruda)へ向かう道は,どこが崩れたのかわかりませんでした。
かつて炭鉱で賑わったという樽田に2年ぶりに到着したのは夕方5時35分。時間があったので「再訪のご挨拶」ということで,ひとりで石段を上がって十二神社を訪ねました。日は長くて明るかったのですが,樽田でも,誰にも出会いませんでした。

# 9-8
樽田から百ノ木までなじみの道を走り,「もりあおがえる」に到着したのはまだ明るい夕方6時15分。糸魚川(姫川河口)からの走行距離は127kmでした。
私は3度目,keikoは初めての「もりあおがえる」では,宿主さん(中島さん)夫妻と一緒に,持参した「徳光和夫の逢いたい」のビデオを見たりしながら,まったりと夜を過ごしました。
翌日(8月5日(火))は,「廃村(3)」の旅の千秋楽と銘打って,長野県栄村(秋山郷)五宝木(Gohougi),飯山市沓津(Kuttsu)を回りました。
この時,この糸魚川から津南までのツーリングが,3か月後に「続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅」へと発展するとは,思いもよりませんでした。

(追記1) 「地図インフォ」Web(日本地図センター)は,平成21年4月,このレポート作成の際,「上綱子」の検索から見つけました。廃村の調べにも役立つ,情報量の多いWebが発見できました。

(追記2) 「廃村(7)」の冊子編集時(平成25年4月)に作った新旧地形図の比較資料によって,儀明の分校跡は,「カーブのところにある縦長長方形で示されたものではないか」と,はっきりと特定することができました。再訪できたら,確かめたいところです。



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