続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅(3)

続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅(3) 福島県檜枝岐村赤岩平,小沢平,
____________________________南会津町八総鉱山

廃村 八総鉱山(やそうこうざん)に残る,往時の小学校の建物です。



2008/11/2 檜枝岐村赤岩平,小沢平,南会津町(旧田島町)八総鉱山

# 11-1
平成20年11月2日(日)(旅2日目)午後,新潟県旧湯之谷村鷹ノ巣,分校跡前のR.352から枝道に入って訪ねた福島県檜枝岐村赤岩平(Akaiwadaira)は,只見川を挟んですぐそば。鷹ノ巣の三差路から県境(只見川)までは200m弱で,その様子はR.352からも見えるほどです。
赤岩平と,昭和61年夏に尾瀬に向かう途中で立ち寄り一泊した檜枝岐村小沢平(Kozoudaira)は,ともに戦後の開拓集落で,古い五万地形図(檜枝岐,S.35)には,小沢平, 赤岩平は記されていません。また,やや新しい五万地形図(檜枝岐,S.44)を見ると,鷹ノ巣と赤岩平の文マークの距離は400mほど。県境を挟んでいるとはいえ,山のど真ん中でこれほど接近した文マークは他に心当たりがありません。


# 11-2
只見川にかかる橋(赤岩橋)を渡ると,すぐ左手には「民宿只見川」という看板がある建物の廃墟。少し進むと数戸の家屋がありましたが,人の気配はありません。橋から200mほど,「赤岩小屋」と看板がある山小屋風の建物の前から道はダートに代わり,その先は小さな作業小屋が見られるだけです。
檜枝岐小学校赤岩分校は,へき地等級5級,児童数11名(S.34),昭和32年開校,昭和44年閉校。地形図の文マークは「赤岩小屋」の対面なのですが,気配を感じさせるものは何もありません。R.352にはまずまずの交通量があっただけに,赤岩平は寂しい感じが引き立ちます。
「赤岩小屋」の扉には板が張られていましたが,前にはマキが積まれていて穏やかな雰囲気があったので,ここで小休止しおにぎりを食べました。

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# 11-3
この地域にはもう一か所,檜枝岐村のほうに大津岐(Ootsumata)という廃校廃村があります。檜枝岐小学校大津岐分校は,へき地等級5級,児童数6名(S.34),昭和12年開校,昭和36年閉校。ここも目標のひとつでしたが,R.352からの枝道がわからず,先を急ぐことになりました。
鷹ノ巣に戻ってR.352を南へ進むと,「清四郎小屋」という山荘があり,宿の前には「会津バス 鷹ノ巣停留所」と書かれたバス停がありました。このバスは,尾瀬口(奥只見ダム)から沼山峠まで,尾瀬登山のための予約制バスで,運行は6月初旬から10月中旬までとのこと。
再び県境を越えて小沢平に到着したのは午後1時40分頃。22年前に泊まった「尾瀬口山荘」は健在でしたが,人の気配はなく,閉ざされて久しい様子です。

# 11-4
檜枝岐小学校大杉分校は,へき地等級5級,児童数8名(S.34),昭和28年開校,昭和48年閉校。大杉は,近くの山の名前(大杉岳)に由来します。地形図に記された文マークは,「尾瀬口山荘」よりもやや鷹ノ巣寄りに記されていますが,気配は感じられませんでした。
小沢平からは御池(標高1500m)まで上って,40分走って檜枝岐(村役場所在地)に到着。鷹ノ巣から檜枝岐までは35km。檜枝岐村は人口 677名(H.20),人口密度 1.73ku は 全国 1799自治体中 最小というへき村ですが,樹海ラインを抜けてたどり着いた集落は,ずいぶん大きく感じられました。
檜枝岐で休憩した後は,R.352を離れて林道を経由して,旧舘岩村木賊温泉までまわり道。カラマツの葉が落ちた林道は,閑散としていてよい感じです。

# 11-5
木賊(とくさ)温泉は平成2年夏にツーリングで泊まっており,18年ぶりでなつかしい。あの時は乗り始めだったBAJAも,もう18年もの付合いです。旧舘岩村穴原からはR.352に戻り,中山トンネルを抜けると,この日最後(7つ目)の目標,旧田島町八総鉱山(Yasou-kouzan)もあと少しです。
八総鉱山の主要鉱物は銅。鉱山街には2300名(最盛期)が住んでいましたが,鉱山は昭和45年に閉山し,翌年には無住の地となりました。小学校跡の建物は,神奈川県の野外研修施設として使われ,平成19年からは「あらかい健康キャンプ村」という滞在型の宿泊施設として使われています。
R.352から野岩鉄道会津高原駅の少し手前で枝道に入り,何もなさそうな森の中を2kmほど走ると,「これではないか」という広がりが見つかりました。

# 11-6
八総鉱山小学校は,へき地等級無級,児童数365名(S.34),昭和25年開校,昭和46年閉校。バイクを停めて,紅葉が綺麗な橋を渡り少し歩くと,往時の繁栄を物語る「田島町立八総鉱山小学校」と記された石造りの門柱,大きな二階建の木造校舎が迎えてくれました。
「あらかい健康キャンプ村」のことは,校舎の入口の「化学物質や電磁波などの環境汚染物質を極力低減させた,脱環境汚染物質を掲げた会員制のロハスリゾート」と記された貼り紙で知りました。人気はあるのですが,声をかけづらい感じがあるのは,会員制の施設だからのようです。
しかし,山中の鉱山街の跡地に,往時の大きな木造校舎が綺麗に残されているというのも類を見ないことで,たどり着けた満足度は高かったです。

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# 11-7
11月の日暮れは早く,八総鉱山を後にした頃(午後4時半頃)にはどんどん空は暗くなり,会津高原駅付近からは夜間走行となりました。
R.121に入って,山王トンネルを越えると栃木県旧藤原町。県境を超えると,紅葉の季節のためかじわじわクルマは増え始めました。R.400に入り,尾頭トンネルを越えて旧塩原町の温泉街にかかったあたりからは,詰まったクルマの脇をすり抜けながらの走りとなりました。
旧塩原町の前妻の実家に到着したのは夜5時50分。この日の走行距離は278kmでしたが,樹海ラインの走破があり,走り応えがありました。
塩原の実家は,平成18年3月以来2年半ぶり。お母さんとふたり,元気に過ごせていることを喜び合いながら,ひとときを過ごしました。

(追記) 「廃村(7)」の冊子編集時(平成25年4月),新旧地形図の比較資料を作成するため,五万地形図(糸澤,S.36)の写しを入手することで,鉱山の施設が学校よりも奥にあったことを知りました。



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