続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅(4)

続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅(4) 福島県棚倉町中ノ沢,塙町入山,
_____________________________いわき市八茎鉱山

廃村 中ノ沢(なかのさわ)に建つ,「暁の光の如く」と記された石碑と,分校跡の標柱です。



2008/11/3〜4 棚倉町中ノ沢,塙町入山,いわき市八茎鉱山

# 12-1
平成20年11月3日(月・祝,旅3日目)の起床は朝7時頃。朝食をとって,お墓参りに行って,塩原の実家を出発したのは9時少し前。まず「廃村(3)」番外編の一つ目の目標,茨城県大子町相川新田へ向かい,相川新田からは進路を北に取り,茨城・福島県境の八溝山の方向にバイクを走らせました。八溝山は茨城県一の標高(1022m)を誇りますが,頂上のすぐそばまで車道が通じており,駐車場から5分ほどで頂まで行くことができました。
八溝山を過ぎて,県境の尾根沿いの林道を走り,まず目指したのは福島県棚倉町の林業集落の廃村 中ノ沢(Nakanosawa)です。山の上から道を下りながらというのは,珍しいアプローチです。中ノ沢に向かう道の入口には「通行止」の看板と柵がありましたが,もちろん突破です。


# 12-2
ダートの林道は貸切り状態。広葉樹の枯葉が積もる川沿いの道は秋の風情満点で,オフロードバイク乗りとしてはただ走っているだけで満足です。
「林道八溝山線 棚倉町中ノ沢」という看板を見て,「痕跡はこの看板ぐらいかなー」と写真を撮りながら走っていくうちに,視界が開けて現役の土場(木材の集積場)にたどり着きました。林業集落と土場のかかわりは深いということで,土場の片隅にバイクを停めて,探索の開始です。
進行方向にしばらく歩くと,左手に石碑と標柱が並んで立っていました。わくわくしながら面を見ると,石碑には「暁の光の如く 東京営林局技術員養成所跡」と,標柱には「久慈川分校跡」と記されていました。土場の看板にも「中の沢土場」と記されており,集落跡への到着を強く感じました。

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# 12-3
高野小学校久慈川分校は,へき地等級2級,児童数24名(S.34),昭和5年開校,昭和40年閉校。久慈川はこの地を流れる川の名前で,中ノ沢を源として,遠く太平洋(茨城県日立市)まで流れています。手元の地形図(塙 S.49)には文マークはなく,期待薄の探索の中,成果が上がり大満足です。
さらに少し進むと,再び通行止の看板があり,突破は難しそうです。棚倉町の中心部から中ノ沢に向かっているとたどり着けなかったのかもしれません。
八溝山の方向に戻り,次に目指したのは塙町の林業集落の廃村 入山(Iriyama)です。尾根沿いの林道から分岐するダート(林道真名畑八溝線)は相当な距離があり,走り応えがあります。やがてたどり着いた入山の中心地らしき土場には,「畑の沢第3土場」という看板が立っていました。


# 12-4
高城小学校入山分校は,へき地等級3級,児童数59名(S.34),昭和13年開校,昭和39年閉校。分校跡の特定はできませんでしたが,山の神様(大山祇神社)を見つけることができました。神社の近くには「入山国有林」を示す看板があったので,入山に到着した記念に写真を撮りました。
山を下って矢祭町の県道では,「福島県庁を郡山市へ 県庁移転を推進する会」という看板を見かけました。後で調べると,郡山市の人口,人口増加率はともに福島市に勝ります。さらに,郡山市は県中央部なのに対して福島市は県北部。福島県は,県庁移転の可能性がいちばん大きい県かもしれません。
久しぶりの市街地,矢祭町の中心部(東館)には午後2時半頃到着。コンビニに立ち寄ってパンを買って,少し遅めの昼食休みです。

# 12-5
東館からは,「廃村(1)」以来9年ぶりの矢祭町追分,塙町殿畑,「廃村(3)」番外編の二つ目の目標,茨城県北茨城市小川(小川小学校跡)を経由し,JR常磐線大津港駅近くのビジネスホテル「さかえや」へ向かいました。大津港駅に到着したのは日も暮れた午後5時10分。この日の走行距離は205kmでした。夜の大津港駅近辺は,コンビニ以外に入れそうな店は見当たりません。宿の予約時に夕食を頼んでおいたのは正解でした。
翌11月4日(火,旅4日目)の起床は未明の5時頃。大津港駅から太平洋(北茨城市大津港)まではわずか2km。日本海(新潟県糸魚川市)から延べ日数4泊5日で走った「続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅」の旅のゴールを日の出の頃の海辺で飾ろうと思ったからです。

# 12-6
大津港ではまだ暗く,海に突き出た五浦(Idura)海岸でもほのかに明るいぐらい。「日の出は見通しがきく砂浜がよいかな」と,県境を越えて福島県いわき市勿来(Nakoso)まで進みました。バイクを停めたのは,R.6の勿来関検問所のすぐそばです。勿来の浜の日の出は朝6時15分頃。天気はとてもよく,浜辺を散歩される方の姿があります。印象深い日の出が見られたということで,旅のゴールは勿来にしようと決めました。
「続・列島横断 廃校廃村をめぐる旅」,糸魚川(姫川河口)から勿来(勿来関)までの全走行距離は682km(直線距離は260km,中間点は福島県檜枝岐村御池あたり),訪ねた廃校廃村は14か所。「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」と比べると,全走行距離は48km増,廃校廃村の数は4か所少なくなりました。

# 12-7
まだ一日は始まったばかり。「アンコールはやはり廃村でしょう」ということで、最寄りの廃校廃村 いわき市八茎鉱山(Yaguki-kouzan)を目指すことになりました。いわき市の面積はとても広く(1231ku),勿来関から小名浜,塩屋崎,四ツ倉経由で鉱山の入口に着くまで2時間半かかりました。
八茎鉱山は石灰を産出する今も稼働する鉱山で,山の中に赤い屋根の選鉱場の建物が目立ちます。建物からさらに山へと進んでいくと「銅山林道」という看板があり,「昔は銅も産出されていた」という歴史が垣間見れます。ダートをゆっくり進むと,右手にお地蔵さんが見つかったのでご挨拶。この辺りは桜木町という集落があったそうです。そして,お地蔵さんの少し先の左手に,目指していた「八茎分校跡」の標柱が立っていました。

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# 12-8
大野第一小学校八茎分校は,へき地等級1級,児童数15名(S.34),明治39年開校,昭和38年閉校。標柱には左向きの矢印が記されていましたが,先には藪があるだけで,分校があったという雰囲気は残っていませんでした。頼りげのない古びた標柱ですが,探索者にとってはありがたい存在です。
分校跡から少し進むと,山の神様(銅山神社)があったので,ご挨拶に行きました。目的地に着いたことの実感から,神社を折り返し点としました。
帰り道,四ツ倉の先の海辺の喫茶店でモーニングを頼んだとき,時間はまだ10時前。目的を達成した後は,寄り道はせずのんびり帰るのが似合いです。
小名浜,勿来関,大津港,日立市内と海に近い下道(主にR.6)を走り,日立南太田ICから常磐道・外環経由で南浦和には午後3時15分に帰り着きました。

(追記) 次の全県踏破の旅,岡山県・児島諸島への旅(平成21年1月)は,「廃村(8)」(関西以西)の最初にまとめています。



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