行ってみたらわかる 情報が薄い旅の楽しみ

行ってみたらわかる 情報が薄い旅の楽しみ 岩手県二戸市小端

廃村 小端(こばた)の最寄り(約3km)のバス停です。



2009/8/3 二戸市小端

# 18-1
岩手県の廃村めぐりで,松尾鉱山などと同じく訪ねる機会を楽しみにしていたのは,農山村の廃村・高度過疎集落 二戸市旧浄法寺町下沢(Shimosawa)と,旧福岡町小端(Kobata)です。ともに青森県との県境近くですが,ネット上での情報はなく,地図で見てもどんな場所なのか全く見当がつきません。
事前に国会図書館でコピーした住宅地図では,下沢は4戸(H.18),小端は2戸(H.16)。地形図(浄法寺,S.47)と住宅地図を比較すると,ともに分校跡の特定ができ,かつ建物を示す枠が記されています。他の情報は,分校のへき地等級,児童数,閉校年ぐらいですが,これだけあれば十分です。
行ってみてのお楽しみの下沢,小端の探索は,6月の青森県の廃村めぐりでお世話になった,弘前のかりんさんとご一緒することになりました。

# 18-2
平成21年8月3日(月,旅3日目),起床は6時半頃,天気はあいにくの雨模様。朝食をとって,カッパを着て「ゆきの小舎」を出発したのは朝8時半。
JR八幡平駅でかりんさんと待ち合わせて,雨の中,スクーターとクルマで目指したのは,岩手県八幡平市旧安代町の中心部にある五日市小学校跡で,今は「学校の宿 希望の丘」という宿泊施設になっています。宿泊は満員でできなかったのですが,この機会に訪ねておこうとなりました。
五日市小学校は,へき地等級無級,児童数283名(S.34),統合のため平成15年閉校。校舎は大きな木造2階建てで,入口ではネコが出迎えてくれました。「番犬があるのなら,番猫があってもよいね」とかりんさんと話をしながら,ネコとじゃれていると,宿主さんが来てくれました。


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# 18-3
宿主さん(平櫛さん)とは電話で話したこともあり,すぐに打ち解けることができました。「学校の宿 希望の丘」は,障害者や高齢者も安心して過ごせる宿をコンセプトとしていて,そば打ち,もちつき,ジャムづくり,薪割りなど,農林業体験のメニューもあります。
入口に「珈琲」のノボリがあったので,「コーヒーは飲めますか」と尋ねると,「食事・喫茶は11時から2時までなんですよ」とのこと。しかし,学校跡での食事は給食みたいで面白そうです。「営業中に学校の宿へ戻って,ランチにしよう」と話すと,かりんさんも了解とのこと。続いて宿主さんには,往時の教室をそのままに残しているという部屋に案内していただきました。元教師の私は,教壇の椅子に座ってその雰囲気を味わいました。

# 18-4
雨ということもあり,スクーターは置いて,かりんさんのクルマに便乗して学校の宿を出発したのは午前10時半頃。下沢,小端を廻って学校の宿に戻るまでの距離の見積りは86kmですが,「3時間あれば何とかなるでしょう」と,クルマの中では青森に引き続き,かりんさんとの会話がはずみます。
旧浄法寺町の県道は,この辺りの名産品というタバコの畑が見られますが,観光の匂いは皆無です。県道から馬洗場(Umaaraiba)という小集落で枝道に入って,道なりに1km少し走ると,すんなりと下沢に到着しました。下沢の家屋は住宅地図の通り4戸(高度過疎集落の範疇)ですがどれも立派で,廃村・高度過疎集落と言うには違和感があります。集落にはバス停があり,しっかりした待合所には「スクールバス待合所」とも記されていました。

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# 18-5
「いつ頃まで子供がいたんだろうねー」とかりんさんと話しながら,まず目指したのは,やや馬洗場寄りにある下沢分校跡です。川又小学校下沢分校は,へき地等級2級,児童数40名(S.34年),昭和50年閉校。往時は県道沿いの馬洗場,手倉森(Tekuramori)も校区だった様子です。
分校跡へ向かう道の入口には門構えがあり,「どんな感じかな」をわくわくしながら坂を登りました。しかし,たどり着いた分校跡の建物は,後で建てられたらしい農作業の建物で,ふたりともちょっとがっかりです。そんな中,目を惹いたのは,草むらに埋もれながら残っていた赤い屋根の廃屋で,「おそらく往時の教員住宅だろう」という雰囲気がありました。門構えとこの廃屋以外,学校跡を偲ばせるものは残っていませんでした。

# 18-6
分校跡と集落の間にある神社(八幡神社)にも行きました。少し荒れた急な階段を登り詰めた神社には,祠と社殿があって,「来ました」とご挨拶。
下沢では30分ほど探索したのですが,雨の中ということもあってか,地域の方には出会えませんでした。いちばん大きな家屋の窓からは「怪しいヤツらが来た」という視線があって,イヌもわんわん吠えて,気分はさえません。かといって「ごめんください」と扉をたたくのは少し違う感じがします。この辺りが趣味と研究との差がよく出ているところなのでしょうか。廃村めぐりは,できるだけ天気の良い日に行くに限ります。
探索で得た集落の雰囲気と,馬洗場,手倉森にそれぞれ10戸ほどの家屋があることから,下沢は廃村・高度過疎集落リストから外すことになりました。

# 18-7
もうひとつの目標 小端と下沢の間の距離の見積りは14km。手倉森から入った県道を走っているときは「15分もあれば着くだろう」と思った小端ですが,「この道だろう」と選んだ道は,工事現場に突き当たって途切れていました。看板を見たところ,青森・岩手両県にまたがる大量不法投棄地を元の姿に戻すための工事の様子です。作業の方が居たので「小端へ行きたいのですが」と尋ねると,「道を戻って三差路を折れたらよい」との返事を得ました。
教わった道のつもりでダートをたどると,森の中に時折農地が見られるだけで,集落の気配はありません。そのうち下り坂が続き出して,ダートは走り心地の良い道に合流して,たどり着いた青森県田子町道前(douzen)はR.104沿い,カラオケ屋さんがある規模の集落でした。

# 18-8
クルマを停めて地図を確認すると,R.104を田子町の中心部まで走って,二戸市根森を経由して,回り込むように小端を目指すのが正規ルートのようです。しかし,県道から枝道をたどる裏道ルートだと,距離は半分ほどです。しばし迷いましたが「道はあるはず」と判断し,裏道を選びました。
県道からダートの枝道に入ってすぐの場所は,広々とした牧場でしたが,すぐに道に草が茂りはじめ,そのうちに視界が遮られるほどの草丈になりました。「これは戻ったほうが…」と弱気の私に対して,「道筋はわかるから…」とかりんさんは強気です。時速10kmほどで荒れたダートを大揺れで走ると,何とか舗装された道にたどり着いて,ほどなく小端集落の家屋が見えました。下沢を出て小端にたどり着くまで,1時間15分かかりました。

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# 18-9
住宅地図に記された2戸の小端の家屋のうち,1戸は使われていませんでした。1戸だけしか残らない小端には,廃村と同等の雰囲気がありました。
雨が上がったばかりの集落を歩くと,1戸残る家屋から少し離れた道沿いの小屋に番犬風のイヌがいました。こういう場面では,ほぼ間違いなく「怪しいヤツらが来た」と吠えられるのですが,このイヌは落ち着いていて,画像を撮らせてくれるほどの余裕を持っていました。
飼い主には会えなかったのですが,可愛い番犬と出会えてよかったです。小端の家屋は距離を置きながら建っていて,残る家屋はすべて廃屋です。分校跡近くの三差路で舗装道は途切れ,分校跡に向かうダートを少し走ると,住宅地図で分校跡入口の目印と判断した廃屋がしっかり建っていました。

# 18-10
クルマを降りて,「さあ,何が残っているだろう」をわくわくしながら本命の探索開始です。かりんさんは長靴に履き替えて,気合いを入れています。対する私は普段着で,手に持つのは住宅地図です。山道のような坂を登っていると,「その先に分校があった」という雰囲気が感じられました。
根森小学校小端分校は,へき地等級4級,児童数19名(S.34年),昭和29年開校,昭和47年閉校。分校跡と想定した場所で待っていたのは,残念ながら植林されてだいぶ経った感じのスギ林でした。平らにはなっていたので,分校跡には違いなさそうですが,知らない方が見たとすればただの森にしか見えないことでしょう。小端の探索もほぼ30分。地図の上では同じように見えた下沢と小端ですが,足を運んでみると,その風景は全く違ったものでした。

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# 18-11
小端の三差路からの帰り道は,来た裏道,分校跡方向の川沿いを下る道ではなく,低い峠を越える道を選びました。かりんさんは以前川沿いの道から小端を目指して失敗したそうで,無事来れたことは大きな収穫のようでした。私も小端にたどり着けなかったとしたら,相当悔しがったに違いありません。
3kmほどダートを走った先の三差路のそばには,小端口という古びたバス停がありました。確認すると,少し前までJRバスが走っていたようです。
どうやらここが正規の小端への入口。県境をまたぐ裏道から攻めるということは,かなりのリスクを伴うことが実感できました。しかし,裏道はスクーターで走るのは無理なほど荒れていたので,かりんさんのクルマに便乗できたのは,とてもよいめぐり合わせでした。

# 18-12
学校の宿のランチには間に合わなかったので,午後2時頃,旧浄法寺町で食堂に入ると,沖縄名物のソーキそばがあり,ふたりともこれを注文。その後,産直の店で土産のお米とキュウリを買って,帰り着いた学校の宿は留守でした。しかし扉の前には番猫がいて,愛くるしいポーズで迎えてくれました。
「またいつかご一緒しましょう」と言ってかりんさんと別れ,旧安代町から北上まで早いペースで走り,「カントリーロード」に戻ったのは夕方6時。この日の走行距離は159km,スクーターは燃費もよく(約40km/l),十分廃村への足として使えました。これで廃村全県踏破は,残り13県になりました。
BAJAで470kmを自走したとしたら,早くて8時間(翌日午前2時着)はかかりそうな北上−浦和間ですが,新幹線では午後10時に帰ることができました。

(追記1) 小端分校跡に向かう私の後姿の画像は,かりんさんに提供してもらいました。

(追記2) 小端は,分校の開校年が戦後(昭和29年)であること,古い地形図(浄法寺,S.35)に集落名が記されていないことから,戦後の開拓集落と捉えました。



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