西の全国踏破は 瀬戸内の島々から

西の全県踏破は 瀬戸内の島々から 岡山県倉敷市松島,六口島,釜島

高度過疎の島 六口島(むぐちじま)の分校跡に残る往時のオルガンです。



2009/1/17〜18 倉敷市松島,六口島,釜島

# 1-1
平成20年10月,チケットサービス「eplus」(イープラス)から,「e+★山下達郎 島根・広島公演 プレオーダーのお知らせ」というメールが届きました。「山下達郎さんのコンサートはいつか行きたい」と思っていた私は,比較的入手しやすそうな福山公演のチケットを2枚申し込みました。
これが見事当選,公演日は平成21年1月18日(日)。この頃に福山に行くのなら,「3月で廃止になるという東京−九州間のブルートレインにも乗っておこう」となりました。さらに,福山から行きやすい場所の廃村を考えて,思い浮かんだのが岡山県倉敷市 児島諸島の松島,六口島,釜島です。
松島,六口島には少数戸の暮らしがありますが,釜島は無人島です。島々への定期航路はなく,チャーター船を頼まないと行くことはできません。

# 1-2
チャーター船を頼むとなると,人数は多いほうが割安です。児島諸島は瀬戸大橋のそばということで,ネット上ではおなじみの島根県のおきのくにさん,愛媛県のアルプさんに声をかけたところ,ともに来ていただけることになり,アルプさんはご家族(マミーさん)と来られるということ。
東京近辺の仲間からは「廃村(3)」の小串キャンプ(H.18)でご一緒したふたつぎさん,中信の廃村めぐり(H.19)などでご一緒したはがねさんが参加することになり,年末には総勢6名の廃校廃村の島めぐりの計画が立ち上がっていました。
大人数ということで,現地は土日に決まり,宿はチャーター船が兼用できるということで,六口島の民宿「象岩亭」に決まりました。

# 1-3
東京チームで旅程を考えていると,ふたつぎさん,はがねさんともに「ブルトレは乗ったことがない」とのこと。煮詰めた結果,ふたつぎさん,はがねさんは大分発の「富士」に,私と山下達郎さんのコンサートに同行する妻(Keiko)は熊本発の「はやぶさ」のチケットを取りました。
平成21年1月16日(金),旅の初日は午後半休で大阪・堺の実家に移動して,新年のご挨拶を兼ねて1泊。翌17日(土)は妻の見送りを受けて堺を出発,新大阪駅で東京チームと合流したのは朝9時45分。岡山で瀬戸大橋線に乗り換えて,JR児島駅に到着したのは11時20分。携帯に電話して,おきのくにさんとはここで合流。アルプさん達は,チャーター船が出る「下津井港のあたりにいる」とのことで,おきのくにさんのクルマで下津井に向かいました。

# 1-4
アルプさん達と合流して,昼食は瀬戸内らしい魚料理。おきのくにさんは,中国・四国・九州と,幅広く廃校・廃村をめぐられており,アルプさんは「お気楽会社のアルプ日記」Blogで愛媛の多くの廃村を訪ねられたレポートをまとめられています。強力なメンバーが集結しました。
船が来るまで少々間があったので,近くの旧下津井電鉄 下津井駅跡を探索すると,屋根付きの車庫に往時の電車が保存されていました。
下津井港に宿の船「象岩丸」が到着したのは午後1時20分,まず向かうのは松島(Matsushima)です。松島と釜島は瀬戸大橋のすぐ東側,下津井港と六口島はすぐ西側ということで,松島へは橋をくぐって行きます。宿の方に松島のことを尋ねたところ,「2戸3名で高齢の方が暮らしている」とのこと。

# 1-5
松島の面積は0.08ku,往時の産業は漁業。下津井−松島間(約3km)は10分ほど。「象岩丸」の迎えが来るまで,2時間ほど松島の合同探索です。
「児島諸島及び石島の民俗」(岡山県教育委員会,S.51)によると,児島諸島が備前の領となったのは,17世紀中頃(江戸・正保年間)。昭和49年の人口は,松島が15戸54名,六口島が6戸28名,釜島は2戸4名。主な姓は,松島が尾崎さん,六口島が古市さん,岡さん,釜島が那須さんとのこと。
松島の集落は島南側の斜面にあり,家々は密集していますが,そのほとんどは空家です。石材の産地の瀬戸内らしい,しっかりした石垣が印象的です。集落入口,港付近には,古びた井戸,石碑,御大師堂,小さな祠などがありますが,人の姿は堤防に釣りの方がちらほら見えるだけです。

....

# 1-6
分校跡は集落東側の海岸沿いにあり,東京チーム3名はまずここを目指しました。下津井西小学校松島分校はへき地等級2級,児童数6名(S.34),昭和25年開校,平成元年休校,平成13年閉校。最終年(S.63)は児童1名,生徒2名でした。RC造二階建ての小さな校舎は,西日本らしい感じがします。
雑草が生える校庭からは,金網越しに瀬戸大橋(昭和63年4月完成)がよく見えます。深呼吸をすると,児島半島の賑わいが嘘のように感じられます。
島にはクルマがないので,歩いていても快適です。コンクリート造りの階段を上がると,無人の家の前に赤い郵便ポストを発見しました。「現役でしょうかね」,「切手を貼ったハガキを持ってくれば面白かったね」と話ははずみますが,実態は謎のままです。


# 1-7
坂を登りきった場所の家には布団が干されており,そばにはみかんの木や畑がありました。ここから笹まじりの竹林を東へ向かうと,海賊 藤原純友ゆかりの島の氏神 純友神社があります。「SHIMADAS」(日本離島センター,H.16)には,「中世には水軍城が築かれ,島全体が城塞だった」とあります。 立派な鬼瓦と二対の狛犬が印象的な神社の拝殿を覗くと,古い神輿と奉納画が残されていました。
東側に進む道は二つに分かれていて,もう一方の道を進むと,大きな祠がありました。おきのくにさんが「祠だらけの島」と言われていましたが,私もこれほど祠が密集した島は,他に知りません。祠好きのはがねさんは,満足そうです。


# 1-8
島の西のほうにも足を運ぶと,別荘風の新しい建物と個人の所有と思われる小さな桟橋がありました。別荘の敷地からさらに先に進むと,島の最西端の岩場に到達。瀬戸大橋と下津井の町が一望できるこの場所は,夕焼けの頃にビールを飲むと最高に気持ちよさそうです。
すぐそばに見える塩飽諸島 櫃石島は香川県。地図で見る限りでは,学校も存続する櫃石島と,松島,六口島,釜島との違いはわかりません。
「城塞だった」というだけあって,松島は海岸伝いに歩くことはできません。来た道を戻って集落や分校跡を再訪しているうちに,迎えの「象岩丸」が到着。探索中,島に住む方とは出会うことはありませんでした。

# 1-9
次は宿がある六口島(Muguchijima)です。六口島の面積は1.17ku,往時の産業は半農半漁。島の大半は山林で,往時は石切場があったとのこと。
松島−六口島間(約5km)は15分ほど。船は島の北西部の牛の首の港に着き,港から宿までは歩いて10分ほど。島にはバイクとトラクター以外,クルマはありません。港から低い峠を越えると,長い砂浜があり,今回泊まる「象岩亭」と「六口荘」という民宿が2軒。夏は海水浴の方で賑わいそうです。
宿の少し先の浜には象岩(ぞういわ)というゾウのような岩があります。標柱によると「昭和7年 文部省指定天然記念物」とのこと。宿と象岩の間には五重塔がある見晴らし台があり,ここから見る海景色はとても綺麗でした。

....

# 1-10
宿に戻ったのは夕方5時頃。軒から夕陽を見ながら,初顔合わせ多数の酒盛りのはじまりです。夕食は海の幸が盛りだくさんで大満足。宿は貸切りかと思ったら,暗くなってから釣りの方々らしい団体さんが入ってきました。しかし団体さんは新館のほうに行ったので,特に接点はありませんでした。
宴の合間に宿の方から伺った話によると,現在六口島は4戸11名。うち島の南東部に住むおじいさん一人の家には船でしか行けなくて,郵便の方が便りを届けていて健在なことは確認されているが,何年も会ったことはないとのこと。どんな暮らしがあるのでしょうか。
入れ替わりに風呂に入りながら,のんびりまったりとたくさんのマニア話が飛び交った酒盛りがお開きになったのは夜11時頃でした。

# 1-11
翌18日(日)の起床は朝6時頃。まだ外は真っ暗です。しかし皆6時半頃には浜に集まって,待望の六口島分校への道を進み始めました。宿から分校までの距離は1km強。海の近くながら山道のような道を歩いて行くには20分かかりました。天気は曇りで,空はなかなか明るくなりきりません。
五万地形図(玉野,S.48)の文マークは柳の谷と記された場所にあります。宿の方によると,現在柳の谷に住む方は皆無で,時折出身の方が来られるそうです。下津井西小学校六口島分校はへき地等級2級,児童数4名(S.34),昭和29年開校,昭和42年休校,平成元年閉校。木造平屋建ての分校跡の建物内にはミシンやオルガンなど往時からのものが残されており,はがねさんがキーを叩くとオルガンはしっかり音を鳴らしました。


....

# 1-12
柳の谷の港から見る児島半島は,それほど遠くではありません(距離は1.5kmほど)。「海を隔てただけで,この静けさがあるんだなあ」と思うと,とても幸せです。30分ほどの探索後,分校跡を背にするのは名残惜しかったので,帰り間際に集合写真を撮りました。
廃屋は柳の谷−牛の首間の道沿いにも見当たりました。今は茂みの中ですが,往時は外付けの風呂から海を見ることができたのかもしれません。
運動の後に食べる朝食は,とても美味しくてこれまた幸せ。しばし宿周辺でのんびりして,宿の水槽に棲む人なつっこいコブダイに挨拶して,牛の首の港近くの神社(本荘八幡様)にお参りして,六口島を後にしたのは午前10時頃。船からも,六口島分校をはっきり見ることができました。

# 1-13
この旅のトリは,無人島化した釜島(Kamashima)です。釜島の面積は0.40ku,全体に平べったく,分校跡や神社,民宿跡などは内陸部にあります。
事前におきのくにさんからいただいた有人島だった頃(S.49)と無人島化後(H.13頃)の航空写真を比べると,分校跡らしき建物は島の真ん中よりやや南側にあり,地形図で確認した場所と一致しました。無人島化後の写真は島全体の緑が強くなっていて,どんな様子なのか興味深々です。
六口島−釜島間(約6km)は15分ほど。乗ったのは「象岩セブン」という別の船。宿の方いわく「釜島には港がないので,船は砂浜につける」とのこと。松島の横を過ぎ,見えてきた釜島には古い船を利用した桟橋がありましたが,船はその隣の砂浜につき,上陸は板で渡るというワイルドなものでした。

# 1-14
釜島の探索時間も2時間ほどです。船が着いた西側の海岸には広い砂浜がありましたが,道は笹まじりの竹籔の中,標識もなくパッと見ではわかりません。
「おそらくここだろう」と,カマを持ったおきのくにさん,アルプさん,マミーさん,私,はがねさん,ビデオカメラを持ったふたつぎさんの順で籔をかき分けて進むと,辛うじてたどれるけもの道がありました。よく伸びた籔に苦労しながらも浜から10分ほどで島の氏神 塩釜神社に到着しました。
「SHIMADAS」によると,神社は海賊 藤原純友の城址のふもとにあり,「昔は塩水を土釜で煮詰めて塩を作っていた」ことから塩釜神社と釜島の名前があるとのこと。藪の中ながら塩釜神社はまずまず整備されていて,賽銭箱まであってびっくりです。

# 1-15
塩釜神社の近くには池があり,位置の把握には重宝です。道なりに進んでいくと祠が見つかり,その奥には大きな家屋がありました。探索すると,多くの食器があり,風呂には「長くはいると次のひとが迷惑だから…」との旨の張り紙があり,どうやら無人島になってからも夏場は営業していたという民宿「かましま」の跡のようです。荒れてはいましたが,中庭の草は刈られてすっきりしており,宿関係の方が時折戻られている様子です。
民宿跡からさらに先に道を進むと,島の北側の海岸までたどり着きました。しかし一番の目標 分校跡とは逆の方向なので,海岸からはすぐに折り返し,池のほとりまで戻りました。宿と池の間では,行きにはわからなかった民宿「かましま」の陶器製の看板が見つかりました。

....

# 1-16
下津井西小学校釜島分校はへき地等級3級,児童数14名(S.34),昭和30年開校,昭和49年休校,平成元年閉校。児童数が比較的多いのは,戦後開拓の入植のためで,「SHIMADAS」によると「昭和30年には人口76名を数えたが,その後離島者が相次ぎ,昭和55年には人口はゼロになった」とのこと。
池から200mほど南に進むと分校跡があるはずなのですが,笹まじりの竹籔は半端ではありません。「一度西側の浜に戻って,別ルートを探そう」と判断し,道を戻ると,猟の格好をした50代ぐらいの男性が近づいてきました。話をすると,この方はカモを目指して来られたとのこと。西側の砂浜は歩きやすく,岩礁になっている島の南端を越えて東側の砂浜へたどり着くことができました。しかし,島の中へ入る道は見つかりません。

# 1-17
ササ籔の中に電柱が見えたので,「ここが道に違いない」と藪かきしたのですが,やがて藪は背丈よりも高くなり,分校跡行きはあきらめざるを得ませんでした。近くの籔の中には,ビニールハウス跡の鉄骨が残っていて,これを観察することを分校跡の代わりとしました。
東側の砂浜が終わる場所の辺りにはいくつかの墓石が残されていました。今もゆかりの方が参られるのでしょうか。
お墓を折り返し点として西側の浜に歩いていくと,空は雨模様になりました。分校跡にたどり着けなかったこともあり,気分は暗くなりましたが,達成できない目標も旅の醍醐味です。帰りの船を待つ間,6人の間では「釜島分校跡はいつかリベンジしましょう」という話が盛り上がっていました。

# 1-18
帰路の釜島−下津井間(約4km)は10分ちょっと。下津井の街はちょうど1日ぶり。無事 島めぐりができて,廃村全県踏破は残り16県になりました。
下津井からは鷲羽山へ行き,展望レストハウスから瀬戸大橋や児島諸島を見ながら「象岩亭」で用意してくれたおにぎりを食べて,アルプさん達とはここでお別れです。鷲羽山から福山までは「くらしきの湯」というスーパー銭湯での一服付きで,おきのくにさんにクルマで送っていただきました。
夕方5時頃,おきのくにさんを見送って,JR福山駅のロッカー前でふたつぎさん,はがねさんと別れ,5分後に駅の改札で妻と待ち合わせ。この夜の山下達郎さんのコンサートは賑やかで楽しく,寝台列車「はやぶさ」の夜もとても味わい深いもので,欲張りな3泊4日の旅,満喫することできました。

(注) オルガンの画像はアルプさんに,六口島分校全景の画像はおきのくにさんに,松島集落の階段と塩釜神社の鳥居の画像はふたつぎさんにお借りしました。

(追記) この旅のおよそ1ヶ月後(2/13(金)),冊子「廃村と過疎の風景」第3集完成と同時期に,BSデジタル局「BSイレブン」の「大人の自由時間〜オタ☆イジリー」という番組に生出演する機会がありました(司会は岡田斗司夫さんとイジリー岡田さん)。「オンリーワン・スタイル」というその道の達人でトークをするという企画で,冒頭のフィールドワークの紹介では,ふたつぎさんが撮った児島諸島めぐりの画像が使われました。

....




「廃村と過疎の風景(8)」ホーム
inserted by FC2 system