くろしおに乗って 木の国の廃村へ

くろしおに乗って 木の国の廃村へ 和歌山県田辺市兵生,白浜町大瀬

廃村 兵生(ひょうぜい)の分校跡 建物の廊下です。



2010/2/13 田辺市(旧中辺路町)兵生,白浜町(旧日置川町)大瀬

# 4-1
東日本の全県踏破を達成して,「廃村 千選」という名称を思いついた平成21年10月,全県踏破の目標は「平成17年夏から平成26年夏までの足かけ10年間(丸9年間)で,既訪を含め全県(北海道は4分割)の廃村に足を運び,旅の記録にまとめる」へと発展しました。
平成22年1月現在,廃村全県踏破の旅の未訪県は西日本ばかり10県(兵庫,鳥取,島根,広島,香川,徳島,佐賀,大分,宮崎,鹿児島)です。
これを「平成17年夏以降の未訪県」という目で見ると,西日本(関西以西)は岡山,熊本,福岡,廃校廃村がない大阪を除く19県となります。東日本は道央,道南,三重の3県なので,全部で22県です。しかし,行きたい廃村は既訪の県にも多くあるので,「楽しみが増えてよい」という感じです。

# 4-2
平成22年1月から4月にかけては,実家(大阪・堺)の父が入院したこともあり,月に一度のペースで大阪へ足を運びました(計4回)。その際,帰路に廃村めぐりをあわせることを思いつき,1月23日(土)には,朝堺発,夜浦和着で,雪深い新潟県十日町市の高度過疎集落 大池(Ooike)を訪ねました。
大池は平成18年10月以来,3年3か月ぶり,二度目の訪問ですが,冬は初めてです。ほくほく線のトンネル駅 美佐島から片道4km(1時間10分),大池に続く雪道は,真冬でも営業する美術館(ミティラー美術館,旧大池小学校)を目指して歩きました。ストーブにあたりながら美術館の方とお話をすると,「この冬の雪は,なかなか厳しい」とのこと。「ただひとり,昔から住まれている」というおばあさんの家も訪ねて,お話をすることができました。




# 4-3
二度目の機会(2月中旬)の目標は,冬でも比較的暖かい和歌山県南紀の廃村を選びました。 和歌山は,平成15年10月以来,6年3か月ぶりです。
和歌山県田辺市(旧中辺路町)には「村影弥太郎の集落紀行」Webの村影さんが住まれています。「廃村を訪ねて」というサブタイトルがあるこのWebには,全国各地の廃村の記録が納められており,その詳細さ,範囲の広さに,「良き廃村めぐりの仲間が出てきてくれた」と喜んだものでした。
Webの開設(平成21年4月)の頃からメールのやり取りをしていることもあり,かねがね「南紀の廃村を訪ねるときは,ご一緒したい」と思っていました。村影さんにその旨連絡をすると,「喜んで」とのお返事が来て,朝堺発,夜浦和着の南紀の廃村めぐりの計画が成立しました。

# 4-4
目標の廃校廃村は,旧中辺路町兵生(Hyouzei)と,旧日置川町の大瀬(Oose)です。村影さんのお膝元の兵生は,前回も訪ねていますが,集落跡,学校跡にはともにたどり着けなかったので,今回はリベンジです。また,大瀬は村影さんも未訪とのことで,どんな様子かわからない楽しみがあります。
平成22年2月13日(土),起床は朝6時。天気は快晴。JR天王寺駅 朝8時発の特急「くろしお」に乗って,紀伊田辺駅を目指しました。高校の頃,通学でJR阪和線を使っていた私にはなじみの特急で,紀勢線もローカル電車には何度か乗りましたが,「くろしお」に乗車したのは今回が初めてです。
紀伊田辺駅で村影さんと落ち合ったのは午前10時。村影さんの軽トラに乗って廃村めぐりの話を始めると,兵生地内までの1時間はあっという間でした。


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# 4-5
兵生地内の入口の目印は,高串(Takagushi)の吊り橋。大字兵生には,高串から坂泰(Sakatai)まで,6kmほどの間に11か所の小集落がありましたが,昭和49年に集落再編事業で町内高原字川合に集団移転されたとのことで,家々はすべて廃屋です。この吊り橋には,見覚えがありました。
張安(Hariyasu)の廃屋をちらりと見てから,分校があった兵生集落の中心 宮代(Miyashiro)に到着したのは午前11時20分。集落跡,分校跡は軽トラならば渡れる吊り橋の先にありました。この吊り橋には,見覚えがなく,後で五万地形図(龍神,S.45)を確認すると,前回は少し手前の宮代谷に沿った林道の入口までは行っており,あとわずかの場所であきらめていたことがわかりました。そして今回,村影さんのおかげでリベンジを成し得ました。


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# 4-6
芦尾小学校兵生分校(のち二川小学校兵生分校)は,へき地等級3級,児童数39名(S.34),明治36年開校,昭和49年閉校。分校跡入口には,小さな「兵生分校跡地」の碑とトーテムポール,運動場には壊れた百葉箱,そして,奥には木造平屋建ての校舎が枯れ草に紛れながらもしっかり建っていました。閉校後,牛舎として使われた時期があったとのことで,床板が剥がされていましたが,職員室や図書・教材・衛生室のプレートは残されていました。
分校の裏手の数戸の古びた廃屋が残る宮代集落跡では,お寺(福泉寺)の跡に続く段々畑状の墓地,コンクリで固められた五右衛門風呂が印象的でした。なお,村影さんのWebのトップページで大きな画像が掲載されている福泉寺の廃屋は,平成20年頃に崩壊したようです。

# 4-7
兵生ではあと一か所,車道沿いにある宮瀬(Miyanse)の春日神社に足を運びました。綺麗に整えられた境内には,往時の兵生の航空写真が飾られており,往時の村の方々がこの地を大切にされている様子が垣間見れます。村影さんがWebで使われている小集落の地名は,この航空写真に因むものとのこと。
兵生を後にして,昼食休みは熊野古道 近露(Chikatsuyu)王子跡近くの村影さんの家でとりました。村影さんが廃村めぐりを始めたのは,神奈川県相模原市に住まれていた平成16年秋,初めて訪ねた廃村は東京都奥多摩町の倉沢とのこと。その後の5年ほどで全国600か所を超える廃村を訪ねて(廃校廃村は56か所),Webに記録をまとめられているというのは,驚くべきパワーです(ちなみに,同時期に私が訪ねた廃村は165か所,廃校廃村は154か所)。

# 4-8
また,平成17年には,国会図書館の地図室で偶然私と出会ったことがあるそうで,これをカウントすると再会です。「廃村は,新旧の地形図を見比べて,消滅した地名を調べて探し出している」とのことで,私よりも細かい数え方です。この方法で数えると,全国の廃村は一万箇所を超えそうです。
昼食休みの後は,日置川沿いの狭くて曲がりくねった道(県道,R.371)を下って,旧日置川町市鹿野(Ichikano)からは枝道に入って,もうひとつの目標 大瀬に向かいました。往時の大瀬小学校の校区 上露(Kouduyu)をバイパスで過ぎて,大瀬地内の入口にあたる下平(Shimodaira)に到着したのは午後2時40分頃。「大瀬小学校跡」「災害時避難場所 大瀬僻地集会所」という看板があったので,「何か残っているのでは」と期待が高まります。

# 4-9
看板の近くに軽トラを停めて,暗いスギ林(人工林,往時は田畑)の中の狭い道を下ると,左手には廃屋が見え,右手には講堂と思われる平屋建ての学校施設と「創立九十周年記念碑」(昭和43年建立,校歌入り)と「大瀬小学校跡」の石碑が立っていました。
大瀬小学校は,へき地等級3級,児童数54名(S.34),明治11年開校,昭和45年閉校。講堂の裏手に回ると,意外にもしっかりした木造平屋建ての校舎が残っていました。後で「日置川町史」を調べたところ,この校舎は昭和11年に新築落成されたとのことです。学校跡では,職員室に残されたオルガンやレコードプレイヤー,熱で曲がったレコード,溝が一本掘られているだけで,便器がない便所(個室仕様)が印象的でした。

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# 4-10
小学校跡に続いて訪ねたのは,大瀬集落の中心 垣内(Kaito)です。林業関係らしい施設にはクルマが停まっていて,住宅地図(S.20)に記されていた2戸の家屋は手入れされていましたが,地域の方の姿は見当たりません。探索をしているうちに,集落のいちばん上手の薬師堂までたどり着きました。
垣内には三差路があって,左側は竹垣内(Takegaito),右側は北谷(Kitadani)に続きますが,クルマの出入りが多そうな竹垣内への道を選びました。
大きな狛犬が居る神社(春日神社)を過ぎて到着した竹垣内集落の中心 下地(Shimoji)には,数戸の家屋と農作業をする60代ぐらいの女性の姿がありました。この方の話によると,大瀬,竹垣内とも,通いで山仕事,農作業をされる方はいるが,常住される方はいないとのこと。

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# 4-11
竹垣内地内,下地の次にある太郎行(Tarougyou)にも足を運ぶと,古びたコンクリート製の流しと,五右衛門風呂が見つかりました。遺跡のように苔むした五右衛門風呂や流しを見たのは,久しぶりのことです。竹垣内から白浜までの帰り道,市鹿野手前の高台からは,綺麗な夕陽が見えました。
少し早い夕食は,白浜の「おさかな市場」に閉店間際にすべり込んで,サバ寿司を食べました。長い時間付き合ってくれた村影さんには改めて感謝です。
白浜市街からほど近い南紀白浜空港を夜7時20分に出発した飛行機は,8時25分には羽田に到着していました,このJALの特割チケット(18,600円)はお値打ちでした。南浦和の自宅に帰り着いたのは夜10時頃。家の土産には,酎ハイ用 ゆずの濃縮果汁を買いました。

(追記1) 全県踏破の目標の「足かけ10年(丸9年)」は,途中で1年前倒して「足かけ9年(丸8年)」となりました。

(追記2) 「村影弥太郎の集落紀行」Webのサブタイトルは,平成26年1月に削除されました。同時期,Webに掲載された廃村の総数は1800を超えています。



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