佐賀の再生した廃村と 8番目の取材旅

佐賀の再生した廃村と 8番目の取材旅 佐賀県唐津市山瀬

廃村 山瀬(やませ)に残る分校跡の建物です。



2012/4/8 唐津市(旧浜玉町)山瀬

# 20-1
平成24年の「集落の記憶」の取材の旅は,6番目(1月下旬),7番目(3月上旬)と再生した集落 長野県芝平(Shibira)が連続しました。結果,新旧両方の住民の方の声を伺うことができました。日帰り取材をした埼玉県小倉沢(Ogurasawa)を含め,3月末までに全18か所中14か所の目鼻が整いました。
サクラの頃,8番目の取材の旅先に選んだのは,山口県岩国市向畑(Mukaibata,後取材)と長崎県長崎市端島(Hashima)です。「せっかく西に行くのなら…」と,欲張りになるのはいつものことで,検討の結果,向畑と端島の間に未訪県・佐賀県唯一の廃校廃村 唐津市山瀬(Yamase)を,端島の後に長崎県の炭鉱関係の廃校廃村 西海市崎戸炭鉱(Sakito-Tankou)と長崎空港になった廃校廃村 大村市箕島(Mishima)を目指すことになりました。

# 20-2
旅の行程は4泊5日。出発は平成24年4月6日(金),午後半休を取って東京から「のぞみ」に乗って大阪へ移動して,堺の実家に宿泊です。
翌7日(土)は朝6時頃起床。天気は晴時々曇。堺を朝8時に出発し,新大阪から「みずほ」に乗って広島に出て,「こだま」で新岩国まで行って,錦川鉄道に乗り継いで錦町駅に着いたのは午後12時15分。ここで向畑出身の藤村緑さん,島根県在住のおきのくにさん,宮崎県在住のめいこさんと合流です。
昨年は葉桜だった左近桜ですが,今年はまだ咲いていませんでした。しかし,藤村キヌヨさん(緑さんのお母さん)とお話ができて,緑さんには延ヶ原の旧向畑分校跡地へ案内していただいて,昨年はたどり着けなかった右穴ヶ浴のお寺跡にも行くことができて,満足のうちに過ごせた7時間でした。



# 20-3
探索後はおきのくにさんに下松まで送っていただき,夕食は名物「牛骨ラーメン」。JR下松駅からは徳山,新山口と電車を乗り継ぎ下関へ行き,宿は「グリーンホテル」。よく泊まった「ホテル38下関」は閉ざされており,よく通った豊前田町の焼鳥屋「鶏心」は,跡もわからなくなっていました。
翌8日(日)は朝6時頃起床。天気は晴。下関から小倉,博多と電車を乗り継いで,JR筑肥線筑前前原駅で長崎ゆかりさんと合流したのは朝9時8分。ゆかりさんと会うのは平成15年11月の下関以来8年半ぶり。しかし,長い付合いの廃村つながり。話をはじめると,時間的なギャップは感じません。
唐津は平成12年8月にバイクで通りましたが,電車で来たのは初めてです。駅レンタカーを借りて,相知,見帰りの滝を回って山瀬に向かいました。


# 20-4
見帰りの滝は山瀬の手前6km。佐賀県内最大の滝(落差100m)で,日本の滝百選にも選ばれており,アジサイの名所とのこと。この日の滝周辺にはサクラが綺麗に咲いており,探索道も整備されており,クルマを停めて立ち寄る値打ちがありました。クルマのキーを遊歩道に忘れたのはご愛嬌です。
「廃村千選」佐賀県のページの山瀬分校の写真は,佐賀寄りの福岡県在住のゆかりさんに頼んで,平成18年3月に撮ってもらったものです。ゆかりさんは山瀬はそのとき以来2度目。見帰りの滝から先の渓流沿いの道が険しかったので,この日はクルマは出さなかったとのこと。道はSクラスのレンタカーではそれほど険しいとは思いませんでしたが,「この先,集落があるのかな」と思わせる山の深さがありました。

# 20-5
傾斜がやや緩やかになり,家々がぽつぽつ見られる山瀬へ到着したのは午前11時35分。クルマを停めてまず足を運んだのは山瀬分校跡です。浜崎小学校山瀬分校は,へき地等級3級,児童数27名(S.34),明治36年開校,平成3年休校,平成7年閉校。最終年度(平成2年度)の児童数は1名でした。
整ったグラウンドはとても広く,平屋建て木造校舎は手入れがなされており,とても良い雰囲気です。平成15年頃の住宅地図では「森の美術館」と記されていたのですが,標札には「洗心洞」と記されていました。中に入ると陶芸や工作の道具があったので,創作の場として使われているのかもしれません。平成12年11月に長崎県野崎島の野崎小学校跡で一緒に写真を撮ったことを思い出し,山瀬分校跡でも記念の写真を撮りました。


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# 20-6
ところで,山瀬には「狐狸庵」というそば屋があって,「山奥にうまいそば屋がある」と評判を呼んでいるのこと。「狐狸庵」でそばを食べることはもちろん,どんなお店なのか,どんな方が営まれているのか,足を運ぶことを楽しみにしていました。
お店に入って,休憩がてらゆかりさんとそばを食べて,お客様の数が少し落ち着いた頃,ご主人に「廃村めぐりをしています」とご挨拶しました。
ご主人,溝部昭さんは昭和11年神戸市生まれ。平成7年2月に山瀬へ越される前は,神戸市内でうどん屋を営まれていたとのこと。浜玉市街から15kmほど,相知市街から10kmほどの山中にある山瀬は,平成6年に元の住民の方が集団移転して廃村となっていました。


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# 20-7
溝部さんは,新規にそば屋を開店するにあたり,旧浜玉町役場の担当者から国道沿いへの出店を勧められましたが,「自然が豊かな山瀬でないと意味がない」と断わりました。風情があるお店の建物は,旧山瀬公民館を改装したものとのことです。
「狐狸庵」が開店したのは平成7年6月。その後転入する方がいて,集落に暮らしが戻ってきました。つまり,山瀬は「再生した廃村」だったのです。
「狐狸庵」から上手に歩いて5分,旧山瀬分校の木造校舎は,閉校後,解体される予定でしたが,溝部さんの「地域のために活用したい」という意向を契機にそのままの姿で残りました。その後,溝部さんは,森の美術館,洗心庵,野外活動の拠点など,活用方法を模索されているとのことです。

# 20-8
溝部さんの見送りを受けて「狐狸庵」を出て,下手のほうに少し歩くと,「どさんこミラファーム」という観光施設がありました。乗馬体験施設で軽食がとれて,近々宿泊施設を開業するとのこと。いくつか閉ざされた家もあるのですが,空が広いせいか,集落全般に明るい感じがします。
川を隔てたところには「茶室山里庵」というお店風の看板がありましたが,中へ入っても人の気配がなかったので,実態はわかりませんでした。
帰り道は,浜崎へと下る道を選びました。この林道は分岐が多いので,復路向けです。保坂集落の手前,サクラが咲いている公園で一服して,神社へ向かう山道を歩いて上がると,春の日差しの中,ぼんやりと唐津湾,虹の松原,鏡山を見下ろすことができました。


# 20-9
浜崎市街から虹の松原を走り,JR唐津駅に戻ったのは午後4時頃。虹の松原は,平成12年8月にバイクで走った記憶があり,なつかしく感じました。
軍艦島・野崎島の頃は大学院生,下関の頃は会社勤めだったゆかりさんも,結婚されて今はお母さんです。この日はちょうど娘さんが保育園へ通い始めた日で,「久しぶりにゆったり過ごせてよかった」とのこと。筑肥線で筑前前原へ戻るゆかりさんを見送った後,私は唐津線で久保田へと向かいました。
山瀬では取材をするつもりはなかったのですが,全国でもあまりない「再生した廃村」ということで,「集落の記憶」でも少しだけ取り上げることになりました。佐賀の廃校廃村に足を運び,廃村全県踏破の残りは大分,宮崎,鹿児島の3県となりました。

# 20-10
久保田からは肥前山口へ出て,特急「かもめ」に乗り継いで,JR長崎駅に到着したのは午後7時10分頃。改札では「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳(doutoku)さん夫妻が待っていてくれました。そして,駅近くの居酒屋で「集落の記憶」の端島(軍艦島)の取材に力添えをいただきました。
私が坂本さんをリーダーとしたグループで端島を訪ねて,ビルの10階の幼稚園跡で泊まったのは平成12年11月,柿田清英さん,妻と一緒に高島から軍艦島クルーズの船に乗ったのは平成17年3月のこと。今回の長崎はそれ以来7年ぶりです。
平成21年4月開始の軍艦島上陸観光は定着し,坂本さんが案内人をされているブラックダイヤモンドをはじめ,6社が船を出しているとのことです。

# 20-11
この日の宿は長崎新地の「ワシントンホテル」。坂本さん夫妻と分かれた時間には,路面電車は終わっていたので,新地までのんびり歩きました。
翌9日(月)は朝7時頃起床。天気は晴。旧三和町の旅人宿「カピタン」のご主人(竹内さん)が迎えに来てくれて,一緒に池島を目指しました。池島も端島と同じく炭鉱の島ですが,端島は明治期〜昭和49年,池島は昭和34年〜平成13年と,操業時期が異なるため,島の雰囲気も違います。
平成12年11月,平成15年3月,平成17年3月と,これまで3回訪ねた池島では,平成23年11月に坑内見学できる電動式トロッコの観光が始まったとのこと。旅に出る直前まで,軍艦島上陸観光とどちらに行こうか迷いましたが,始まってそれほど経たない池島坑内トロッコ観光を選ぶことになりました。



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