秋田・消えた村の記録'99年秋 その1 秋田県鹿角市老沢,折戸



老沢の民宿「ゆきの小舎」にて。




10/11〜10/13/1999 鹿角市老沢,折戸

# 2-5
「消えた村」では二番目に紹介されている老沢(Oisawa)には,清流のすぐそばに民宿「ゆきの小舎」がぽつりとあるという印象があり,「とほ」の宿の縁もさることながら,「消えた村」から受けた印象も足を運ぶことにおいて大きな追い風となりました。
老沢は,鹿角(Kaduno)市南部に位置する小さな廃村で,戦後最盛時の戸数は2戸,移転年は1974年(昭和49年)とのこと。
熊沢川という清流が流れていて,宿の少し上流に志張(Shibari)温泉があり,クルマならば八幡平(Hachimantai;後生掛(Goshogake)温泉,蒸ノ湯(Fukenoyu)温泉),玉川温泉も近いということで,観光にもよい位置です。

# 2-6
老沢には,東北ツーリング3日目に太平洋岸の岩手県宮古(魚毛ヶ崎(Todogasaki))から,八幡平アスピーテラインを越えて行きました。
八幡平は,標高1000m超ということで10月中旬にして寒く,紅葉も特に黄色の色付きが綺麗です。
アスピーテラインから下り着いたトロコという妙な地名の場所には,戦後の開拓集落があったそうですが,今は温泉宿があるだけで民家はありません(トロコより下手の,現在別荘地の切留平(Kitometai)にも開拓集落があったと知ったのは2000年10月に再訪したときです)。
R.341と老沢に向かう道の分岐には志張温泉バス停がありますが,分岐から先はダートで,暗い時間にたどるのは大変でした。

# 2-7
老沢「ゆきの小舎」では,ネットで落ち合うことの連絡ができたことから,西表島以来1年半ぶりに群馬の岩崎さんと再会できました。
岩崎さんは紅葉狩りが好きで,毎年この時期には八幡平に足を運ばれるとのこと。山の中の一軒宿は3連休の名残りからか賑やかでしたが,その印象は「消えた村」で受けたものに近く,とても良い雰囲気です。ひとり旅には皆で集える民宿が似合います。
宿主の佐藤郁男さん,由紀子さん夫妻とお話をすると,東京から来たのは由紀子さんで,郁男さんは地元鹿角の方だったり,建物は集落移転時からのものではなく,廃材などを使って新しく建てたものだったりで,微妙に「消えた村」の情報との差がありました。

# 2-8
翌日(秋田2日目)の朝は雨でがっかりです。仕方がないので,まずは花輪(鹿角市の中心)で佐藤さんのお兄さんがやっているという散髪屋さんに行って気分転換し,イタめし屋さんで昼食を取ったりしていると,曇り空ながら雨は上がってくれました。
午後の出発ということで,花輪からほど近い「消えた村」では最初に紹介されている折戸(Orito)という廃村に行くことになりました。
折戸は鹿角市北部の青森県との県境に近い廃村で,戦後最盛期の戸数は14戸,移転年は1971年(昭和46年)とのこと。戦国武将(伊勢国の北畠氏)ゆかりの史跡があったり,上流に不老倉(Furoukura)という銅山跡があったりで,話題にはこと欠きません。


# 2-9
大湯のストーンサークルを経由しながら,R.103を四ノ岱(Shinotai)で安久谷(Akuya)川沿いに右に折れてしばらくすると,「これより廃村」という雰囲気で舗装道がダートになりました。ダートを1kmほど行くと,右手にお墓があり,その辺りが折戸の集落の端っこです。
さらに少し進むと,一軒の母屋がありました。母屋の近くにはお墓のほかに,お姫さまの縁のサクラの大木(蔦江姫ザクラ),殿さまの縁の涌き水(御殿水)などが,大湯の郷土研究会の方々が整備した質素な立て札とともにあり,ひとりきりの山の静寂のもと,伝説が頭にほのかに浮かびます。母屋の裏手は畑のようになっていましたが,農作業は行われていない様子でした。


# 2-10
「消えた村」によると,1970年(昭和45年)の鉱山の廃止とともに電気の撤去が決まったことが,折戸の集落移転のきっかけとなったとのこと。鉱山跡の様子も伺ったのですが,途中廃バスがある場所から,急に道が悪くなったのであきらめました。その昔は青森県の三戸(Sannohe)に抜ける街道があったそうです。クルマの時代になって,車道化しなかった歩道はどんどん廃道になっている様子です。
安久谷川は清流で,山の作業用らしい丸太橋があったり,小さな滝があったりで,とてもよい雰囲気です。小さな滝のうち上日高の滝は,脇の小道を入って見に行きました。気候が良くて時間があったら,一日遊んでいても飽きない感じがします。




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