秋田・消えた村の記録'99年秋 その3 秋田県阿仁町露熊,上小阿仁村屋布



露熊の離村記念碑の前にて。




10/13/1999 阿仁町露熊,上小阿仁村屋布

# 2-17
翌日(秋田3日目)も朝から雨ですが,夕方には大潟村の佐藤さんの所に行く予定なので,バイクを走らさなければなりません。
老沢「ゆきの小舎」から大潟村までは,R.103経由の最短距離だと120kmほどなのですが,「雨の日は林道がよい」の経験則があります。
「消えた村」とツーリングマップを照らし合わすと,まず玉川温泉に行き,南寄りのぶな森林道を経由して阿仁マタギの里に出ると,ちょうど阿仁(Ani)町に露熊(Tsuyukuma),上小阿仁(Kamikoani)村に屋布(Yashiki)という廃村があります。2つの廃村は峰越しの林道で結ばれているので,この両廃村を回って,上小阿仁村沖田面からR.285に入るという計画となりました。距離は150kmほどです。

# 2-18
「ゆきの小舎」には2泊したのですが,老沢近辺の散策はしませんでした。きっとまた足を運ぶことでしょう(実際,1年後に行っています)。
玉川温泉の大浴場は11年ぶり。しかし,ガンの治癒で有名になり,混浴が廃止されるなど,秘湯の雰囲気は薄れていました(料金は600円)。
ぶな森林道はしっかりした舗装道で,入口から35kmで阿仁マタギの里打当(Uttou)に着きましたが,いかんせん雨なので,修行のようです。打当は通過して,R.105に入って岩野目あたりでラーメン屋に入って昼食。冷えた体にみそラーメンがとても美味しい。
露熊の入口には,秋田内陸鉄道の荒瀬駅があり,駅を確認してから,いよいよ露熊への山道に入りました。


# 2-19
露熊の戦後最盛時の戸数は13戸,移転年は1975年(昭和50年),合津と同じく冬季分校があったそうです(1973年閉校)。
荒瀬からは「露熊七面山」という看板を追っていくのですが,ずいぶん急な砂利道を上がって2kmほどで大きな建物がありました。
露熊七面山とは,どうも神道の道場のようで,玄関で声をかけると,おばさんが出てきてお茶を入れてくれました。
急な坂道の途中には,露熊山峡という景勝地があるそうですが,雨では仕方がありません。
七面山から1kmほど行くと,「姫の泉」という湧き水と移転記念碑があり,さらに少し行くと萱葺き屋根の廃屋がありました。

# 2-20
露熊には「平成3年より大館市に住んでいた老夫婦が空家を買い取って暮らしている」と「消えた村」に記されているのですが,萱葺き屋根の所から枝道に入ってみると,煙の上がっている家がありました。
声をかけたかったのですが,雨ということもありご遠慮して,峰越しの林道を進むと,時折走るトラックと,束ねられたマキが目に付きます。作業などで,ある程度の数の人が山に入っているようです。
峠を越えても雨は降り止まず,屋根があるところを見つけたらすべて入って休みを取りながら進むというハードな走りとなりました。

# 2-21
地図ではすぐそばに見える露熊と屋布ですが,バイクのメーターだと14km,休み休み行ったこともあって1時間強かかりました。
屋布の戦後最盛時の戸数は24戸と規模が大きく,移転年は1975年(昭和50年),一年を通しての分校があったそうです(1975年閉校)。
しかし今は,納屋の跡らしき建屋がひとつ見られただけで,二十数年前まで集落があったとは思えないただの林になっています。
「消えた村」に「これほど立派なものはない」と記されている移転記念碑は,確かに風格がありました。16戸が下流の沖田面の近くに集団移転したということから考えても,旧住民のまとまりが強いことが伺えます。

....


# 2-22
屋布の移転記念碑から4kmほど下流に進むと,雨のためぼやけまくった視界の中に新しい建物が見え,看板には「山ふじ温泉・上小阿仁村コミュニティーセンター」とありました。いや,これは嬉しかったですね。道路もここからは舗装です。
自販機で300円のチケットを買って,湯船をひとり占めで冷えた体を温めると極楽です。玉川温泉よりずっとよい。
山ふじ温泉の管理人さんと,「どこへ行くだ」,「大潟村まで行きます」との会話をしたら,管理人さんは大潟村の佐藤さんに連絡を取るための電話を貸してくれました。




「廃村と過疎の風景」ホームに戻る


inserted by FC2 system