番外II 「想い」が叶った サクラ咲く廃村 福井県大野市上笹又,中島

廃村 上笹又に咲く吉田さんのサクラ,裏側に回ると「魚吉」の交通安全看板の跡が見えた



4/16/2016 大野市(旧西谷村)上笹又,中島

# 外II-1
平成28年4月中旬,廃村探索はハイシーズンに入ったが,5月下旬完成予定の「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)の詰めの作業のため,500か所越えの道の旅は進んでいない。GWにも旅の計画は入っておらず,「産みの苦しみ」だ。
そんな中,「廃村をゆく2」で取り上げている,福井県旧西谷村上笹又生まれの故吉田吉次さん(昭和8年生まれ,かつて民間結婚式場「魚吉」経営)が植えたサクラが花の頃を迎えた。昨年4月下旬,keiko(妻)とともに訪ねたときはすでに葉桜になっており,「花の頃の再訪」は1年越しの課題だった。4月17日(日)に昨秋亡くなった父の納骨が大阪で行われるため,その前日(4月16日(土))に単独で福井を訪ねる計画を立てた。

# 外II-2
4月16日(土),起床は午前5時半,天候は晴。JR大宮駅発朝6時42分の「かがやき」に乗って,金沢で乗り換えて福井駅に到着したのは午前9時45分。泊まりなしで北陸へ行けるのは新幹線さまさまだ。「この旅が番外編に使えるのでは」と思い付いたのは,黒部川や成願寺川を通過していた頃だった。
福井駅からは,越美北線の越前大野行が3時間以上ないので,初乗車のえちぜん鉄道勝山永平寺線で勝山(大野の隣町)を目指した。30分に1本の便がある福井−勝山のローカル電車(2両編成)はまずまず賑わっており,女性車掌(アテンダント)が頑張る車中の様子は目新しい。平野部のサクラは終わっていたが,各所にシバザクラが咲くなど車窓風景はのどかで,50分ほどの乗車時間は楽しく過ごせた。

えちぜん鉄道 福井駅のホームは,狭いながらも高架になっている

# 外II-3
勝山駅では吉次さんのご子息 吉田吉成さんが待っていてくれて,1年ぶりに再会した。昭和40年9月の奥越集中豪雨の被害を経て,真名川ダム建設のため西谷村が閉村したのは昭和44年。吉成さんが旧西谷村中島に生まれたのは昭和41年のため,村の記憶は残っていないという。
大野市街の吉田さん宅に立ち寄り,吉次さんの位牌にご挨拶したとき,吉成さんは「麻那姫像がサクラと競演」という4月10日(日)付けの新聞記事を紹介してくれた。記事によると,今年は雪が少なく,例年よりも早く像の雪囲いを撤去したとのこと。上笹又は麻那姫像よりも約8km上流にあるので,「今頃が満開だろう」と期待は高まった。

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    麻那姫像を囲むサクラの盛りは過ぎていた                麻那姫像そばから湖を覗きこむと,サクラが咲いていた

# 外II-4
コンビニでおにぎりを調達し,大野市街からR.157で山へ向かい,真名川ダム(昭和52年竣工)・麻那姫湖まで来ると,迎えてくれるのが金色の麻那姫像だ。「昔,真名川に身を投げて自らを竜神にささげ,大干ばつから村人を救った」という伝説にちなむ像で,サクラは盛りは過ぎていたが,きれいに咲く木もあった。近くには下若生子の「ふるさとの碑」が建っており,碑の回りのサクラはほぼ散っていた。
少し上手の「若生子小学校跡」の石柱がある上若生子の「ふるさとの碑」にも立ち寄ると,碑を囲むサクラに花があった。真名川ダム建設に関係する廃村のうち,水没したのは下若生子,上若生子,下笹又の3集落である。

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  上笹又・吉田さんのサクラはしっかり花を咲かせていた           サクラには走るクルマから見てもしっかりわかる存在感があった

# 外II-5
第一の目的 上笹又の吉田さんのサクラは,手前から見てもはっきりわかるほどの花を咲かせていた。私は昨春の葉桜と同じアングルで,嬉々として写真を撮った。近くに建つ「ふるさとの碑」もサクラの花に囲まれていた。
お昼のおにぎりは,中島の麻那姫湖青少年旅行村を訪ねて,その一角で食した。私が中島を訪ねたのはかれこれ7回目。キャンプ場はかつて西谷村役場が所在した中島集落跡にあるが,整った風景をみると,集落のことを想像するのは難しい。吉成さんは「小学生の頃,整えられる前の集落跡で,川遊びをしたことがある」と話された。

# 外II-6
「往時の痕跡は何か残っていますか」という私の声に「受付の方は何か知っているかもしれない」と吉成さんは答えてくれた。期待を抱きながら受付の方々に尋ねたところ,「中島の発電所の施設の上に,お宮さんの跡がある」,「上笹又のふるさとの碑の少し手前にシダレザクラが咲いていて,そこがお宮さんの跡だ」という声をちょうだいした。それは私も吉成さんも,まったく知らなかったことだ。
吉成さんと一緒に発電所から山へ上がる道をたどると,スギ林の中にはっきりそれとわかる石垣や石段を見つけることができた。この神社(春日神社)は,他の西谷村の神社とともに大野市街の篠座神社に合祀されている。

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   中島・春日神社跡の境内は石垣,石段が残されていた           上笹又・白山神社跡の境内にはシダレサクラの花が咲いていた

# 外II-7
近くにある旧西谷村経緯の看板,中島の「萬霊之碑」には単独で足を運んだ。車道より高くて目立たない場所にある「萬霊之碑」のそばのサクラも咲いていた。碑文を改めて読むと,建立は昭和44年8月,離村と同時期だった。
続いて上笹又に戻ると,川側に咲くシダレザクラは簡単に見つかったが,碑から続く道がわからない。吉成さんと一緒に枯れ草をかき分けてサクラに近づくと,中島側から続く地味な道に合流した。上笹又のお宮さん(白山神社)の跡には石垣などは見当たらなかったが,シダレザクラは見事なものだった。記念の集合写真はシダレザクラの下で撮った。「ふるさとの碑」まで歩いて碑文を改めて読むと,碑の建立は昭和44年8月,離村と同時期だった。

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         上笹又・湖水は来ない真名川には流れがある          吉田さんのサクラの真下に古い石柱が見つかった

# 外II-8
さらに「サクラを川のほうから見上げてみよう」と思い,私は単独で真名川の流れに向かう道を下った。川の手前には往時の家屋の石垣が残っており,集落跡ではお墓もしくはお宮さんがあったことを示す石柱が見つかった。最後に訪ねた下笹又の「萬霊之碑」もサクラの花に包まれていた。
思いがけない発見があり,多くのサクラが咲いていて大満足だったが,それは何より「吉田さんのサクラの花を見たい」という想いが叶ったからだ。
帰路は越前大野駅まで吉成さんに送っていただいた。2〜3時間に1本の便しかない越前大野−福井のローカル汽車(1両編成)だが,まずまず賑わいがあった。福井での乗り継ぎはとてもよく,午後4時7分福井駅発の「サンダーバード」は定刻通り,夕方6時9分,大阪駅に到着した。

(追記) 産みの苦しみを経て,「廃村をゆく2」は平成28年5月26日(木),予定通り完成した。



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