「廃村千選」 〜 徳島県
「廃村千選」 〜 徳島県
徳島県穴吹町の戦後の開拓集落の廃村 空野(あきの)の開拓記念碑です(平成22年 8月)。
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・編者が確認した徳島県の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は13か所です(廃村10か所,高度過疎集落3か所)。
・徳島県(旧国名は阿波)の人口は約72万人(R.2)。県内を四国三郎 吉野川が西から東へ流れていますが,「廃校廃村」13か所のうち10か所が吉野川流域にあります。
・山の中腹(比較的高所)に小規模な集落跡が点在するのは,徳島県の農山村の廃村の特徴です(上板町大山畑,山川町西野峯,穴吹町樫山,杖立,上那賀町溝など)。
・神山町持部には,小規模な銅山がありましたが,戦前の閉山なので,鉱山関連ではなく農山村に分類しています。
・戦後開拓集落の廃校廃村として,穴吹町空野があります(1集落)。また,営林集落の廃校廃村として,東祖谷山村谷道があります(1集落)。
・阿南市辰巳は,那賀川河口の三角洲にある工業用地造成のため集団移転があった農漁村で,四国本土部唯一,海のそばにあります。
・徳島県内にはへき地4級校が4つあります(東祖谷山村谷道・深渕,西祖谷山村小祖谷,海南町樫小屋)が,谷道(営林事業関係の集落)は廃村に,深渕は高度過疎集落となりました。
・徳島県で最も歴史が古い廃村の学校は,池田町の出合小学校山風呂分校で,明治24年開校,昭和55年休校,昭和57年閉校,開校期間は89年です。
※ 「廃村千選」 〜 徳島県 = 13か所('06年6月10日作成,'23年4月16日更新)
※ へき地学校の数 = 108校
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集落名 |
学校名 |
自治体名 |
へき地 等級 |
児童数 |
閉校年 |
(特記) 産業・離村時期 |
◎ *1 |
(Ooyamahata) 大山畑 |
神宅小学校畑分校 |
板野郡上板町 |
1級 |
6名 |
昭和43年 |
農山村・− |
◎ 2 |
(Nishinomine) 西野峯 |
川田山小学校西野峯分校 |
(吉野川市) 麻植郡山川町 |
2級 |
6名 |
(S.59) 昭和46年 |
農山村・H. 5年頃 |
◎ 3 |
(Akino) 空野 |
穴吹小学校空野分校 |
(美馬市) 美馬郡穴吹町 |
1級 |
13名 |
(H. 2) 昭和49年 |
開拓・H.17年 |
◎ 4 |
(Kashiyama) 樫山 |
宮内小学校樫山分校 |
(美馬市) 美馬郡穴吹町 |
3級 |
5名 |
昭和38年 |
農山村・S.38年頃 |
◎ 5 |
(Tsuetate) 杖立 |
半平小学校杖立分校 |
(美馬市)
美馬郡穴吹町 |
3級 |
8名 |
昭和44年 |
農山村・S.50年頃 |
◎ 6 |
(Yamaburo) 山風呂 |
出合小学校山風呂分校 |
(三好市) 三好郡池田町 |
3級 |
4名 |
(S.57) 昭和55年 |
農山村・S.58年頃+ |
◎ *7 |
(Mibuchi) 深渕 |
落合小学校深渕分校 |
(三好市) 三好郡東祖谷山村 |
4級 |
10名 |
昭和49年 |
農山村・− |
◎ 8 |
(Tanimichi) 谷道 |
栃瀬小学校谷道分校 |
(三好市) 三好郡東祖谷山村 |
4級 |
19名 |
昭和44年* |
(高知営林署) 営林・S.44年 |
◎ *9 |
(Mochibe) 持部 |
広野小学校持部分校 |
名西郡神山町 |
1級 |
10名 |
(H.13) 昭和61年 |
農山村・− |
◎ 10 |
(Okutadukawa) 奥立川 |
横瀬小学校立川分校 |
勝浦郡勝浦町 |
2級 |
15名 |
昭和43年 |
農山村・H.15年頃 |
◎ 11 |
(Tatsumi) 辰巳 |
富岡小学校辰巳分校 |
阿南市 |
無級 |
14名 |
昭和39年 |
(辰巳工業団地) 農漁村・S.45年 |
◎ 12 |
(Mizo) 溝 |
(平谷小学校白石分校) 白石小学校 |
(那賀町) 那賀郡上那賀町 |
2級 |
73名 |
昭和46年 |
農山村・H.16年頃 |
◎ ◆13 |
(Ooyoko)☆ 大横 |
片川小学校 |
(つるぎ町) 美馬郡一宇村 |
1級 |
107名 |
(H.12) 昭和53年 |
農山村・H.30年頃※ |
空野分校跡は,草に埋もれて傷みながらも残っていました。
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(注1) 「廃村千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」約1100か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。
(注2) 「廃村千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落(番号欄*印付き)です。
(注3) 「廃村千選」における学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。
(注4) ◎は編者が訪ねたことがある廃校廃村です。
(注5) ☆は中学校が集落内にあった廃校廃村です(併設校,分校を含む。昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。
(注6) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。( )書きは閉校当時の名称です。
(注7) 閉校年は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。再開されなかった休校は閉校と同一に扱っています。( )書きは休校を経た閉校年です。また,*印付きの閉校年は年度途中(4〜12月)の閉校です。
(注8) 離村時期欄,xx年は,文献等に記された閉村年です。xx年頃は,小学校閉校年,住宅地図等により推定した閉村年です。末尾+印は「離村年=閉校年+3年」,末尾*印は「離村年=閉校年+10年」の経験則を適用しています。末尾※印は平成20年以降の離村です。
(注9) 市町村名は,説明文が平成13年4月現在(平成の大合併直前),リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成31年4月現在です。
(注10) 集落名(読み)へのリンクは「村影弥太郎の集落紀行」Web(管理者村影弥太郎さん)の,自治体名へのリンクはmixi(会員制)の日記等 おきのくにさんの力添えをいただいています。
(注11) 令和元年以降に生じた廃村は,原則追求していません。
(注12) お気付きの点があればお知らせいだけると幸いです。
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